世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ヴィットリオ広場で

イタリアについて、最初の一週間はローマ・インで過ごしたのだけれど、そこは日本人のバックパッカーや留学生が私と同じように訪れては、アパートが決まるまでそこで暮らしたりしていた。当時はそれほど人数はいない。観光シーズンでもなかったので部屋は結構空いていたので、私は6人部屋を一人で使っていたし、その最上階の小さな窓から洗濯物を干せば、3時間も経たない間にジーンズはすっかり乾いてしまった。
 
5月のローマの陽気はそれほどに強く、既に真夏の気配を十分に感じることができた。
 
 
ローマ・インはテルミニ駅のすぐそばのペンション街の一角にあり、徒歩でどこにだって行ける。近くにはたくさんの商店やバール、スーパーがひしめき、絶えず観光客がバックパックをしょって歩いている。ローマにはチャイナ・タウンはないが、このあたりにはたくさんの中国人が住んでいて小さなお店を開いている。その奥に行くと、ヴィットリオ広場と呼ばれる薄暗くて古めかしい大きな広場があった。
 
 
 
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ここはテルミニ近辺に住む、比較的低所得者たちがうろつくローマ一物騒な市場である。アーケードがその広場を四方に囲み、そこでは様々な商店が軒を連ねているが、どれもこれも胡散臭い。ウエディングドレス屋、(私たちがもしそこでカッフェをしたら間違いなく気分が悪くなることがおきそうな)薄暗いバール、オモチャ屋、超激安なんでも量販店(明らかに低所得者狙いの質の悪い衣料品、日常品、粗悪品)、とにかく雰囲気が悪いのだ。
歩いているのは圧倒的に中東諸国、中国人、黒人など、ローマの中心部ではみかけない人種ばかり。
 
 
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ここは本当に危険なところだ。というか、気持ちが悪いといった方が妥当な表現かもしれない。
ただ、私はこの近辺で働き、ある一定の期間暮らしたこともあるし、仲の良い友人も何人かがこの界隈に住んでいたので、ある程度経つと顔が割れてくるのか自分が慣れるのかは分からないがそういうとまどいは徐々に軽減された。ただしよそ者と認識されるとすぐに危険と背中合わせになってしまうので、どんなに慣れたとはいえ、ここは昼間でも歩くことを躊躇した。「慣れてくる頃が一番危険」なのである。周りが中国人も多かったのは幸いだったかもしれない。きっと私もチャイニーズだと思われていたに違いない。ある意味時としてそれは安心だと思うこともある。
 
 
 
 
こんな物騒なヴィットリオ広場だが、毎年夏はこんな怪しい広場にもイタリア人で賑わうイベントが催される。
夜の野外シネマだ。
広場の真ん中にある公園に巨大なスクリーンが登場し、数日に渡っていくつかの映画が夜間上映される。プログラムも立派に作られ配布される。ローマに行って間もない私はどうしてもその夏の夜長の風物詩を体験したかったのと、タランティーノの映画(「ジャッキー・ブラウン」)が上映されるということもあり、人一倍冒険心が強い私はたった一人で訪れた。ローマについてまだ2週間も経たない頃だ。
 
 
 
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イタリアは映画は全てイタリア語の吹き替えとなる。英語の字幕もない。
案の定私は全く内容が理解できず、それは退屈以外の何物でもなかった。帰りはすっかり12時をまわり、深夜バスの停留所がよく分からずさまよった。ローマ一治安の悪いテルミニ駅周辺は昼間はあれほど人通りが多いのに夜は一本道を違えばなんだか居心地の悪い静寂が漂う無言の夜道となる。そんな誰もいない通りの向こうをある一人の黒人が通りかかり、私をみて立ち止まり、ジーッと私をみつめたあとに静かなささやくような声で「pus, pus!」と声をかけてきた。怖くて怖くて、二度と夜のヴィットリオ広場界隈を一人で歩くことはしまいと固く心に誓い、その後もそれは一貫として守り通した。
 
 
 
 
 
そんな憂鬱なヴィットリオ広場も日曜日の朝はガラリと趣が変わって市場が立つ。
抜けるような青い空の下で、たくさんの野菜や果物や肉などが量り売りされる。
 
私はヨーロッパの生活で楽しいことの一つに、この市場での買い物がある。新鮮だし、安いし、お店の人と顔見知りになると必ずサービスしてくれる。たった500円足らずで手にいっぱいの野菜や果物を抱えて家路に就き、冷蔵庫にそれを入れるときの充実感は、日本ではけして味わえない。当時私にはなじみの八百屋がいて、経営者は中東の人だった。その人はいつもキャベツやじゃがいもをおまけしてくれたし、タバコが欲しいというと、近くに止めてあるバンまで小走りで駆けつけ、中からワンカートンのタバコを茶紙の袋にくるんで胸にしっかりと抱いて小走りで戻ってきて3万リラ(約1700円)で売ってくれた。これは通称闇タバである。正規のルートで仕入れていない、タバコ税も納めていない悪徳商売である。だけど、ローマではこんなのザラだった。イリーガルで商売をやることの方が普通だった。彼らに正当性を求めるなんて、日本の政治家に自立性を求めることと同じくらい無駄な行為なのだ。
 
また、これは住み始めてあとで知ったことなのだが、この市場にはありとあらゆる外国人移住者や周辺に住む感じの悪いイタリア人にまじってジプシーも数多くやってくる。彼らは普段はローマの特定の観光スポットに出没し、観光客のスリを生業としている立派な泥棒なのだが、日曜日の市は家族でやってきてまじめに買い物をしていた。彼らの姿をみるとハッとして思わず自分のポケットにある財布あるいは小銭をギュッと握ってしまうのだが、彼らは彼らで真剣に食料品を買いに来ているので、なんというか、「今日は大丈夫」という不思議な安心感があった。
 
市場の売子も全然愛想もない。英語なんて通じるわけもない。リアルなローマの日曜日の姿しかそこにはない。
そのように、低所得者と呼ばれる人々の喧騒の中にいつか自分も同化していったような気がする。
多分、それがローマのリアルな生活だ。
 
 
 
私たちには確実な未来なんてなかったし、定職もなかった。日本から持ってきた貯金だっていつか底をつくだろう。私たちがあるものは、絶対にまげられない、あるいはまげたくない夢と意地だけだった。
低所得者と呼ばれる界隈に住み、EU以外の外国人は時に俗者と呼ばれたローマの生活で私たちは生活の潤いよりも、その夢がいつか実現することの方が何よりも大事だったから、どこに住もうが誰とつきあおうが、あまり関係なかったし、劣等感を感じることもなかった。次第に夢はおぼろげになり、日々暮らすことで精一杯になったりもして、そんな現実は時に息苦しくさせたり、居心地が良くなったりもした。目的を見失ったらそこには不安しか残らない。夢だけでは食べていけないから、不安が押し寄せたり、それにイタリア生活の過酷さがのしかかるとかなり打撃を受けたりもした。だけどきっとそういう気持ちは所詮どこにいてもどんな環境であろうと起こりうることなんじゃないかと思ったりもする。日本だろうと、イタリアだろうとそれはきっと同じだ。ただ、イタリアのは日本よりも少しばかりシリアスな出来事が多いことも間違いない。
 
 
ヴィットリオ広場からテルミニ駅方向へ向かうとそこはもういつもの見慣れた風景がある。
ジャンキー、スリ、引ったくり、売春婦、ポン引き、ホームレス、ゲイがたむろい、ゴミや糞尿やカビなどの絶え間ない悪臭、ニセモノや窃盗品、警察ですら素通りするテルミニ界隈。私のイタリアの生活はそこで始まり、そこで暮らし、そこで働きそこで幕を閉じた。
 
 
 
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もちろん、引越の多い根無し草のような生活だったので、テルミニ界隈が全てだったわけではない。
だけど結局ここに戻ってきてしまった。
ここは抜けられない何かがあるのかもしれない。
私にとってはここが出発点だ。
そういう場所って簡単には忘れられない、感傷的なものになってしまう。もう立ち寄ることはないにしても。
 
 
 
 
そんな生活をしながら何度も何度も、いろんなことを目の当たりにしては、
「そうか、こういうことなんだ」と心の中でつぶやいたことは数知れない。
目にうろこが100個あったら多分60個は落ちた。
 
そう考えたら人生はきっと考えているよりももっと楽しく暮らせるんじゃないかと思う。
 
なぜなら残り40個も目からうろこが落ちるんだったらその先がきっと楽しみなはずだ。
 
 
 
 
ローマ・インはもうなくなってしまい、ヴィットリオ広場の市場も衛生面の問題で数年前から撤去された。
思い出は少しずつ、塗り替えられる。
 
どんなに進歩の遅いローマですら、それは少しずつ塗り替えられる。