世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

アリス

スポットあてます。
この、評価も評判も何もかも低い映画に。

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Alice (1990/アメリカ)
監督 ウッディ・アレン
主演 ミア・ファロー

(あらすじ)
豪華な暮らしをする一人の主婦が、本当の自分に目覚める話。以上。

1. 配役
この映画ではウッディ・アレンは出ていません。全てミア・ファローがその代弁者となって活躍します。
他にはアレック・ボールドウィンが昔の恋人役として、ウィリアム・ハートなども出演しています。

2. 音楽
まず筆頭すべくは「音楽」。たまらなくいい。
自然に馴染んでます、ウッディならではの抜群の選曲です(ジャズとクラシック)。彼はジャズをこよなく愛しているので、自分の好きな音楽をとことん映画に注いでいます。この辺りはスコセッシと同じ。

3. それぞれの経験に対する問いかけ
ウィットに富んだジョークは90年代に入っても健在。ただし、本人が出演ではないし、女性が主人公でもあることで少し控えめになってますが、随所で笑わせてもらいました。ウッディのコメディというと、皮肉たっぷりのイメージかもしれないけど、こうやって作品を観ていくうちに、けしてそればかりではないということがよく分かります。今回はちょっとファンタジーチックになっていて、現実モノが好きな私としては借りる前に「どうしよっかな。」と思ったんだけど、ファンタジーなのにはちゃんと意味がありました。

ミア・ファローは処方されたある薬を飲んで、透明人間になったり幻想を見たりするんですが、
そこで現実を目の当たりにするのです。

今の夫婦生活は本当に幸せなのか。
その友情は本物?
両親は?
兄弟は?
愛情は?
自分がもっと幼い頃に抱いていた信念は?

簡単に言ってしまえば「失ったものを取り戻す」ってストーリーなんだけど、そこを彼らしく色づけるのが、ウッディアレンのなせる業。『クリスマス・カロル』のような次元空間の移動にちょっと似ています。
昔の恋人と幻想の中で、二人の時代を回顧しながら踊るシーンはとっても良かった。グッときた。
世の中全てがこういうのではないにしても、誰かの心の中にはああいう気持ちってあるんじゃないかな。

4. ウッディ・アレンの言葉
ドクター「テート婦人、今日はどこが具合が悪いのかな。」
ミア   「ダブルパンチを食らいました。夫も浮気相手も、もう私を望んでいません。」

(薬を処方してくれる中国人ドクターのセリフ;抜粋)
愛か。愛は一番複雑な感情でね。人間とは気まぐれな存在だ。感情に理屈はない。理屈がなければ思考もない。思考がなければロマンスは生まれやすいが、悩みもまた多くなる。悩んで解き放たれようとするのが不安?自由には不安がついてまわるものだ。それは、あなたが決断を下すのだ。人生のどの道を選ぶかをね。

こうやって読めば、当たり前のことなのかもしれないけど、人って言うのはその当たり前のことに案外気付かないものなんです。不思議だけれど。
そしてこういうセリフの一つ一つに、ウッディの言いたい事がギッシリと詰まってる感じがする。
この人の作品を観ると、必ず観終わった後に、なぜかほんわかとした気分になります。とってもコミカルで、ビシッと決めるところはさりげなく。伝えたい事をうまくセリフにしていて、押し付けがましくない。

彼はジューイッシュで、カトリックではないのですが、今回は敬虔なカトリック信者の主人公が出てきます。そのあたりを見ても、彼がいかに宗教に対して興味深かったのかも分かる。幅広いですね。
またこの時代の映画の舞台はいつもニューヨークです。地元で育った彼がいかにニューヨークを愛しているかも、彼のこの頃の作品を観ると痛いほどに伝わってきます。

ハイソな生活に世間のゴシップ。
浮気の本音と男女の関係。
彼はこういうネタにすごく強く、それでいて柔らかい。毎回やられちゃうのでかなりハマってます。これまでで今のところのベストはやっぱり「アニー・ホール」だけど。

(あるシーンでのセリフ:抜粋)
「セリフには二つの機能がある。
小説における、内向的に思考する一面と、演劇や映画における外面的で豊かな表現をするということだ。」
なるほどねー。

最後に。
この人は毎年一本、決め事のように映画を作っていました。
売れようが売れなかろうが、評価があろうがなかろうが。
そして、心の中で鬱積していく気持ちをこうやって吐き出していくことがたまらなくやってみたかった、やっていきたかった人なんだと思いました。
そして、世間に流されない自我をきちんと持っている人なんですね。

次は何を観ようかな。
やばい、寝なくちゃ!!ボナノッテ☆彡

(注:これは私のメモ代わりのようなものです。忘れたくないから一気に書いただけなので流し読みでOKです。)