世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

イタリア人に道を聞くなら三度聞け

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ローマからペルージャへ移動する日のこと。
ティブルティーナ駅から、プルマンと呼ばれる長距離バスが出ているのでさっそく向かう。

チケット売り場で切符を買う。
しかしバスがどこから出発するかが分からない。

イタリアって本当に不親切なんです。標識がない。
全ての情報は皆無に等しいんです。
路線バスもそう、停留所に○○行きなんて書いてないし、当然社内アナウンスなんてない(あるわけない)。
「次停まる」ボタンを押しても運転手がボーッとしてるから降りたい停留所を素通りすることもある。(そういう時は運転手さんにとまれーと叫ばないといけません)

じゃあどうするかって言うと、誰かに聞くしかないんです。

その日も近くで談笑している運転手さんのかたまりのところへ行き、ペルージャ行きのバスはどこから出ますかと尋ねると「あっち」とだけ言われた。

あっちってどこですかと聞くと「あっちだよあっち」という。
見ると「あっち」にバス停がポツンと立っているのが見える。
あぁあれですか、と言うと「そうそう、あれ」という。

「あっちのバス停」で待つ。
時刻表はあってもないようなものなので、待つ。

すると、遠くで何台かブルーのプルマンが待機しているのが見える。
談笑していた運転手の何人かがタバコをポイッと捨てて乗り込んでいく。
まだこないな~と思ってると、そのうちの一台が発車する。
私のそばを通り過ぎる。
チラ見する。

すると・・・・
目の前を走り去ろうとするバスの脇に「PERUGIA」と書いてるではないですか!!!!!!!

ちょっとーーーーーーーーーーーーー!!!

バスは黒煙を上げてブルブルブルと走り去る。

わたし、その日は新しく借りる部屋の大家さんとのアポがあったのでどうしてもそのバスに乗りたかったんです。本数も少ないから、逃したらアウトなんです。

さっきの運転手の談笑のところへ走った。
「ちょっと!あっちじゃなかったじゃない!!」と言うと「あれ~そうだった?」

パンチパンチパンチ!!!
手のひらに釘を刺してやりたい気持ちをどこへぶつけたらいいのだ。
チケット売り場に行き、払い戻してくださいと言うと、「ハ!払い戻し?冗談でしょ。」と言われる。
間違えたのは私じゃなくてそちらの責任だから当然の権利でしょ、どうせもうバスには乗れないんだから。というと、受付嬢は鬼の形相で逆ギレ。美しい人が一転、鬼ババみたいですごい怖かった。

結局私はどうしたかというと、たかがペルージャごときに行くのにユーロスターに乗り、
高い運賃とバス代をダブルで払うはめに。
貧乏学生にこれはかなり打撃でした。
一生懸命働いて稼いだお金ですし、これから学費の面でもっとお金がかかる時期だというのに。

しかし本当はお金の問題じゃなくて、「一体この人たちをどこまで信用できるのか」って話になります。

ティブルティーナ駅の地下道を歩きながら、若かった私はなぜか涙が出てきた。
だからあの駅に行くと必ずその日のことを思い出す。大好きな国に失望する時の気持ちって辛いもんです。
もちろんこの事件だけじゃなく、それまでも積み重なってきたものがありましたから爆発しちゃったんでしょう。
見知らぬ国に行った不安や孤独や焦りとか。せめて公共機関だけはまともであってほしいという願望とか(笑)。

この一件で、それまでイタリアに遠慮がちだった初々しい私は洗礼を受け、
サバイバルなイタリアで生活していく術を身を持って学んでいく事になります。

この話を友人にしたら、
「イタリア人に道を聞くときは、3度聞けっていうからね」と言われました。
その通り。
信じてはいけないのです。
これはすばらしい格言だと今でも思っているし、基本的に他人は絶対信用しない事にしています。これは自分の身を守る為には必然的な条件です。悲しいかもしれないけど、そうでないとイタリアではもっと悲劇にみまわれることになりますので。

日本とイタリアの大きな違いはここだと思います。
「信用性がゼロ」


つまり、誰も本当のことなんて知らないんですよね。たらいまわしなんてしょっちゅうで、
最後には何でか分からないけど「あなたが悪い」と言われちゃうはめになるんです。
何が悔しいって、結局泣き寝入りするしかなくなっちゃうこと。理不尽、矛盾を全て受け止めるしかない。正論や常識などは一切を捻じ曲げられてしまう。

思えばペルージャまでの道のりは、本当に遠かった。
まだまだエピソードはありますが、それはまたいつかの機会に。

おそらくこういう話はイタリアだけに限らないのでしょうが、少なくとも私の経験上ではイタリアはダントツ!
きっとパスタの食べすぎで脳みそのびちゃったのね、ボナペティート。

チャオチャオ☆彡