自分で探すのもめんどくさかったし、気に入らなかったらその時自分で動けばいいと思っていたので。
前述の通り、日本人がいないことを条件にしてあてがわれた家は、インド人の旦那様とマレーシア人の奥様、そして二人の兄弟が住む家だった。さらに、スイス人の女の子とスペイン人の男の子、コロンビア人の女の子がすでに住んでいた。お風呂とトイレ、キッチンとリビングはシェア。(ただし大家一家はもう一つバスルームがあったようです)
ヨーロッパはおおかたそうであるように、洗濯機は使用禁止。
お湯を使って洗うから電気代がかかるだとか、洗濯機がすぐ壊れちゃうからだとかいろいろ説はあったけど、衛生的な面で嫌だったのかもしれない。
イタリアにいるときはほぼ手洗いしていたけれどロンドンはそういうスペースがないからそうもいかず、ランドリーへ通っていた。洗濯物がまた重くて。。。近所だったからよかったけど、乾燥機は信用していなかったので(ドラムの乾燥機はすぐ縮む)家に持ち帰って乾かしていた。
家賃は週払いで、たしか40ポンドだったと思う。
光熱費と水道代込みで、朝食はつけなかった(つけると5ポンドプラスになる)。
どうせ薄っぺらい食パンとヨーグルトしかないんだし。
40ポンド、当時だと6,800円くらいだったかな。
私の部屋は屋根裏部屋だった。
Tのかたちをした不思議な間取りで、小さい窓からはわずかな日差ししか入ってこなかったけど、こじんまりしていて部屋は暖房がとても効いていて暖かかったし、みんなの部屋から一番離れていて(屋根裏だけに)隠れ家みたいな感じが気に入った。そしてラジオを買いたいのだけど電気屋さんが近くにないかと言ったら、大家さんが使っていないコンポを貸してくれた。
大家さんはすごく親切だった。
アジア人だという理由からなのか、特にマレーシア人の奥様(すごく背が高い)はとても良くしてくれて、自炊派だった私にいつもお手製のキーマカレーを分けてくれた。これがまた本当においしくて、一緒にキッチンにいて他愛もない世間話をした。私の英語はおそろしくイタリア語訛りで日本人なのに不思議だとよくからかわれた。ミッフィーという大きな気難しい猫がいて、奥様にすごく懐いていたのだけど私にはお腹が空いたときしか寄ってこず、それ以外の時はものすごい警戒され、なかなか心を開いてくれなかったミッフィーちゃんだった。
週に一度、屋根裏部屋の部屋に掃除機をかけた。
毎週土曜日の朝に。
ロンドンの家は全部絨毯だし(お風呂も絨毯!)、靴で歩いたりすることもあるからさすがに抵抗がある。
あの巨大で重たいバキュームを1階の物置から3階の屋根裏まで担いで持って行く姿をみて心を打たれたのか(打たれたのか??)、大家さんはそのうち「朝食代5ポンドいらないから朝ごはん食べて、だけど他の子には内緒よ」と言ってくれたり、しまいには家賃をまけてくれたりもしたのでロンドンでの住まいは一度も変えることなくそこに住み続けた。私が三ヶ月留守にすると言った時も、屋根裏部屋をそのままにしてくれて、荷物も預かってくれた。
海外でいきなりこんな親切な人に会うことがないので、ちょっと忘れられない。
イタリアでは鬼の引越し人生で、日本に住所を教えることすらもう追いつかないくらい引越しまくっていたので、ロンドンでこうやって腰を据えて暮らすことはとても幸せだったのだと思う。
最寄駅はNorthern LineのGolders Greenというところ。
たしかZone3だったような気がする。
忘れちゃったな。
ロンドンの地下鉄はゾーン制で料金が異なる上に、結構高い!
学割で定期毎週買ってたけどそれなりのお値段だった。
いくらだったか忘れたけど。
ちなみにゴールダーズグリーンとは、日本人とユダヤ人が多く住む界隈らしい。
つまりリッチなエリア、と聞いたけど別にそんなことなかった。
治安は悪くなかったけど、南京錠買ったらユダヤ人に超ボッタくられた。
やっぱりどこいってもユダヤ人だなと思った。
駅前。
懐かしい。
次回はダブルデッカーについて書こうかな。
とりあえず今日はおしまい。