東ローマ帝国時代に作られたという地下にある貯水槽。
しばらく葬られていた時代もあったようなのですが、修復して一般公開されたのが1985年というのですからこれまた驚き。当時あった宮殿の一部を再利用して作られたこと、またこの貯水槽はたくさんの支柱(336本)が並べられていてその姿が圧巻なことから「地下宮殿(Basilica Cistern)」と呼ばれているそうです。
なんとまあ~神秘的な場所なんでしょうか。
そして広い!
貯水槽とは思えない豪華な感じ。
ホテルのレセプションの若者とお喋りしていたとき、彼が最近ローマを観光したというのでどうだったかと尋ねると、「思ったほど大したことなかった」と言ったんです。
ローマが大したことないという人に初めて出会ったので、何がダメだったのかと聞くと。
「モノが豊富じゃない。イスタンブールはもっといろんなものに溢れていてどこに行ってもいろんなものが手に入るよ。バザールとかさ。」
そのセリフを聞いて思いました。
彼らはローマにいまだにライバル心を持っているのかもしれないと。
(考え過ぎ?)
巨大モスク、スルタン(当時の王様の呼称)の住まいであったトプカプ宮殿、新市街をむすぶ大きなガラタ橋、商業地区バザール、ボスポラス海峡に現れるはンスタンティノープルの陥落を狙うたくさんの敵国。一度はヨーロッパ征服を試みたトルコ。
そのDNAを持っている国民ですからそういう敵対心=愛国心があってもおかしくないと思いました。
勝手な想像ですが。
なかなか興味深い。
外は暑くて仕方がなかったけど、ここは地下なのでひんやりしていて気持ちがいい。
ここ降りますよ。
ここの目玉はなんと言っても、これです。
「メデューサの首」
支柱を作る時に土台としてメデューサの石像の頭部を使ったんです。
「親分これちょうどいい大きさじゃねーの?」なんていう奴隷との会話がされたのでしょうか。
当時、支柱はいろんな国から運んだりしてきたことが多く、石像などもその材料として使われたから、ということなんだと思うんですが、しかしこの冒涜ぶりはさすがですね。
さっきのホテルの人の話もそうですが。
これを撮る為に行列に並ぶんですよ。
そら、もう一体。
横バージョン。
中にはカフェもありました。
(誰も座ってませんが)
そういえばお土産屋さんとかもあった。
ダサいおみやげがありそうな予感がしたので入ってみたけど、かすりもしなくてつまんなくてそのまま出ました。
出たところがこれまた「えー!ここに出るんだ!」と思わず驚いちゃうような、忍者の武家屋敷の隠れ出口みたいなところ。隠れ、と言っても大通りに面したところなんですけども、毎日毎日歩いたりトラムから眺めていた場所のところが出口だったので、ようやく地下宮殿の存在を思い知り、最終日にここを訪れたことをまた後悔したのでした。
やっぱりいろんなことを知った上で歩くのとそうでないのとでは、なんとなくもったいない。
イスタンブールに行くことがあったら絶対訪れるべき、地下宮殿。
意外とおもしろいです。
ちなみにこの真上はトラムが走ってますが、すぐ真横にトプカプ宮殿があるので、やっぱり王様の家のそばにあえて貯水槽作ったんですね。
旧市街、スルタンアフメットは今はホテルやレストランであふれかえってますが、当時は王家のお膝元だから古の建物とか残ってない物なのかしらね。そんな情報はどこにもありませんでしたが。
それとも戦火で戦利品として全部もってかれちゃったかな。
今度行く時は一日ガイドでも雇おうかな。
ガイドの人、うっとおしそうだけど。