世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

メキシコ旋風

こないだ読んだあるコラムがとても潔くて共感できる話だったので写真撮って保存してます。何度読んでも説得力がある。著者の佐久間さんという方は実際いまもアメリカに住んでらっしゃるそうで、その現地でみるリアルな感覚に心から共感しました。

 

 

 

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私もメキシコ行ってみて思ったのは、想像していたよりも穏やかな国だったなあということ。もちろん危険と隣り合わせの二面性も完全に否定はできないけど、そんなところもちょっと前のイタリアにすごく似ていました。それでも10年以上前のイタリアは日本人観光客が山ほど訪れていたことを考えると、メキシコはなじみのない立地や距離感(実はヨーロッパ行くのとあまり変わらない)と先入観により、日本人が気軽にいける場所ではないという思い込みが観光客の足を遠ざけているのかもしれないなと思いました。私たちが(というか私の場合)メキシコを連想させてきたリソースは一体なんだろうと考えればほぼ映画なのであり、映画以外にメキシコの情報を知り得ることは日常ほぼありません。そしてその映画のほとんどがアメリカ映画であり、それらのアメリカ映画は大抵の場合脇役のメキシコ人が登場し、時には不定を重ねる庭師だったりサボテンの下に遺体を埋めるギャングの手下だったり麻薬の運び屋だったり、とにかく悪者のパターンが多いので、「メキシコはおっかねえ国だ」と刷り込まれているような気がします。

 

もしそうであるならば、我々(私)は完全にアメリカのプロパガンダにすっかりほだされ続けてきたのではないか、というのがメキシコに行って感じた今のところの感想です。

 

あとはメキシコにお金がないから観光誘致ができず現在に至っている、という事実もあるのでしょう。いつか日本の何処かでメキシコ政府観光局の宣伝を目の当たりにできる日を心待ちにしたいと思います。ほんとにいいところだから。

 

 

 

だからと言って安心はできません。このブログの「メキシコ」記事の冒頭でご紹介したような身ぐるみ剥がされて麦畑に捨てられた駐在日本人の話もそうだし、実際訪れた町では「マフィア紛争で先週この辺りで20人亡くなった」と聞いたこともありました。メキシコシティにも「絶対近寄ってはならないエリア」というのもありました。

一方でそんな事実とはうらはらに、人たちや風景はとても穏やかで、時間がゆっくり流れているどこか懐かしいような風景を感じ、いつかとてもリラックスしている自分がいたました。不思議です。

 

 

 

 

 

私はイタリアのローマに何年か住んでいたことがあって、その時は引越しばかりしていたから高級住宅地に住んだこともあれば、貧乏人と不法滞在者が住む吹きだまりみたいなとこに住んだこともあります。 当時外国人が住むところを借りるのは本当に大変で、我々に選ぶ自由なんかなかったので部屋を借りられればなんでもよかったのですけど、イタリアの治安の悪さも次第に防衛本能が身についてさえいけばなんとかなりました。むしろ、「自分という人間がここにいる」という堂々たる態度と存在をひとたび認識さえしてもらえば、それがどんな貧乏人と不法滞在者の吹きだまりだろうが麻薬常習者が徘徊していようが全く害がなくなることを骨身にしみて実感し実践してきたのです。これはなかなかタフなことなので、もしイタリアに住んでいなければ経験する必要もなかったかもしれません。その地域に住み、顔なじみになり、認識してもらうことはとても大事なこと。今でもそう思います。つまりテリトリー社会なんですよね、あそこは。

 

 

 

メキシコもなんとなくそんな印象がしました。

だからなんとなく懐かしさを感じたのかもしれません。

イタリアのようなとげとげしさはメキシコにはないような気がするけど、その辺のところは住んでみないとなんとも言えないかな。

 

 

 

 

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というわけでまだまだ自分の中では去年の旅行の余韻が抜けていません。すばらしいヒーリング効果です。

 

同じ時期に行ったチェコもめちゃくちゃ楽しめたのでそちらもかなり印象深いんですけど、まだまだ心の中ではメキシコ旋風が駆け抜けております。

 

 

旅は自分にとって一番コスパのいい投資。

だからこうやってブログにたしなめ、自分の記憶をとどめるために書いています。

長生きして85才くらいになってもきっと懐かしく振り返られるように。