期待や不安でいっぱいだった。
だけどそれと同じくらいに楽しみで仕方がなかった。
これから先はまだまっしろで、そこに夢を描いていくことに言葉では言い表せないほどの生き甲斐を若いなりにも身に染みて実感した。太陽は強く、風は爽やかで、ローマの騒音や雑踏がむしろ不安な気持ちをかき消してくれたような気がする。爽やかな木々や流れる小川のせせらぎなんかを聞くような環境だったら途端に不安で押しつぶされそうになったかもしれない。
多分その頃からだと思うんだけど、決まりきった将来は私にとっては退屈以外の何物でもなく、自分のやりたいことを徹底してやり遂げるんだという確固たる信念みたいなのがあった。もちろんその分乗り越えなくてはならない障害もたくさんあったけれど、ケーススタディとしての経験値はある程度重要だなと最近特にそう思う。
まだ若かったし、なんだかよくわからなかったのだけど、無知というのは時に大きな勇気をくれるものですね。
あてもなく、ただブラブラと、ローマの町を歩き始めた時の出発点がここ。
サンタマリアマッジョーレ大聖堂。
ローマに移住した理由はここでは明かさないけど、夢があったんですよね。
絶対にかなうと信じ切ってた。
結局かなうことはできなかったんだけど。
教会の正面。
この辺は特に物騒で、中東やアフリカ、ロシア系、中国人の外国人がとにかく多い。この界隈に古くから住んでるイタリア人はそういった外人ととにかく仲が悪くむしろ憎んでいるといってもいいくらいかもしれない。だから、優雅に散歩して教会の前でのんびり過ごすなどといった憩いの場ではけしてない。
左にいくと当時の悪名高きヴィットリオ広場。
右にいくとなんだっけ。
確かVia Verdeとかいう通りがあって、たまにいく韓国料理店があったところ。
この界隈の小さなモノノカーレ(=いわゆるstudio、日本で言うワンルーム)に友人が住んでいて、うちのアパートがお湯が出なくなった時にシャワーを使わせてくれた。
サンタマリアマッジョーレの前にあるスーパーチェーン、ウピム。
日本のイーオンみたいな感じです。
市場が閉まってる時は大体ここで買い足し。
今回もここで買い物をしたらゲイみたいな店員さんが「悪いけど袋は有料になっちゃったのよ」というので、まあ世界中どこいってもそうですからね、と答えると「でもアタシはいまだに慣れないわ」と言っていた。
イタリアももちろん昔からスーパーなどのビニ袋は有料だけど、紙袋とかは無料でくれていたのがそれすらも有料になったよという話。
Casa del Rosario
宗教グッズはここがローマで一番安い。
ある意味時代が止まったお店なので、ハガキとかガイドブックとかも「これは何世紀前のですか」とツッコみたくなるほど古めかしいけどその分安い(当たり前か)。
バチカンあたりのお店の半額以下で売ってる。
衝撃のダサいおみやげを見つける確立、かなり高い。
だから好きです、ここ。
同僚のおばちゃん、メリーもお気に入りだった地元激安スーパーのそばからみるサンタマリアマッジョーレ。
よく信号待ちしたところからながめるサンタマリアマッジョーレ。
(あの角にあった文房具屋さんBuffettiがなくなっていて超ショック)
内部。
ほとんど入った記憶がない。
多分だいぶ前も書いたと思うので省略しますが、ここはローマ4大教会の一つ、ローマ教皇とは縁のある由緒ある大聖堂。周りは乞食とかジプシーとかうじゃうじゃ歩いててイタリア人が住みたくない界隈No.1だと思うけど、ここはれっきとした権威ある教会です。
サンタマリアマッジョーレ=最も偉大なる聖マリア
実は私も知らなかった、これはどなたの聖体なのかしら。
コンフェッションルームは各国の言語対応。
神父様は数人がいねむりをしていた。
おじいちゃんだから仕方がない。
バチカンに負けじ劣らず、ここも立派な大天蓋がありました。
ローマ大聖堂めぐり、おすすめ。
他にもサンジョヴァンニ大聖堂、サンパウロ大聖堂なども圧巻。
サンジョヴァンニ・・・。
すぐそばで大きい蚤の市やっていて、あそこは毛皮の古着が有名。
何度か行ったけど、そこの蚤の市のイタリア人に secca secca と言われて傷ついたことを思い出す。今でもあれを言われると傷つくんですよね。って、今は当時ほど痩せてはいませんが。
チャオ。