世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

2023 ブラジル旅行記VOL.13 オーロ・プレート周辺をほぼ事前情報ゼロで冒険に行く

その夜、オーロ・プレートのホテルにて長旅の疲れをいやすべくスヤスヤと眠っていたところ、すさまじい騒音で突然目が覚めました。どうやら近くの広場で深夜ライブをやっていて、夜も昼も関係ないと言わんばかりに張り裂けるような声で歌うボーカルの歌声が夜の闇を引き裂き山中を貫いて町中を覆い、その騒音は窓をもビリビリ言わしめているのです。きっと野山に住む動物たちも、早く就寝した子供やお年寄りも、気の毒ですが一斉に目を覚ましたことでしょう。町全体を血管のように張り巡らす心臓破りの坂道といい、祭りの加減というものを知らない深夜の狂ったバンドといい、つくづくこの町はお年寄りが住むには不都合しかないと確信しました。脳天から頭骸骨までしみるような振動にさすがの私もこれにはすっかり参ってしまいました。

 

さっぱりしないまま明け方目覚めて朝食を食べに行き、今日もお腹いっぱい胸いっぱいご飯をしっかり食べます。ブラジルはフルーツがおいしいので、スイカとマンゴー、ヨーグルト、シリアル、ブラジル名物ポンデケージョというチーズが練りこまれたお気に入りの小さいパンとコーヒーに牛乳をちょっといれたものがいつものルーティンです。ただ、ブラジルは朝食のメニューがまるで夕食か!というほどものすごい豊富なので、他に食べたいものがあればいただきますが、食べれる量だけにするようにします。

 

(真冬の2月の日本から来て常夏で熟れたスイカを食べる幸せといったらなかった🍉)

 

 

①事前情報ゼロで隣町マリアーナへ行く

今日はマリアーナというオーロ・プレートの隣町へ行きます。これは大冒険です。なぜなら地球の歩き方にはページ半分しか情報がなく地図もありません。ほぼノーインフォですが、一生行くことはないはずなのでせっかくだから行ってみます。

 

 

バス停は昨日散歩中に見つけました。行先に「マリアーナ」と書いてあったので間違いありません。今日は勇気を振り絞って「UBERじゃなく路線バス」で移動するのであります!!なんとなくですが、自分、ブラジル移民の末裔だと思われているような気がします。だって普通一人のアジア女性が路線バスに乗ってそんな山中の町に来ないと思いますし、自分で言うのもなんですけど周囲に馴染んでいたような感じがするのです。

 

 

これ、バス停。Marianaと書いてあるのでこれに乗って終点までいけばいいのです。こんな簡単なことあります?

 

 

 

小銭もばっちりあるし、ビリビリに割けてくしゃくしゃになった影もかたちもないお札も早くはきたい。

 

 

 

 

 

ちなみにマリアーナに行く途中に、金の発掘所で栄えた洞窟「ミナ・ダ・パッサージェン」に立ち寄ります。トロッコ列車に乗って地下まで下りるという、インディ・ジョーンズ魔球の伝説みたいな体験ができるそうなので、バスの運転手さんにあらかじめ伝えておいたのに、運転手さんすっかり忘れて一気に終点マリアーナまで連れていかれました。海外あるあるだよね。しかし私は通りがかりに気づいていましたよ、あれ?ここ、「ミナ・ダ・パッサージェン」じゃない?って。そこですぐに「ストップー!」という勇気がさすがになくて(クールにブラジル移民の末裔を気取っているため)、そのままマリアーナまで行きました。いいんです、帰りに寄れば。しかし頼みますよほんとに。

 

 

バスからの風景。ブラジルの地方都市を歩いていると、日本がずいぶん遠くに感じます。そして、よくこんなところまで来たなあとしみじみ実感します。

 

 

 

 

 

坂道も多く山に囲まれていて標高も高い。意外と湿度も高かったです。バファリンは常備していましたが頭痛に悩まされることもほぼありませんでした。

 

 

 

 

 

大型スーパーなどもなく、生活する人たちは大変そうな気もしました。やっぱりお年寄りはオーロ・プレートには住めないと思います。よくこんなところに町を作ったとおもいませんか?家があるから町に見えますが、ほぼ山ですよ、山。

 

 

 

 

 

 

さて、(最初に行きたかった場所を素通りされて)マリアーナに到着!

オーロ・プレートからおよそ13㎞離れたこの町もゴールドラッシュで栄えた場所なのだそう。メインの観光地はこのサン・フランシスコ・ジ・アジス教会というらしいのですが、とにかくとんでもない坂道をまた登る必要あります。

 

 

 

 

 

メキシコやブラジルを歩いていると、しみじみ足腰が重要だと感じます。もちろんヨーロッパでもそうです。クロアチアも相当アップダウンが激しかったし、石畳なので衝撃もそれなりにある。私は暑さにめっぽう強いし坂道も平気なほうですが、旅は体力のある今のうちに行っておかないといけないとつくづく思います。

 

 

 

 

 

ここがおそらくサン・フランシスコ・ジ・アジス教会ですが、扉がぴったり閉まってました。

 

 

 

 

とにかくブラジルのミナス・ジェライス州にある教会はほぼ同じ色、同じかたちをしているので、みなさんがいつかどこかでテレビや雑誌でこの姿をみたら、それはブラジルの風景なのだと思い出して頂けましたら大変嬉しいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

確かこの教会に入ったような気がします。名前は不明。

 



 

 

 

 

 

 

それにしても金で設けたわりには教会への恩恵はそこまでなかったんでしょうかね(後日、閉まっていて見れなかったサン・フランシスコ・ジ・アジス教会のほうは絢爛豪華だったっぽいことを知る)。

 

 

 

 

 

 

 

 

二階に上がることができたので、祭壇をもっと間近にみることができました。

 

 

 

 

 

質素な内部が親近感を覚えます。

 

 



 

 

 

 

 

 

外にでれば、坂道に沿って並ぶ瓦屋根の平屋と遠くの山並み。

メキシコに似ています。個人的には大好きな風景です。

 

 

 

 

それではこのままGoogle mapをたまにこっそりチラ見しながらセントロ(町の中心部)へ下ります。

 

セントロはすごい人と車と熱気で、マリアーナは盛り上がっていました。オーロ・プレートにはない「平地」が広がっているため往来が激しく大変賑わっています。しかし、歩きながらなんとなくおなかの調子が悪くなってきて、写真を全く撮る余裕もありませんでした。あと、2023年のブラジル旅行はとにかく警戒に警戒を重ねていたので、人の往来が激しいところで携帯やカメラを出すことをできるだけ控えていたので、このあと数枚しか写真がありません。。ブロガーとしての使命をまっとうするよりも、自分の身を優先しました、あしからず。

 

 

 

ここは小さなパティオにお店や美容室があってかわいい空間でしたが、じっくり写真を撮る余裕がなく適当に撮った一枚です。

 

 

 

 

 

 

やっとの思いで入れそうな休憩場所を見つけてひとやすみ。お店の人が最高のスマイルくれたしセルフサービスのお食事もおいしそうだった!しかし全くお腹が空いていないので食べることは断念し、炭酸水でも飲もうとしたら見つけた、エスプレッソ風味のコカ・コーラ!!!

一体どうなってんの???

でも飲んだよ!!!

 

 

 

 

 

それが意外なんですけど、とってもおいしかったです!!!!!!!

コーラとコーヒー、合うよ!!

勇気を振り絞って今度試してみてね💛

 

 

外は雑踏。

とってもアウェイ感を感じつつ、店員さんも優しくてここにいるとホッとしました。

 

 

 

 

 

町をぐるっと散歩しますが、さほど大きくもないのですぐ終わりました。

 

よく見ると駅がある。これはどうやらパノラマ列車みたいで、オーロ・プレートからマリアーナまで走ってるらしい。本当はこれに乗りたかったんだけど、ホテルの人が今はやってないと何度も言っていたので、仕方がないから路線バスに乗ってやってきたのです。立派な機関車ですね。

 

 

 

 

ブラジルって長距離列車はほとんどないみたいで(定かではないけど山が多いから線路作るの大変なんだと思う、土砂崩れとか来たら一発アウトだろうし)、地方を歩くとたまにこうやってちょっとした路線がある程度。だから貴重なんです。クリティバからモヘチスに行った列車移動も、かなりレトロな線路であれがいまだに動いていること自体が奇跡だったと思います(車移動の方が断然早かった、というオチも)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ブラジルは赤土が多く、川の水はこうやって赤茶に濁ります。最初見たときビックリした。イグアスの滝の周辺も辺り一面こんな感じの赤土だったのを思い出します。

 

 

 

 

ブラジルの川の水は透明ではない説。

 

 

 

 

 

 

インフォメーションセンターに寄ったら閉まってたので、もう帰ることにします。ブラジルはもう有人のインフォメーションセンターは撲滅してしまったのかもしれない。どこに行っても閉まってた。あと、紙文化も消滅傾向。お札はもちろんのこと、チケット、地図、雑誌などもほぼ消滅。インターネットやQRコード、クレジットカードがそれに台頭しています。

 

 

路線バスに乗って来た経路を戻るんだけど、どのバス停なのかもほぼ勘。

 

 

 

 

これがなかなか来なかったー!

30分くらい待ったかな。。。

隣りに座ってるおばちゃんに話しかけられたりして過ごしました。

 

事前情報ゼロでマリアーナ、なんとか制覇できました。

 

 

 

②恐怖のミナ・ダ・パッサージェン

 

 

さて、オーロ・プレートへ帰る路線バスの運転手さんに再びミナ・ダ・パッサージェンで途中降りるから、と事前に伝えてバスに乗る。来るときに見つけたからもうわかるけど一応言っといた。

 

これがまた人気のない道路沿いの山合いにあるんですよね。炭鉱とか金鉱っていうのはそういうものなのだろうから仕方がないのですが、観光客が一人もいない山間部に入っていくことは、今思えばなかなか勇気がいることです。

 

 

RECEPCAOと書いてある看板(レセプションですよねきっと)に向かっていくと、愛想のない若い青年が読書をしていてめんどくさそうに小声で「130レアル、キャッシュのみ」と言いました。130レアル?2019年の地球の歩き方には68レアルと書いてありますが、ほぼ2倍値上がりてるのと、130レアルといえば、3,500円ですよ!!「ずいぶん高いのね」と思わず言っちゃった笑。そこまでの価値があるのかどうかは微妙。

 

 

 

 

 

入場料が高いのは多分、観光客いないからなのかな。。。

 

 

 

 

のどかな風景と金鉱の跡地が広がります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やっと人を見つけてチケットを見せて、念願のトロッコ列車に乗ります。客は当然私だけです。

 

 

 

 

 

ガイドさんが一人、私の後ろに乗って下までついてきてくれるようです。

それでは出発です。

 

 

https://www.youtube.com/shorts/

 

 

地下は空気がひんやりしていてとても気持ちよかったのですが、まあまあ地下まで下りていき、誰も観光客はおらず、地下は薄暗くてかろうじてライトで明かりが灯されている程度。

 

トロッコ列車は坂道をどんどん下っていき、少し開けたところでキッ!と止まる。すると、そこに作業着を着た男性が二人私たちを待ち構えていました。彼らは何も言わずただじっとこちらを見ています。ここは地下なので、叫んでも誰も来ません。薄暗く不穏な空気漂い始めます。

 

 

私は正直この時「もう終わったな」と思いました。

 

インディジョーンズなんかじゃない。ここは犯罪には絶好のスポットでしょ。こんなところに一人で来たことを後悔してももう遅い。乱暴されるくらいなら身ぐるみはがされた方がまだマシ。

 

 



 

しかし、この覚悟と裏腹に、作業着の男性たちは作業を終えて帰るために私が乗っていたトロッコ列車を待っていただけで、ガイドの女性と軽く挨拶してなんなく上にあがっていきましたとさ。いや~ほんとに怖かった。。。。。。。。

 

 

ガイドの女性が湧水を見せてくれたり、歴史を話してくれたりしているのですが、恐怖の名残でちっともおもしろくない。

 

 

 

 

 

この石のところにキラキラ光るのが金。

 

 

 



 

祭壇もありました。

 

 

 

 

そのあと、日本の話をしたりオーロ・プレートの話をしたり、ミナスジェライナス州を旅するならチラデンチスは絶対に行くべきだ、などと世間話をしてやっと気持ちがほぐれていくのでした。

 

ちなみにチラデンチスは当初訪問予定にいれていた町。移動が不便だったため外してしまったけど、地元の人がこよなく愛する町、ぜひ次回訪れてみたいと思いました。

(そのあとリオに行ってアパートの大家さんにも同様のことを言われルートを外したことを激しく後悔しましたが、2024年のブラジル再訪時も結局交通の便の悪さであきらめてしまいました。いつか行ける日がくることを願っています)

 

 

無事下界から何事もなく帰還。取り越し苦労とはいえ心底ホッとした。でも次回からこういう洞穴みたいなところに行くときは気を付けようと思いました。過去にも「呼んでも誰も気づかれないからもう終わった」恐怖体験は、イタリアのマレッラ、トルコのカッパドキアでそれぞれありました。いずれも洞窟とか洞穴とかです。今回は地下の採掘場でした。あ、あとメキシコのタスコでは、キリスト像のある広場まで案内してくれたガイドをかなり怪しんで誰もいない砂利道を歩いているとき「もう終わった」と思ったこともあります(ちゃんとガイドしてくれて結果いい人でした)。

 

 

トロッコ列車はこのロープで動いてました。

 

 

 

 

 

 

小さく「MUSEU」って書いてあってかわいい。

 

 

 

全盛期の写真がたくさん。

 

 

 

 

なにがなんだかわからないけど、とにかく当時はたくさんの人がここで働いていたのですね。今は観光地になってしまったけど(そしてほとんど人がいないけど)。

 

 

 

 

 

 

 

はかり。これで金の重さを測ってたりしたんだと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ざらしになってますが、これがトロッコ列車です。

 

 

 

 

 

おみやげやさんは大したことがなかったので(全く関係のないものばかり売っていた)、素通りして庭の写真を撮りました。

 

庭の写真。なんだかよくわからないけど何かあったっぽい。

 

 

 

 

恐怖のせいですっかり疲れて帰途につきます。

 

 

 

 

 

 

あっという間におしまい。

なんか疲れた。

 

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mariana.minasdapassagem.com.br

 

 

 

 

 

今日は路線バスの旅なので、またバスを待ちます。ここ、バス停の休憩所。

 

 



 

それにしてもまたまた全くバスがこない。

とにかくこない。

携帯にはSIMカードばっちり入ってるのでいつでもUBER呼べるのですが、かたくなにこの日は路線バスにこだわってみたかったけど、オーロ・プレート行きのバス、なんであんなにこないの??!!お昼間だったから運転手がランチタイムなの??と、憤りまで感じ始める(さっさとUBERに乗ればいいのにね)。

 

信じられないくらい待って(多分30‐40分)、待っている間ほかの走る車にプップー!とクラクション鳴らされたりして、やっと来たバスに乗って帰りました。

 

あの看板がバス停の目印です。

 

 

 

 

 

はい、ふたたび山間部の町へ。

 

 

 

ここは昨日来ようとしてやめた町の中心広場の裏手にあるカルモ教会。

行きすがら途中の道に怖そうな人がいたのでやめたのです。

今日は怖い人もいなかったので勇気を出して行ってみました。会社の取引先の方がおすすめしてくれた教会ですがもはや全部同じに見える

 

 

 

 

すぐそばにはブラジル最古の劇場とされるオペラハウスもありましたが、あいにく閉館していました。

 

 

このパンフレットの中央がオペラハウスらしい。

 

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そして目の前には教会ビューのすてきなホテルがあり、取引先の方が以前ここに宿泊したと言っていたので、記念に写真撮ってあとで送りました。確か地球の歩き方に載っていたHotel Theatroというホテルだったと思います。最初は私もこのあたりのホテルにするつもりでしたが、、、

 

 

 

 

 

こんな坂道を毎回登ったり下りたりするの、まあまあ地獄です。

 

 

 

 

 

ただし坂道が多い分、景色はお墨付き。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

このあたりにある安食堂目指してきたのですが、もうなくなっているのかどうしても見つけられなかったので、別のお店に行くことにします。遅くなったけどランチします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここも昨日入りそびれたノッサ・セニョーラ・ロザリオ教会。

アフリカ系の聖人が祀られている珍しい教会とのことで、ぜひ入ってみたく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

地球の歩き方に「撮影禁止」と書いてあるけどいっぱい撮ってきちゃった。。。

でもみんな撮ってたから大丈夫。

 

 

 

 

 

 

 

さて、寄り道を終えてランチタイム。探していた地元の安食堂が見つからないため、別のお目当てのお店に入ってみたらなんと驚き、最高のロケーション。

 

 

あえて半バルコニーになっている景色のいい場所を指定。ランチタイムずれたからかな、空いてて何より。

 

 



 

 

 

 

 

Restaurante Chafariz

https://www.tripadvisor.com.br/Restaurant_Review-g303389-d25401160-Reviews-Restaurante_Chafariz_Ouro_Preto-Ouro_Preto_State_of_Minas_Gerais.html?m=19905

 

インテリアがとってもすてきでした。

 

 

 

 

窓からの絶景。

 

 

 

 

 

 

 

泊っている(廊下が100メートルくらいある)Grande Hotelもばっちり見えます。

 

 

 

 

いや~今日は一日大変な冒険をしたな~。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

選んだメニューはブラジル料理定番のフェイジョアータ(豆とお肉の煮込み)。

 

 

 

 

 

どうやって食べるかというと、これをご飯に混ぜてカレーみたいにして食べます。

豆は豆でもお肉の出汁が出ているので塩味もコクもあっておいしいです。

この緑の細長い千切りみたいになっている野菜(ケール)と、その右側についている黄色い粉(ファロッファというらしい)もブラジル料理によくでてくる定番の付け合わせです。クセがなくておいしいです。2人前はありそうな量でしたが、完食できました。ご飯をきちんと食べれると嬉しくなります。パワーつけないと。

 

 

さて、食後はまたセントロに戻り、おみやげを探してみますがこれといったものはなく。。。ブラジルって消滅しているのは紙だけじゃなく、おみやげというものがほとんどないんですよね。参った。

 

 



 

ミナス・ジェライス州はコーヒーの産地らしいので、おみやげに豆を買おうとかと立ち寄ったカフェ。結局コーヒーだけ飲む。

 

 

 

味は普通です。

味においてはおそらく日本の方がクオリティ高いと確信しました。

 

 

 

 

さて、帰るか。

 

 

 

 

ホテルに戻りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

併設のレストランで夕暮れを見ながら一杯飲むことにします。

 

 

 

 

オーロ・プレートをうろうろ下手に歩いて眺めのいい場所で休憩するよりも、ホテル併設のレストランのバルコニーが実は最高なのではないかと気づいたのです。

 

 

 

 

 

ここは朝食会場にもなりますが、夜はちょっとしたダイニングになるらしい。

 

 

 

 

 

マイルス・ディヴィスとジョン・コルトレーンかな?ジャズメンのパネルがいっぱい。

 

 

 

 

 

前にも触れましたが、このホテルはブラジルの匠、オスカー・ニーマイヤーが設計監修した建物ですので、ご本人の写真もたくさんあります。

 

これはバルコニーから外をあおぐ巨匠。

 

 

 

そのバルコニーがこちら。

 

 

 

 

匠が描いた風景のスケッチも残っています。

 

 

 

 

 

これはレストランの当時の姿をイラストに起こしたものですね。おそらく当時はこんな山中の町にできたモダンでおしゃれな場所だったのだろうと、栄枯盛衰をしのびます。

 

 

 

 

 

 

 

 

オーロ・プレートの地ビールを見つけましたので、さっそくいただきます。

 

 

 

 

夕暮れがいい感じ。

 

 

 

 

 

ここで日記を書きなぐり、写真や携帯や地球の歩き方を見返し旅のおさらいを。

 

 

オーロ・プレート全体地図。

 

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さっき見てきた教会もバルコニーからばっちりみえます。

ここで一日を締めるという作戦は大正解でした。

 

 

 

 

 

一番上が、オーロ・プレートの地ビールです。

 

 



 

そのあと自動的におかわりがきてしまったので(なんで笑?)、仕方がないので二本目飲みながら夜が更けるまでここにいることにしました。

 

 

 

 

 

 

 

レストランもぐっと雰囲気でてきましたね。宿泊客じゃなくても利用できるようです。

 

 






これでお部屋に戻ると思いきや、しつこく夜のチラデンチス広場(町のへそ)へ行ってみます。

「夜に外出するのはやめたほうがいい」という掟を遂に破ったのです。

ここ、オーロ・プレートでは大丈夫そうな雰囲気がしたからです。

 

 

 

 

この町は大学があるので学生が多く、若い人がたくさんいます。

だから夜も活気がありにぎやかでした。

まあ、昨晩は深夜2時まで爆音ライブやってましたからね。

でもさほどおもしろくもないのですぐホテルに戻りました。

 

 

 

 

 

 

さて、お部屋に戻り生乾きの洗濯物に少し途方に暮れ(山のくせに湿度高いんです)、荷物をまとめて音楽聴きながらせっせと書き物したり荷物をまとめたりします。明日のバス時間はお昼なので少し余裕があるため、今日行きそびれた教会にサッサと行って帰ってこようと決意し、翌朝は6時に起きて7時の朝食に一番乗りで出かけ、そのまま最後のオーロ・プレート観光です。

 

 

 

 

 

 

正直そこまで気に入った場所ではないけど、離れると思うと少し名残惜しい。

 

 

 

 

 

 

 

 

山村あるあるで、朝は霧がかっていて肌寒いです。

 

 

 

 

 

 

こんな道ばっかりよ。

 

 

 

 

なんだか昨日のことのように思い出すなあ。。。

 

 

 

このあとリオに行くバス、早めにチェックインしようと思ってバスターミナルにお散歩がてら寄ってみたら窓口が閉まってた。うーん、システムがいまいち分からない。朝早いからなのかたまたまなのか。隣りのブースのバス会社の人に聞くと「まだ来てないだけかしら」とのこと。こういうところが不安要素になっていくのだけど、考えても仕方がないので早く着いて有事に備えればいい。ただそれだけのこと。

 

 

 

 

 

 

教会と坂道だらけの山にある町、オーロ・プレートもラストに近づいてきました。サン・フランシスコ・ジ・パウラ教会は町の一番高い丘の上にあるので町のどこからでも見ることができたし、迷子になりそうになってもここ目印にできて便利でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はい、向こうに見えるはうちのホテル。

朝、トイレのレバーが壊れました。

 

 

 

 

 

 

 

さて、私が朝のお散歩に来たのはけしてバスターミナルの事前チェックのためではありません。オーロ・プレートを代表するピラール教会を見逃していたからです。ここは金づくしの贅沢三昧な装飾をみられるそうなので、昨日前を通りかかったのですがもう閉まってたので翌朝出発前にダッシュで来てみました。

 

来る、と言ってもまた迷路のような坂道を登って下ってなので思いのほか時間を食ってしまい、バス時間までに余裕を待ってチェックアウトしたいのでぼちぼち急ぎます。

(またいつもの帰り際に猛ダッシュするやばいパターンになりそうになってきた)

 

 

 

 

入場料がかかるので、ちかくの詰め所みたいなところに立ち寄ってチケット買います。

 

 

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400kg以上の金が使われたと、地球の歩き方には書いてありました。

 

 

 

 

メキシコの教会もそうだったけど、祭壇が豪華絢爛なゴシック様式の大渋滞みたいになっていて見るものを圧倒します。

 

 

 

 

 

 

なんといっても特徴はゴシックとロココの融合で、またここでもか!と言ったところ。そして祭壇裏手には必ず展示室みたくなっていて、キリスト像や聖人の木彫りの像などが展示されていることが多いです。

 

 

 

 

 

 

地下を見つけたので行ってみます。およその見当ですが地下には歴代教皇カタコンベがあることが多いです。行ってみたら普通の展示室でした。

 

 

 

 

 

 

アーメン。

 

 

 

 

 

上に戻って見納め。

 

 

 

 

 

金ピカキラキラ〜。

 

 

 

 

オーロ・プレートの「オーロ」は「金」という意味なんじゃないかな。なぜならイタリア語も同じだからです。でも間違ってたらすみません。

 

 

 

 

 

 

 

ピエタ像がありました。

 

 

 

 

出口。

 

 

 

 

教会は祭壇と反対側の出口にも注目。祭壇ほど豪華であるわけではもちろんありませんが、絶対に手抜きをしていない場所だと確信しています。たまに立派なパイプオルガンが鎮座していたりすることもあります。

それにしてももうすっかり時間がありません!!!!




この後坂道をのぼりくだって走ってホテルへ戻り、急いでチェックアウト。もう荷物は全部まとめていたので楽勝とはいえ、びっくりするくらい時間がなくなった…。バスターミナルはホテルから徒歩5分くらいのところにあるのですが、心臓破りの石畳な狭い歩道の続く坂道を永遠に登らないとならず、スーツケースを持って行くにはさすがの私でも考えられない。Uber呼ぶにも来るの時間かかりそうだったからホテルの人にタクシーお願いしたらなんとそっちもUber…。だったら自分で呼んだよ、と思いつつ仕方がないから待つも、待てど暮らせどやってこない。もう本当に時間がないのでペチャクチャおしゃべりしてるのんきなフロント係に急かしたらすごい迷惑そうな顔をされる。でもリオデジャネイロ行きのバスは一日一本なので死んでも遅れるわけには行かないので、嫌な顔されようが嫌われようが知ったこっちゃないのであります。

 

やっとUberきて現金で払い(ムカつく笑)、慌てて降りてバス乗り場までドタバタして辿り着く、結局出発間際にターミナルに行ってもバス会社の窓口は開いておらずQRコードがもらえない。仕方がないのでバウチャー待ってバスに並ぶ。荷物をバスに預ける時にブラジル人の小僧にポルトガル語で怒鳴られた(怒)。

 

オーロ・プレートは正直イマイチだったなぁ。

個人的には、ですよ。

 

このホテルにも泊まって前半の旅の疲れをのんびり癒す目的でかなり期待して来たけれど、レセプションの若者がとにかく感じが悪かった。不機嫌な外国人には慣れているほうだし、なんだとこの野郎とは思いますが根に持つほどではないんですけど、ここはちょっと我慢の限度を超えかけました。だから印象はよくありません。しょうがない、相性ってものがありますからね、人間は。







www.grandehotelouropreto.com.br

 

 

ただ、バルコニーの景色とロケーションがいいのでおすすめします。もちろんすべてのインテリアや雰囲気がとてもかっこいいので建築に興味のある人は絶対来た方がいいです。お値段もそこまで高くなかったです(一万円ちょっとだったかな)。




ということで、2023年ブラジルの旅前半はここでいったん終わりとなります。

 

コロナが終息した2023年初めての南米、ブラジル旅行の前半はとにかく緊張の連続で毎日本当にビクビクしながら旅をしていました。特に怖かったのは日曜日のクリチバでしたね。浮浪者が全員ゾンビに見えました。あと、ベロオリゾンテは危険センサー鳴りまくりで町の人々8割がゾンビに見えてビビって夕方以降ホテルから一歩も外に出れませんでした。今思うと失礼だったなと反省しています笑。

 

 

前半で一番楽しかったのは圧倒的にイグアスの滝。ほぼ期待していなかった(というかそこまで興味をもっていなかった)のに、あの感動といったらなかったです。自然に勝るものはなし、ということをここでも実感し、私のブラジル旅行の大きなハイライトの一つとなりました。まちがいなく、一生忘れない体験になったと思います。

 

 

サンパウロ

 

②クリティバ

 

③モヘチス

 

イグアスの滝(ブラジル側/アルゼンチン側)

 

 

⑤ベロオリゾンチ

 

⑥オーロ・プレート(マリアーナ)

 

 

 

 

ここまで6都市、何事もなく無事に旅を終えました。日本を離れて休む間もなく初めての南米をよくもこんなに移動してこれたと神様に感謝し自分を褒めたいです。

 

移動は一部飛行機、一部列車、ほぼ長距離バスです。バスはメキシコよりも発展していてブラジルはネット予約ができるので、日本からあらかじめ予約していきました。繰り返しですが、長距離バス乗車時は必ずQRコードが必要となるので、予約の段階でそれが発券されていなければ、ネット予約したとしても一度窓口に立ち寄って、バウチャーをQRコードに変えてもらわないとなりません。しかし、予約している安心感は何物にも代えられないので、ブラジル旅行で長距離バスを検討されている方はぜひご参考ください。

 

また、1等車と2等車がありますが、1等車はほぼフルフラットのリクライニングな上に(というかほぼベット)、間仕切りカーテンで完全に個室状態となるので 犯罪防止にもなり、また毛布、枕もついてくるので冷房の効いた寒い車内も快適に過ごすことができて本当におすすめします。私は旅の前半この移動により時差ボケを完全に調整することができました。お手洗いも信じられないくらい清潔でした。

 

(一度勇気をもってお手洗いに入った途端にバスがカーブで大きく揺れてゴン!と壁に体がぶつかったら、おそらく運転手さんが気づいてくれて、私が出るまでスピードをゆるめてくれてなんていい人なんだろうと思いました)

 

 

 

 

 

 

さて、次回は旅の後半、ブラジル旅行最大のハイライトとなったリオデジャネイロへご案内します。

投稿にも気合が入ります。

どうぞお楽しみに。

 

 

旅友の旅立ち

旅友が亡くなった。

 

4月の初めにくも膜下出血で倒れ、それから意識不明のまま脳梗塞も起こして絶望的だという話を聞いたのは亡くなる一日前で、慌てて大阪まで駆け付けたけれど京都に向かう途中で逝去の連絡を受けた。

 

彼女は大阪が住まいなのでなかなか会うことはできなかったけど、LINEではしょっちゅう連絡をくれた。関東方面で地震があればいつも心配して安否を確認してきたり、知り合いの個展のお知らせや、年末やお盆などまとまった休みが取れそうな時期になれば大阪に遊びにきて家に泊っていけばいいといつも誘ってくれた。先日はめずらしくバックパッカー時代のスペインの話をした。

 

 

サグラダファミリアに行ったときステンドグラス光ってた?」

 

確かステンドグラスはもうついていたけどあの礼拝堂そのものはまだ未完もいいとこだったので、ほとんど工事現場って感じだった、と返すと、

 

「テレビで若い子が世界旅行した映像みて、太陽の光が当たったステンドグラスがきれいで一般観光客が入ってたから、あれ?私たちが訪れたときは至ってシンプルで色もなく人もなくだったはずだと思って」

 

という。あれからもう長い時間が過ぎたのだ。私たちはたくさんの写真を撮ったけど、共有できていないのが悔やまれるので、写真みたいからなんかの折に探して!と伝えると、

「その時はうちに泊りに来てね」というから絶対いくと話したのが本当に本当に、旅友との最後の会話となってしまった。

 

 

 

亡骸を病院から自宅に移したとのことで、どんよりとした曇り空の中電車に乗って家まで行く。当時ローマで数回会ったことのあるご兄弟の奥様が駅まで迎えに来てくれて自宅に行くと、旅友がまるで眠っているかのように横たわっていた。痩せてるわけでもなく頬もこけているわけでもなく、本当にいつもの旅友で、髪の毛もサラサラなままだったけど、表情はしっかりと硬いままで亡くなった人特有の威圧感があった。そのあとドライアイスなどで姿も顔回りもすっぽり隠れてしまったから、最後にちゃんとお顔を拝むことができてよかったと思う。

 

誰かの死を受け入れるためには、最後きちんと亡骸に向き合って、生前に思い出を一緒に共有できたことや楽しかった日々に感謝し御礼を言うことがなによりも大切だと思っている。それをすると、どんなに悲しくても辛くても、この世からいなくなってしまったという事実を受け入れることができるような気がしている。

 

この数年、私の周りでぽつりぽつりと人が亡くなっていった。みんな私にとってはかなり心を許している友達だったから、もう会えないと思うとほんとに心細い。だけど、私たちはいろんな場所に行って、たくさんのことを話し、共有し、同じ時間をたくさん過ごした。死はとても一方的な出来事であるけれど、生前に共有した時間を多く残していればいるほど、楽しかった思い出はこれからもっと深く刻まれていくだろう。そして、きっといつかどこかでまた出会える日がくるのではないかと、なんとなくそう思う。亡骸に向かって自分が最後にでてきた言葉は「また会おうね」だった。

 

 

 

イタリアに暮らしていたころの話はもうずいぶんしちゃっているのだけど、実はまだ核心に触れないままの部分もあり、いつか彼女のことを話したいと思う(ドルチェ・ヴィータというフォルダに入っているのは真剣物語です)。

 

イタリアに暮らしていたころ、彼女は私の大親友だった。そして、「基本的に一人でしか行動したくない」自分勝手な私が、三か月も寝食を共にして旅をした稀有な友人の一人といって間違いない。おそらく私に合わせてくれたところもあるだろうし、彼女もどちらかというとマイペースなタイプなので「人間関係における距離感」の波長がぴったりあったというのもあるのだと思う。そうじゃなかったらあんなに一緒にいられない。

 

 

ポルトガルリスボンで、私の持ち合わせがなくなったときに、彼女が自分のコインを寄せ集めてくれて買ったニワトリの置物と、うだるような暑い日のマドリッドの公園で二人でだらけて撮った写真が何気に一番のお気に入りなので額に入れて飾った。

 

 

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(旅友、あの頃灼熱のスペイン・ポルトガルを旅行中、水より安いからって毎日のように朝から缶ビール飲んでた笑)

 

お気に入りのエピソードをお悔やみがわりに2つ入れておくね。

 

ルパン大作戦 - 世界ふらふら放浪記

 

 

オラ!スペイン最終章~沈黙という名の電車~ - 世界ふらふら放浪記

 

 

もうすぐ四十九日。

閻魔様の関門を無事突破して黄泉の国に行く頃かと思うので、 大丈夫だと思うけど、パスできるようにしっかりね、とエールを送る。

 

 

 

 

私の人生に彩りを与えてくれた旅友へ。

心から感謝の意を込めて。