悲しすぎるニュースが入ってきました。
こんなに悲しことってあるのだろうかと思うほどショックだった。
当時ローマに住んでいる頃は、パリやロンドンのような大都会と違って日本人の心の拠り所になるような場所はほとんどゼロと言っても過言じゃなく、どうしてもノスタルジーを感じた時は意味もなくローマ三越に行く、というのが日課でした。そこで日本語を存分に堪能(盗み聞きしてるだけ)したり、日本からきた日本人が固まって休憩室で水なんか飲んでいるところにどさくさに紛れて座っているだけで幸せ感じました。
ローマ三越は規模が小さいのでレストランもないしワンフロアにイタリアブランドのお店があるだけでしたので、現地に住む日本人には基本的に全く用のない場所です。しかもあそこで働いているのは日本採用で出向で来ている人か、現地採用された日本語できるイタリア人若干名だったので、私たちのようなローマで一体何をやってるんだかまったく意味不明なダークサイドにいる日本人とは異なって、ホワイトカラーな日本人がいたので敷居が高かった。だからこっそり行って日本語を浴びてそのまま出る、ということをやっていました。
ふと思い出したんだけど、石川啄木の唄にそういうのあった!
「ふるさとの訛りなつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにいく」
泣きそう。これよこれ!!日本語浴びたくてローマ三越行ってた自分!!
啄木にとっての上野駅が、私にとってはローマ三越だったということです。
泣きたいわ〜。
2016年に里帰りした時に撮った写真。
ローマ三越は写ってないけど、同じVia Nazionale(通り)が写ってます。
この通りにある靴屋さんで無駄な買い物しょっちゅうしたし、ウピム(スーパー)で海用のタオルを半額で買ったりした。ここをまっすぐ登るとテルミニ駅に繋がるレップブリカ広場があります。
テルミニ駅のそばのお土産屋でアルバイトしている頃、ローマ三越はすぐ近くだったからたまに三越の人とご飯食べに行ったりすることもありました。なんかパンテオンのそばの地下にある素敵なレストランに連れて行ってくれて、美味しいイタリア料理(牛肉の薄切りにパルミジャーノレッジャーノのスライスとルッコラにオリーブオイルと塩、黒胡椒をかけたものを食べたけど、よくもそんなメニューを今でも覚えている自分に若干引いてる)を食べたり、情報交換したりしたこともありました。楽しかったなあ。
ローマ三越閉店のニュースは、時代がまた一つ終わった感じがします。
日本人のイタリア旅行ブームは当時凄まじいものがありましたが、今はもう昔の話。
三越閉店の追悼として、当時お気に入りだったジョヴァノッティのCDをかけて聴きました。あの頃は路上で売っていたヤミ海賊版しか買わなかったのにこれは正規のCDなのでよっぽど気に入って買ったのだと思われます。
(聴いてみたら昔よりイケてる感じがした)
イタリアはいろんな思い出が詰まりすぎていて、もう当分行かないと思います。
特にペルージャ。
あそこはもう一生行けないかも。
いくら思い出を振り返るのが好きな感傷的な私でも、あそこだけは思い出に蓋をして大事にしまっておきたい感じがしてなりません。
悲しきローマ三越の閉店のニュースでした。
一等地だったからねえ。時間の問題だったんだろうな。