世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ハバナ思い出手帳 その4「ホテルで」

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ホテルのそばの風景
(まだマシな方のエリアだけど)








ホテルのバルコニーで外を眺めていたら、宿泊客の人が話しかけてきた。

ブラジル人で若い女の子。
ボーイフレンドとキューバに旅行に来たのだそう。
たまに思うのは、南米の人ってわりと親日家が多いような気がする。
昔からそうだけど、よく懐かれることが多いのもそれが理由かもしれない。
私は超がつくほど人見知りをするし、自分から話しかけるなんてめったにしない。
だから相手から話しかけることで大方旅の道中の会話は始まることが多い。




で、そのブラジル人の女の子はカタールだったかの中東に家族と住んでいるのだそう。とても社交的で感じもいいし英語も流暢に話す。キューバは初めて来たけどとてもいいところだと言っていた。スペイン語ができるってやっぱり大きなアドバンテージだよね、と言うと、彼女もそうかもね~とうなずいた。

そこでハッと気づいたことがあって、南米って大きな大陸で、そこらじゅうを中南米までひっきりなしに人々が往来し歩き回っているから、キューバ人にとってスペイン語は世界の共通語だと思っていると言っても過言じゃないかもしれない。英語の必要性はある程度感じているだろうけど、別にしゃべれなくてもさほど影響はない。なぜなら観光客の多くは共通言語を話すからだ。そこがヨーロッパとは大きく異なる点だなってしみじみ感じた。ヨーロッパは大陸続きとはいえ、それぞれが異なる言語を話すのだから、考えてみるとそっちの方が不思議に感じてくる。




キューバの人って同じスペイン語でも話し方がちょっと強い。
しかもすぐ怒鳴る。
キューバを旅してこの数日でかねがね感じていたことを伝えた。

するとその女の子は確かにそうかもね、と言った。
「まあでも気にすることないと思うよ、多分悪気はないと思うから」

そうだねと私も同意しつつ、昔イタリア語もどなりあいのように聞こえるほどアクセントが強いとよく言われてたなあ。今はどうなんだろうかと考える。人々が共通言語を話し始めて時代がどんどん進めば進むほど、国そのもののアイデンティティーも同様に薄れていくものなのだろうか。それとも長く根付いた歴史と文化とマインドはそれほど影響は受けないのだろうか。言語が人類に及ぼす影響ってあるんだろうか、などとぼんやり考えて、再びイタリア時代を思い出すのだった。

なんでこんなに何度もイタリアを思い出すのだろうか。
そうだ。
キューバってどこか少し南イタリアに似てるんだ、多分。
昔のナポリシチリアの地方都市みたいな。





会話の終わり間際に、このあとはメキシコに行くの。初めての場所だからとても緊張しているんだけど、と私が言うと、彼女がこういった。




「メキシコは気をつけてね。すごく危ないし、彼らは騙しが上手だから」



えーーーー!!!!


そうなのーーーー!!!!????(やっぱり????)





私からすればハバナの方がうんざりするほど怖かったというのに、メキシコはその上を行くほどの恐怖が待っているのか。。。と思うと愕然とし、楽しい旅行のはずがだんだんどんよりしてきて、チャオと言って分かれた後あの蒸し暑くて薄暗い部屋に戻り、靴下が乾いたかのチェックをして(三日目でやっと乾いていた)お布団に入ったのだった。

どよーん。


※ネタあかしをすると、後日そのメキシコ感は大きく覆されることになります