世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

テナントー恐怖を借りた男




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テナントー恐怖を借りた男 (原題:LE LOCATAIRE(1976))

監督、脚本、主演:ロマンポランスキー



(あらすじ)
「チャイナタウン」の後、スキャンダルに疲れ再びフランスへ戻ったポランスキーが自作自演で描く異常心理サスペンスの佳作で、日本では劇場未公開のままビデオのみの封切りとなった。
古びたアパートに空き部屋を見つけたトレルコフスキー(R・ポランスキー)は、前の住人が窓から飛び降り自殺を図った事を聞かされる。彼はその女性-シモーヌを病院に見舞い、そこで彼女の友人と名乗るステラ(I・アジャーニ)と知り合う。やがてシモーヌは死に、その部屋に越してくるトレルコフスキー。部屋にはまだシモーヌの痕跡がそこかしこに見られ、壁に開いた穴の中には彼女のものと思われる一本の前歯が隠されていた。そして、向いの窓には奇妙な人物の佇む姿もあった。不安な中で始まる新生活。わずかな物音でも隣人から苦情が発せられ、口うるさい家主(M・ダグラス)と無愛想な女管理人(S・ウィンタース)もトレルコフスキーにとって脅威となっていく。やがてタバコや飲み物といったトレルコフスキー自身の嗜好も変化し、彼は周囲の人々によって自分がシモーヌに変えられていく事を感じ始めていた。被害妄想は次第に膨れ上がり、ある夜、その妄想は現実と化す……。

(今回はalcinema解説より抜粋させて頂きました)





去年の暮れにamazonでVHSを購入し、今年の「観初め」映画となりました。






一言で言うと、とてもおもしろかったです。
ホラー映画というよりもサスペンス映画ですね。
1970年代のパリにある古いアパートが舞台、これがこの映画の大きな仕掛けとなります。
ありとあらゆる見知らぬ住人がひっきりなしに訪れては部屋のベルを鳴らす。見知らぬ他人と住むアパートの閉鎖的な人間関係や共同社会が、不気味に皮肉めいて示唆されていて、だんだん被害妄想が肥大化していき、どれが現実なのかウソなのか、主人公だけでなく観ているこちらも分からなくなってくる、という展開。
主人公に完全に同情していたはずのこちらも、徐々に違和感を感じ始めていく。

そして私たちは一人称にも三人称にもなりえるのです。

このあたり、「ローズマリーの赤ちゃん」と手法がとてもよく似ています。

おそらくこの感覚がポランスキーのうまさなんでしょうね。



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この映画の中のトイレがまた怖いのなんの。
絶対に誰かについてきてもらわないと行けないようなトイレ。


私が短期で住んでいたLa Chapelleのアパートもトイレは共同でした。
鍵穴はのぞくと廊下が見渡せるほど大きかったのでそこを伏せるためにいつもタオル持参したものでした。昔はトイレが共同なのは一般的だったようです。炊事場もしかり。




あと、パリのアパートって必ずといっていいほど中庭があるんです。
その庭の空間を境にお互いの窓がズラ~と向かい合わせで並んでいるので、正直どういう人が住んでいるんだろうかってすごい興味があるのは事実です。いつもカーテン開けっ放しにしてる部屋もあれば、それをいつものぞいている人も見た事があります。毎日同じ時間にテーブルで食事をするカップルもいれば、「みてくれよ」と言わんばかりに高級でおしゃれなインテリアの部屋もあります(私も結構のぞいてますね 笑)。



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例えばこの窓。


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この向かいの部屋の人はいつも朝早くから洗濯を干していました。
ああやってハンガーにかけて桶から濡れた衣類や、時にはシーツまで。
パリでは洗濯物を外に干す習慣がないので(マナーとして)すごくめずらしいなと思っていたらここに住んでいるのは中国人のおばあさんでした。どおりで電気も蛍光灯だったのか。天日干しの方が好きな気持ちがよく分かるのは同じアジア人だからなんだろう。それにしても異文化同士のアジア人とはいえ、共通点はやっぱりあるものなんだな、などとといろいろ考えたりしてしまいました。窓には毎朝、孫娘だかなんだかしらないけど、ベビー服だけはいつもヒラヒラと舞っていました。



そういうことなんです。

この映画の恐ろしさって。


誰しもがもっている「日常の興味」をサスペンスに仕立て上げ、対極する人間のおそろしさと妄想癖を見事に描いたポランスキー、やっぱり天才!


ただし、のぞきは度を超えると変態になりますのでお気をつけて。




本日の教訓

「地デジの下取り、VHSだけは死守をせよ」


テレビは観れなくなってもビデオは観れますからね。