世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

詩の宿題

エイミー・ベンダーの新作を読んでいたら、こんなくだりがあった。


「とうもろこし畑の絵を描いたら、先生はなんてとっても美しいとうもろこし畑なの、と言った。私は確かにとうもろこし畑をかいた。しかしそれはよく見ると穂の一つ一つがきらめくナイフがぶら下がっていて、真剣に見たならそれぞれの風景には何か悪いものが隠されていて『すてき』という言葉を使うのは間違っていることがわかったはずだ。授業評価の用紙が回ってきた時、私はこの先生は無能だから辞めさせるべきです、と書いた。」


先を読み進めながら、何となく子供の頃を思い出した。

子供の頃、小学校三年生の夏の日の宿題で「一行の詩(俳句だったかな)を書いてきてください」と言われた。
わたしは詩がとにかく苦手で、それから時が経て俵万智がベストセラーになって短歌ブームがきても、かっこつけて「リルケ詩集」なるものを買ってみてもどうも難しくて今日がサラダ記念日と言われても悲しい事に何とも思わなかった。


だから更に幼かった私に詩の宿題とはとっても高度な要求だったんです。

これが小学校三年生の、詩が苦手だったわたしがひらめきで作った宿題。


「海の上にもう一つ、空の海」


自分の作った(閃いた)詩に注釈するのは非常に気が進まないのですがあえて説明すると、海の上にはもう一つ、大きな空があってまるで海が二つあるみたいだねってことを言いたかったんです。

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すると先生がそれをみて言った。

「なにこれ」

わたしは黙った。

「どういうこと?」

わたしはボソボソと説明する。

「えー、もう一つの海なの?どこがそんなふうに見えるのかわかんない。」


この一言でこの先生が大嫌いになっちゃったんです。それからは全く心を許さなかった。
面倒くさい子供でしたね(笑)。



もともと自信がなかったから誉めてもらえると期待していたわけでもないし、流してくれてもよかった。

ただ単に「あっさりと否定されたこと」が悔しかったのかもしれません。


この詩は短冊みたいなのに書かされて教室の壁にしばらく貼り付けの刑になり、一番前の席だった私はみんなの作品と共に自分の書いたその短い一文を目にするごとに先生の言葉がリフレインし、自分の書いたのも先生の言葉もどちらも思い出したくないくらい嫌になってしまったのでした。


なんかこの先生とのこの会話をよく思い出すんですよね。
多分、一年に数回は思い出すと思います。なんでかはわかりませんが。


一つだけ言えることは、わたしは教師にならなくて良かったということです。