世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

汚い家

ペルージャ外国人大学に通うため、ローマからペルージャに引っ越したのは1月の冬のことだった。
 
アッシジと同じように、プッチンプリンのようなかたちをした丘の上にそびえ立つペルージャはとても寒い。
さっそく入学の手続きを行い、滞在許可証の手続きをし(本当はここでも事件があったけどこれはまた別の機会に)、アパート探しに取り掛かる。
 
 
イタリアの学生のほとんどはルームシェア、あるいはハウスシェアをする。
だから家探しは環境だけでなくどんな人と住むかが限りなく重要になってくる。とはいえ、初対面で相手のことを理解することは不可能だから、フィーリングに頼るしかない。
 
学生の街と言われるこの場所には大学斡旋の不動産があって、予算やロケーションに応じて部屋を紹介してくれる。ローマにはそんな便利な斡旋業者などなく自力で探さなくてはないので、このシステムにとても感動し、まずはここに部屋探しをお願いすることにした。土地勘のない見知らぬ街でこれを利用しない手はない。
 
 
 
 
 
大学から徒歩3分
メインストリートまでは徒歩5分
トイレ・バス(シャワー)・キッチン共同
一人部屋
1ヵ月 30,000円
電気代、暖房費別途
 
 
 
 
 
 
 
 
安い!便利!そう思ってさっそくその家を訪れた。
 
大学を出て少し坂道を登ると脇にそれる道があり、その狭い路地の一角にその家はあった。
大家さんは背の高いメガネをかけた30代後半くらいのイタリア人女性で、優しく私を迎えてくれた。
家は3階建ての石造り、1階はほとんど倉庫になっていて部屋はなく、2階がキッチンとバスルーム、3階に部屋が3つあるとても小さな家で、借しに出されていた部屋には小さな窓がついており、そこからはペルージャの歴史を感じさせるような古い家と冬でも陽射しの強い青い空が見えた。
だがよく見ると、部屋の中にはたくさんの私物がグチャグチャに広がっていて、明らかにまだ誰か人が住んでいるようだった。尋ねると「まだ女の子が住んでいるんだけど、来週にはもう出るの。だから全部片付けるから大丈夫」とのこと。多少狭いとは感じたが、歴史的な古いこじんまりとした立て構えと大家さんの人柄が気に入ったし、学校にも近いし家賃も安いので即決することにした。
 
 
 
さて、引越しの日。
私の荷物は山のようにある。
何と言っても一生イタリアに暮らそうと決意して日本から来たのだから、今思えば我ながら笑ってしまうが生涯分の荷物を持ち歩いているような感じだった。だから何度もキャリーに荷物を紐でくくってはローマを往復した。それを3階の部屋まで運ぶのは正直とても大変だった。私が到着した日は大家さんが待っていてくれたが、手伝ってくれるわけでもなくすぐに外出してしまい家には私一人が残された。
 
 
 
さて、部屋に入ってみると、想像と全く違うことにすぐ気付く。
まず、「あとで片付けるから」といっていた私物はほとんどそのまんま。
クローゼットを開けるとカビ臭いブランケットがグチャグチャになったまま置いてある。
そして、ものすごく寒い。
 
私はキッチンに降りて、これまで一度も目にしたことがないヘンテコな空調機のつまみをを確認してみたが、どんなに調節しても一向に暖かくならない。仕方がないのでダウンジャケットにマフラーをしたまま荷物の整理をする。散らかっていた私物はいったん全部へんな引き出しみたいなところにつっこみ、自分の服をかける。掃除機がほしいけど場所が分からないから大家が来るまで我慢する。
 
一息つこうと思ってキッチンにおり、エスプレッソマシーンをコンロにかけて、棚からカップを出した。
すると、棚にきれいに並べてあったカップの内側の底にはエスプレッソの跡がくっきりと残っていた・・・。これは洗ってないのかそうでないのかよく分からなくてしばし呆然としつつ、流しにいってスポンジで洗うとその汚れはすぐにきれいに取れた。しばらくしてエスプレッソを飲んで一息つき、マシンのコーヒーの粉を捨てようとゴミ箱を開けると、なんとそこには山のような生ゴミが大量に入っていたのである。床はしばらく掃除をしてないのか、埃だか塵がうっすらと積もっていて歩くとガサガサした。そしてその横に置いてあった猫の餌は、食器棚に置いてある皿と同じ皿に載せられ、ものすごい悪臭を放っていた。
 
 
 
 
嫌な予感がし始めた。
だけど、越してまだ一日だ。
何かを決め付けるにはまだ早い。
 
 
 
 
 
 
それから夜になり、部屋はどんどん底冷えをし始め、寒くていてもたってもいられなくなったのでシャワーを浴びることにした。教えられたとおりスイッチを入れ、シャワーのお湯を出す。シャワー室は見たこともないくらい狭く、脱衣所は物置さながらである。暗くて裸電球一個が固い天井からぶらさがっている。なんだか怖い。やがて数分立ったら今度はシャワーのお湯がだんだん冷たくなり始めた。そしてついには水になり、慌てて服を着た。
 
 
なんだかやるせない気持ちになってきた。
 
大家が帰ってきて、シャワーと部屋が寒いことは伝えたけど、生ゴミと洗ってないカップと腐った猫の餌のことは何となく黙っていて、そうしたら大家はもう一度優しく使い方を説明してくれたものの、次の日も、また次の日もシャワーのお湯はすぐに水になったし、キッチンは相変わらず汚いままだった。部屋に置きっぱなしの私物を片付けにくるわけでもなく、凍えるように寒い部屋は、窓から入る陽の光すらもすぐに冷たく凍らせ、学校から帰ってきても私はダウンジャケットに帽子、手袋にマフラーをして靴下を2枚重ねてルームシューズをはいて勉強し、シャワーに耐えた。あのキッチンを使う気にはとてもなれず、家で料理をするのはやめ、週末はローマに行き、友人の家に泊めてもらった。
 
 
とにかく汚くて寒い家だった。
汚くてだらしなく、何もかもが故障していても誰も気にしない家。
まるで倉庫の中で暮らしているみたいだ。
 
 
ある日、フィレンツェでレオナルド・ダ・ヴィンチの不朽の名作「「白貂を抱く貴婦人」が一般公開されると聞き、私は喜んで出かけた。その日大家がいなかったので何も告げずに出かけ、夜遅くにペルージャに戻った。
すると大家が鬼の形相で待ち構えていて、どこに行っていたのかとものすごく怒られた。
フィレンツェに絵を観に行った、と答えたが、同居してから一転、私も愛想が次第に悪くなっていったのを当然彼女も気付いていたのだろう、不満をどんどんぶつけてきた。しかし、幸運にも当時はイタリア語も複雑になるとあまりよく理解できなかった時期だったので、それをいいことに聞き流した。
 
 
 
 
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それから大家とは家の中で会ってもよそよそしくなってしまった。
家にいるだけでものすごい気が滅入り、何もしてないのに絶望的な気分になりそうだった。
あの凍えるような寒い部屋も、不潔なキッチンも、水の出る物置小屋のようなシャワー室にもうんざり。
私はすぐに別のアパートの物件を探し、数週間後に家を出て行くことを決めたのだった。
 
 
来た時と同様に、大きな荷物をまたキャリーにぐるぐる巻きにして、今度はタクシーを呼んだ。
何度も往復したくなかったのだ。
往復するたびに大家の顔を見たくなかったのだ。
彼女はカンカンに怒っていてとてもイライラしていた。私が自分のごみをまとめて家の中にある1階のゴミ置き場に置くのをみた大家が「自分で捨てろ!」と怒鳴りつけてきたが、しょせんゴミ屋敷みたいなものである。私は無言で2階に上がり、薄汚れたギンガムチェックのクロスがかかっているテーブルに家の鍵を置いた。猫の餌はいつものように汚れた皿に載せられ散らかり放題になっていたが、私があの家で猫を見たことは一度もなかった。
そのようにして私は出て行ったのである。
 
 
 
 
 
 
 
これは私がイタリアに住み始めて半年後の出来事。
だからイタリア語もあまりまだ理解できてないし、部屋の探し方のコツも知らない時の話。
最初にこの物件を見に来た時はそれほど汚い家だなんて全く気付かなかった。
知ってたら当然こんなところには住まない。
 
 
ペルージャで安定するまでは本当に道のりが遠かった。
家の問題もそう、滞在許可証の問題もそう。
とにかく労力とお金を使った。
そして精神的にも少しずつ参ってきた時期だった。
 
 
 
 
だけど、そんな自分を、この街の景色は何度も救ってくれた。
雪の降るペルージャは格段に美しく、霜が下りた崖とその背後にそびえる山々の景色には神々しさすら覚え、朝それを通学途中に見るたびに息を飲んだ。きっと自分は中世の頃から何一つ変わっていない場所にいるのだと想像するだけで、感動に胸が震えた。そして、初めてペルージャに足を踏み入れた日のことを思い出した。それはイタリアに来て初めて見る雪だった。ベージュ色の朽ちかけた古い町並みはうっすらと白く染まり、空との間の境界線を消し、それは今まで見たどんな雪景色よりも幻想的で美しく、現実とは思えないような光景が広がるこの街に住むことが出来て何よりも光栄だと思った。そんな風景をユースホステルの窓から飽きることなく眺めながら、遂に自分の目標に向かってようやく一歩近づき始めたんだと考えると、これ以上の幸せはないと心から思い、胸が熱くなって夢に焦がれたのだった。知り合いも誰もいなかったし本当に一人だったけど、それはけして悲しい孤独ではなかった。
 
 
 
 やがて春が訪れて、生活が少しずつ安定した頃に、目に止まったある一枚のポストカードを買った。
強い日差しが古い石畳の坂道を容赦なく照らし、まわりは時々静かに吹く風の音しか聞こえない。
これがペルージャの、そしてウンブリア州の美しさであり、
まさに今、私が目にしているものだというその光景をずっと自分に焼き付けておきたかったから。
 
 
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イタリアはなかなか簡単には心を開いてくれない。
 
だけど、イタリアの景色は絶対に裏切らない。
 
 
 
 
 
 
 
これだけは間違いなく断言できる。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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