世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

晴れたら空に骨まいて/川内有緒

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⭐️⭐️⭐️⭐️

 

これは実話に基づくドキュメンタリーです。

テーマは身近な人の死との向き合い方と散骨という方法を選んだそれぞれの家族の話。

 

 

納骨の基本というのは先祖代々之墓に入れて継承していくものだけど、近頃はそのスタイルも多様化してきました。散骨の場合は、撒いてしまったら自分の家にある故人の遺影だけが唯一の拝む場所になります。命日もお盆もお彼岸も七回忌法要も行くお寺もなく住職なしで家族だけで弔うスタイルは古い体質の自分にはちょっと馴染めなくて、本来はお墓に入れてあげるのが一番いいような気がしてしまう。一方で、お寺が地方にあったり遠くにあるとそれを継承していくのはお金と手間と労力がいるから、お寺問題はそのうちもっとベンチャー化してもいいのかも、なんて思いますが宗教がらみはそうもいかないか。

 

 

「この世に死神っているんだろうか。

生死をコントロールできない人間が生み出した想像の産物だと思う一方で、世界中にあれだけ死神にまつわる神話があることを思えば、やっぱりどこかに隠れていてもおかしくない気もする。

もし「いる」と仮定すると、突然やってくる急ぎ足の死神もいれば、ゆっくりじわじわ忍び寄るイヤな奴もいるようだ。うちの場合は、特に危険そうにも見えない曲がり角で、ヤツは待ち伏せしていた」

 

これを読んで悲しくなりました。

境遇が似てるので。

 

一方で、死神と同様にもし「この世に神様がいる」と仮定するならば、息を引き取る時は神様が連れて逝ってくれると思いたい。願わくば、故人の中から選ばれた選別メンバーも同伴でやってきて、枕元で待機してくれればこちらも安心して見送れる。

 

 

私は身近な人がいなくなるまで、心の中でずっと思い続けることが最大の供養だと思ってきました。いまでもその気持ちは変わらないのだけど、実際遭遇してみると世の中にはこんなにも深い悲しみってあるんだなと知りました。別に毎日泣いてるわけじゃないし、日々は過ぎていつもの日常に戻らざるを得ないのだけど、この悲しみというのは少し言葉では形容できないもので、自分をすっぽりと薄いベールで覆って常に寄り添っている感じがする。日々思い出すのは供養のためじゃなく、寂しさのためなんだと。

 

亡くなる人にとって死とはなんだろうと考えた時「それで終わること、以上終了」でそれ以外の何ものでもないんじゃないかなと近頃特にそう思う。楽しいことも辛いことも腹立たしいことも残念だったことも全てある日突然ブチっとシャットダウンしてしまう。つまり死というのは実にあっけないこの世の終わりの出来事であり、死後の出来事をどんな風に想像して考えるかは生きる者の勝手な想像に過ぎないのだと言うことを。

 

でも、そう思うと心にぽっかり穴が開くような気持ちにもなってしまうから、やっぱり死後の世界を今日もまた自分勝手に想像し、あの世で元気でいてくれたらいいと願うのでした。

 

 

「人生には悲しみを乗り越えてしか開かないドアがある」

 

 

そういうのが歳を重ねるほどに染みてくるようになった。若い時はそれが経験となって積み重なり価値観を形成して行く行程の一つになるのだろうけど、私の場合これから先は少し違った意味合いになってくるのかもなあって。

 

辛いことは誰にとってもwelcomeではないのだけれど、自分にもいつか訪れるシャットダウンの日までに、とにかく楽しいことだけを考えて生きたいと改めて思う。

 

 

 

 

川内有緒さん(女性)とは初めて聞いた作家さんですが、もともとはお勤め人で脱サラして作家になられたそうです。このようなデリケートなテーマで、ましてや実際の故人及びご遺族の話をまとめるのはとても大変な作業かと思いますが、事実における検証を丁寧にしっかり作り込まれていてとても読みがいのあるいい本でした。また、登場する故人の人生も大変興味深く、ご遺族の選択はどれも皆優しさと思いやりによるもので、テーマは重いはずなのにとても清々しい読了感でした。