世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

マンゴー

こないだ久々にイタリア同窓会をした。
同窓会っていっても、近場で住んでいる人たちだけでささやかに。

友人の1人が横浜にお店を持っているので、土曜の夜にそこで集合したのだけど、実は今年の春に仲間の1人が突然亡くなってしまって、その追悼も込めた同窓会だった。とはいえ、終始明るい雰囲気のまま、しかも大半が泥酔しなんだかよく分からない会で終わったのだけど、しみったれた会なんてきっとあの世に逝った友人も嬉しくない。

当日、出かける前にふとあることを思い出して、昔の段ボールを引っ張り出し、当時のアルバムからいくつか写真を引っ張り出して家を出た。そして写真屋さんでお店の人に手伝ってもらって全部スキャンして一冊のアルバムを作ってみんなに渡した。その日同窓会に参加できなかった友人にも送った。



フィレンツェのバス停で朝陽を浴びながら眠そうな顔をしている私たち
ローマの郊外の小さなアパートでやってもらったサプライズパーティー
コロッセオのそばの汚くて暗くて狭いアパートでご飯を作ったキッチンでの写真
バカ顔
アホ顔
笑顔


今日、送った友人の1人からお礼のメールがきた。
今でも失ったことの重さを身に染みている。
人生はずっと続くからまたいつでも機会があるさ、と思ってしまうのは取り返しのつかない浅はかさだと今になって痛感しとても後悔していると。






亡くなった友人はそれこそ苦労の連続の人生だった。
調子がよくて面倒見がいいから好かれた。
でもやっぱり苦労の連続だった。

私はペルージャに行って間もなくに、顔見知りの紹介でその人と知り合った。
寒い冬の1月の雪が降る日だった。
中央広場を歩いている時に、あ、こんにちは、といった体で。

その時日本人の友達が誰もいなかったし、引越先のトラブルも重なり、ローマから越したばかりの私はわりと孤独な生活を送っていたから、そうやって日本人の人たちがたくさんいて、コミュニティーがあることにいささかカルチャーショックを受けた。ローマでは気楽な留学生なんてほとんどいなかったし、どちらかというと夢や憧れを持って必死に戦っている人か、あるいは夢や憧れに挫折して目的を失いつつもその日暮らしで生活してる人しかいなかったからだ。本当に困ったらあとでちゃんと手を差し伸べる。だけどそれまでは自力でなんとか頑張んなよ、って、そんな暗黙の了解があった。ローマとペルージャではその温度差が格別だった。日本人がいっぱい住んでいる学生街とはこういう感じなのかと、私はイタリアに行ってしばらくしてから知ったのだった。

もともとイタリアに行った理由はイタリア語を勉強したかったからではなかったし、その頃会話も大分楽になってきていたのでこれ以上必死に学ぶ必要性をあまり感じなくなってきたのと(今思えば偉そうな理由)、ペルージャの日本人コミュニティーや大学生活にどうしても馴染めなかった私は、勉強も中途半端のままキリのいいタイミングを見計らって古巣のローマに戻ってしまった。

その時にちょうど卒業を控えていたこの友人にローマでの仕事を紹介してあげたのが今日まで繋がったきっかけ。それから私もその友人を介していろんな人と知り合って交友関係を広げていったのだ。



ここ数年、誰かが亡くなることにリアリティーを全く感じられない。
寂しいし、悲しい。
だけどもうこの世にいない、ということがいまいちピンとこないのだ。



そして別れというのは、残された人の方がずっと辛い。
それが死別だろうが今生の別れだろうが。
本当に悲しいということは、流す涙の回数ではなく、ずどんとした心の重みがずっと続いていくことをいうのだと思う。






こないだ追悼飲み会でインドに住んでいる仲間の1人がおみやげで持ってきてくれたマンゴー。
木から直接もいできた、というインド産マンゴーは甘みを帯びて皮までその糖分が溢れ出てベトベトするほどで、紙袋からは芳香な香りが漂っていた。



イメージ 1





みんな一緒にいた時間はそれほど多くはなかったけど、お互い人生の通過点の中でとても大事な時間を過ごした仲間としての共有意識があるからこうやって繋がっている。たとえ相手がこの世にいなくなったとしても、そうやって心の中に在り続けるということは相手にとっても私にとっても嬉しいことだなと思う。


いろいろしんどいことなんて山ほどあったし、うまくいかないことばっかりだったけど、今となってはそんな時に誰かに助けてもらったこととか楽しい時間を過ごしたことしか思い出さなくなっている。

記憶の引き出しというのはそうやって辛いことは引き出しの奥に、楽しいことは手前に置かれるようになっているみたい。

とても都合がいいみたいに。