世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

バイバイロンドン

ロンドン生活:時系列


ローマからロンドンに渡る
空港で荷物が真っ二つに割れてでてくる(メイドインイタリーの服も裂けた)
空港から家まで乗ったキャブのチップに大量のポンドを払ってしまう
語学学校に通う(トルコ人、南米系、韓国人、日本人しかいない)
アルバイトを始める(まかないはほぼラーメン)
暇な時間を過ごす(プリングルスを食べて4Kg太る)
語学学校に通う(I wanna/gonnaと発音する生徒はしこたま怒られる)
暇な時間を過ごす(毎日ラジオを聴きちょっと勉強して日記を書く暗い日々)
クサクサしてきてロンドン脱出作戦を立てる
アムステルダムに旅行に行く(書庫:オランダ・ビート)
リフレッシュしてロンドンに帰る(国境越えのドラックチェックはすごく厳しい)
7月なのにダウンジャケットを着るロンドンに完全に嫌気がさしてくる
日本にいる友達からヨーロッパ周遊旅行に誘われる
二つ返事でヨーロッパ三ヶ月旅行に出る(このブログの根幹はここ)
ロンドンに帰る(大家さんが私の屋根裏部屋をキープしててくれた)
このあたりから目的を失い始める、というか目的が褪せてくる
クサクサし始める
日本から連絡が
諸事情によりもう日本へ帰国しないとならないかもしれないということになる
再びローマに戻る



という流れです。





腐っていた時に気分転換に出かけたオランダなんかは実に良い思い出です。さっき(ラジオでブエナビスタソシアルクラブを聴きながら)書庫のオランダを全部読み返しましたが、あの頃オランダがすごく気に入ったんだなってのがよくわかります。特にクレラー・ミュラー美術館を訪れた日のことは印象的です。自転車に乗って森を散歩し、ゴッホの風景に出会った時に、しみじみ幸せな気持ちに満たされていった瞬間を今でも覚えています。


そういえばあそこで不気味な赤ちゃんの絵(一応ゴーギャン)のハガキを買ってジョークで日本にいる友達に送ったことがありました。そのうちそんなことはすっかり忘れ、日本に帰って何年かぶりに再会した時にそのハガキのことを言われて懐かしさに胸が熱くなりました。









ロンドン、ハムステッドという丘にピクニックに行った時の写真。


イメージ 1



これは私が撮った、クラスメイトの写真です。

彼女はフラワーアーティストだったかで、彼氏とロンドンに勉強に来ていました。













海外に行ったのはいろんな理由があったからなんだけど(秘密)、ローマは日本人なんて本当にいなかった。学校にも一人しかいなかったから絶対に外国語を話さなくてはならなくて、イタリア語がぜんっぜんわからなくて、それまで地味にやってきた英語もたった二ヶ月もしたら忘却の彼方へ飛んでいき(expensive>cheapが出てこなくて、caro>economicoにすり替えられた時、もう自分の脳みそはイタリア語を入れるかわりに英語を吐き出したのだと愕然としたことが今でも忘れられない)、同居人のスペイン人やオランダ人には英語もイタリア語もしどろもどろで相手にもされず、まあでも優しいスロヴァキア人とセルビア人(例の友達)、そしてローマで最初に知り合った日本人女性のサポートのおかげで次第に言葉を覚え、自信をつけて生活にも慣れていった。孤独には強いほうだけど、それでも最初の数ヶ月は正直キツかった。


日本食スーパーもないから中国製のKIKKOMANを買ったし、唯一日本人をたくさん見かけるといえば唯一の日系店ローマ三越にお買い物にくる日本人くらいだった。


そもそもローマに暮らす外国人はちょっと物珍しい部類だった。大方は数ヶ月遊びにきて帰ってしまう。ずっと暮らしている外人同士も積極的に混じり合わうことはしない。どちらかというと干渉しあわないといったほうが近いかもしれない。どこどこの誰々さん、っていうとあああの人ねくらいの認識はあるけど別に知り合いじゃない。または誰かを通して知ってる程度。



スペイン広場にいる営業やってる日本人もいたけど、超怪しかったから絶対に近づいちゃならないと言われていて、お互い何年住んでいるとか何をやっているとか、そういう質問も気軽にしちゃいけないという独特の空気が当時のローマには色濃くあった。なんでかというと、ほとんどが不法滞在だったからっていうのもある。それが当たり前だったからなんとも思わなかったけど、そうならないように滞在許可証だけは絶対に切らさないで身元を明確にしておきなさいとものすごく言われたから、学校終わってもその言いつけだけは守って適当に市民学校にカラ在籍して許可証は継続した。(これを維持し続けるプロセスこそが尋常じゃなく大変だったのだけど、、)





だけど、これはけして日本人や外国人だけに言えることじゃなくて、当時ローマはやっぱり怪しかった。イタリア人だって怪しかったし、警察なんかもっと怪しいし、四つ星ホテルのフロントマネージャーだって怪しいし、みんな半端なく怪しかった。怪しくて怪しくて絶対信用しちゃならなかった。だけどそれが普通だったので、「怪しいものなんだ」と思って生活してきたのです。
ナポリなんかローマよりも百万倍怪しい)






だからロンドンに行って本当に衝撃を受けたのです。
こんなに楽して海外って暮らせるんだ、と心から感動したのです。
嫌味のような言い方かもしれませんけど事実そうなんです。
洗練された大都会。
有色人種の人が普通にオフィスで働いている。スーツを着たビジネスマンがいっぱいいる。コピー品売ってるアフリカ人がいない(普通いないでしょうけど)。物価は高いけど物は豊富だし、便利だし、ローマで買えなかった最新のCDからジャズまでオールジャンルの音楽にも出会えるし、最新のファッションもウインドウショッピングできるし、学生ビザも一年出るからゆっくり暮らせる。余計な不安や心配に頭を抱えることは無用。
なによりも怪しくない。
なんて素敵な街なんだ!







だけど結局馴染めなかった。
一匹狼のわたしは学校が主催するエクスカーションにも興味がなく、不平ばかり募らせていたような気がします。その理由はロンドンとの相性が悪かったのもあるし、そもそも生活に余裕があったからなのかもしれない。金銭面という意味ではありません。365日危機感がないというか、切羽詰まったものがないというか。それを謳歌してもっと楽して生きときゃよかったのだろうけど、生来掻き立てられるものがないとダメなのかもしれません。イタリアにはもっと明確な目標があったから、怪しいなりにもたくましくなったのかも。今思えば、ですけどね。









さ、ロンドンの話はこれくらいにしようと思います。
もっと早めに終わるはずが、無理やり記憶を掘り起こしたらダラダラと長くなってしまいました。


またなんか思い出したら追記します。

もうないと思うけど。


バイバイロンドン。

一泊二日くらいならまた行ってみたいと思います。
モルトビネガーだけが恋しいです。