ある日隣りの席に派遣社員の人がやってきた。
隣りの席とはいえ同じ部署ではないので仕事で関わることもなく、特に会話もないまま数日が過ぎた。当時私は自分の仕事以外に三つの部署の案件を同時に抱えていてとにかく余裕がなく、上司からはかなり強めのプレッシャーを与えられていたので文字通り息つく間もなく働いていた。そんなふうに一日が終わる頃になってやっと、隣りの席の人の存在を思い出すのであった。
元気ですかと声をかけると、その人も慣れない仕事で余裕がなく、張り詰めた一日の終わりの会話がホッとするといった。それからはまるで空気のように隣りにいるのがごく自然な存在となり、私たちはじわじわと仲良くなっていった。
グアナファトはその人から教えてもらったメキシコの中部にある街である。
「マッチ箱を集めたようなカラフルな街」と見出しのついた雑誌の写真を見てすっかり度肝を抜かしてしまい、いつかメキシコに行ってみたいと言いあった。彼女は実際に写真家兼宝飾デザイナーみたいなことを生業としていて、派遣で働いているのはその個展資金を集める為だった。事実、彼女ならきっとストーリー性のあるかっこいい写真を撮ることだろう。
最後に会ったのはおととしの年末、12月29日に恵比寿にある和食屋さんでささやかな忘年会をした時で、毎年一年の終わりに会うのが私たちのルーティーンになってもう5年くらい経っていた。翌年は個展の10周年という節目を目の前にして、彼女は本当にやりたいことと今やっていることが完全に相反してしまわざるを得ない現実と空回りする人生をなんとかやり過ごしながら生活していた。その翌年は私の方が慌ただしくなり、せっかくの大事な節目の個展にも行けずじまいとなり個展もそれ以降開催していないのでずっと会えていないのだけど、はるか昔に一つだけ約束していることがある。
それは、万が一今後お互いそれぞれの事情で会えなくなる日が来たとしても、私は結局のところいつも味方でいることを忘れないでほしいということ。
人にはそれぞれ感情のコンディションがあるだろうし、様々な局面において優先順位や抱える問題も変わってくる。
相手も自分もみんながいつも同じ歩幅で歩いているわけではないのだ。
だからこうして会えずにいても不思議と不安もないし、
たまに思い出しては、ただただ、元気でいてくれたらいいなあと思う。
やるせない痛みや小さな絶望や悲しみを、溶かして流して憂いに変えていけるように。