世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

カイロの紫色のバラ

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カイロの紫色のバラ 1985年 (原題:Purple Rose of Cairo)

主演:ミア・ファロー、ジェフ・ダニエルス


(あらすじ)
大恐慌時代に生きる不幸な結婚生活を送るシシリアの唯一のなぐさめは映画。
「カイロの紫色のバラ」という映画に出てくる探険家に一目ぼれ、何度も何度も映画館に足繁く通う。
するとある日、いきなりその探検家がスクリーンから現実の世界へと飛び出してくる。いつも観に来てくれている彼女に一目ぼれしたというのだ。

-あぁ一体何が起こっているの?訳がわからないわ。
-僕はいつもスクリーンの中から君をみていたさ。気付かなかったのかい?
-でもあなたは「コパ・カパーナ」のステキな歌手と結婚するじゃない。
-本当は嫌だよあんな女。大体ちょっと痩せすぎだしさ。


一方でその探検家を演じた本物の役者までもが登場し、二人がシシリアに恋に落ちる。
迷ったシシリアの決断は・・・。





ウッディ・アレンの14作目となるこの作品は、夢とロマンスの詰まった娯楽映画。

なんだけど!!

そこはやっぱりアレンの作品だけに、最後はどんでん返しでした。
「全ては夢と幻。その中で私は生きていけない。私は現実の中で生きているのよ。」と虚像の彼に別れを告げ、現実の彼を選んだシシリア。
ところが、彼女が選択した人生こそが本当の幻にすぎなかった。
ウッディ・アレン、あなたはこういう手法が本当に好きなのね!

そのラストをBGMに流れるCheek to Cheek を聴きながら、「このあと彼女は一体どうするんだろう」と考えさせられ、更に「私だったらどうするんだろう」と、気付いたら同じように悩んでいた。そして、同じように失ったものの大きさに初めて気付くのだった。なんておばかチャンだったんだろうと。
でもそれは、絶対に二度と戻っては来ない。
ついさっきまでそこに確かに存在していたはずなのに、それは海辺の砂のようにサラサラと指の隙間から流れ落ち、気付くと水にのまれて、あっという間に消えてなくなってしまっていた。


ラストシーン、そのミア・ファローの表情にあるは、単なる「無」。
そこはかとない絶望感に陥ったら、人は皆きっとそういう顔をしているのかもしれない。


ある意味完璧なラスト!


この監督兼俳優兼脚本家のウッディ・アレンという人の頭の中は、果てしなく無限だ。

本来映画ビジネスというものは、莫大なバジェットと想定された興行収入に基づいて製作される。ストーリーにしても、時に見えない闇にコントロールされる時だってあるだろう。
けれどこの監督はそういうものに真っ向から対抗した映画作りをしている。関係ないのだ。
やりたいものをやらせてもらう。
そういう真摯な気持ちが十二分に伝わってくるから観ていて気持ちがいいし、ストーリーだって面白い。

だからちょっと書庫を整理して、ウッディ・アレンオンリーワン&私の勝手な個人的見解に基づいたコーナーを作りました。これまでみた作品もちゃんとレビューして自分の記憶にとどめておきたいと思ったし、またいつかもう一度観たくなった時の参考として書き留めておこうと決意しました。


(今後のラインナップ)
ハンナとその姉妹
・マンハッタン
・夫たち、妻たち
・マッチポイント
メリンダとメリンダ
・ウッディ・アレンの重罪と軽罪


それぞれみーんな個性があって良い映画だった。これから合間をぬってレビューしていきます。


彼の作品には、いつも彼なりの美学と哲学がある。
変わらないスタイルがある。
それを固守できることも、一つの才能だと思う。