世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

アヤソフィア

ブルーモスクが夕方まで閉館しているという事態を受けてアヤソフィアのチケット売り場は長蛇の列。
待ってる間にイスタンブールの各国語版を売る売り子が声をかけてくる。

のに。

日本語がないんですよ。

いやー、日本人ビックマネー伝説はもう塵となってかなたに消えてしまったのですね。
パリでもそうですよ。
もはや美術館に行っても昔は当たり前のようにあった日本語ガイドはもうない。
または中国語しかないんですから。


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仕方がないから自分の足でおみやげや行って買いました。
お店のお兄さんと2人で数少ない日本語訳を探してやっと見つけました。
甥っ子たちのおみやげにしたかったんです。
(本のタイトルの文字のフォントがバラバラでおもしろいです)


さて、アヤソフィアの歴史をかいつまんでいうと、もともとトルコはギリシャ正教だったんで(ギリシャとなりだし)、最初はキリスト崇拝教会として利用されていたんですが、その後イスラム教に回心してしまったのでここもイスラムの寺院になったという、世界でもめずらしいケース。もともとトルコ人遊牧民なので(だから羊とか食べるし緬羊業が栄えてる)、イスラム教を中東のどっかで覚えちゃったトルコ人が地を這い山を越えてどんどん伝道していきオスマン帝国時代には権力を持ってしまったという流れ。一般公開されるようになったのは1930年代のことだというのでごく最近ですね。



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歴史上でもめずらしい「宗教の塗り替え」をした寺院。


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回心しちゃった国で肩身の狭い思いをするようになったギリシャ正教徒。
カッパドキアの洞窟などが修道士の隠れ蓑だったというのもうなずけるし、地下都市があれだけ発達していたのもその名残なのかもしれないです。



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トルコ共和国建国の父、アタトゥリュク(空港の名前にもなってます)が一般公開をしてから、ここはもはやモスクとして利用はされておらず、毎日たくさんの観光客が訪れる世界でも有数の観光スポットとして知られています。



さて、ここが中央ドームの間。


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モスクとして使用する為に、当時壁のモザイクや壁画は全部塗りつぶされました。
イスラムの象徴を主張するためか、アラビア語をあしらった大きな円盤を取り付けてしまってます。


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めずらしいですね。
というか、かなり違和感の残る奇妙な建物ですね。
ギリシャ正教あるいはカトリックの人がここを訪れたらどう思うんだろうか!!
奈良の大仏様の手のひらにマリア様が乗ってる、みたいな感覚だと思うんですけど。



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内部も完全に教会の容貌です。


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この寺院は過去に地震や争いで何度も破壊されましたし、モザイクは全部塗りつぶされたりしたので保存状態があまりよくないのだそうですが、こういったアーチ(寺院を取り囲む回廊の部分)はキレイですね。こういうのを見ると、イエスキリストの影響力はとても強かったんだと改めて思わずにはいられません。


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この辺の壁画はイスラムだと思うんですが。


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ステンドグラスにもアラビア文字が!


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それにしても壮大。
異なる宗教がこのように融合している。
こんなの今まで見たことないのも無理ありませんね。


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立派なカリグラフィーです。
偉い人だったんだと思います。




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とにかく時間がなかったのでかなり駆け足で終わらせてしまった。。。




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トルコに入ってからずっと野山をかけまわってばかりの原始人な旅三昧でまともな寺院に入って観光することがなかったのでとても見応えがあって、正直すごい楽しかった。
わたし、やっぱこういうの好きなんだなってしみじみ思いました。


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昼間の写真がなかったので夜のアヤソフィア


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目の前の公園にはあの怖い野犬がいるところです。

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本当に楽しかった。
また行ってもいいかも。