これおもしろかったー。
当時黒人差別のあったアメリカで、ジャズマンだった黒人ピアニストの運転手として白人アメリカ人が雇われるという話なんですが、だんだん心を打ち解けあっていくというありきたりな友情物語が胸を打ちました。
ピアノコンサートでこの天才的な黒人ピアニストがいった言葉、「客のほとんどは自分たちの演奏を聴きに来てるんじゃない。演奏会に来ることが教養だと思って私たちを利用しているだけなんだ」というのが響きました。
初めは黒人差別をしていた下品でどうしようもない白人運転手もハートだけはあったかかった、という設定がいかにもアメリカ映画ならではだなとも思いましたけど、内容はとてもいい映画でした。下馬評通りで大満足!
⭐️⭐️⭐️⭐️
スティービーワンダーのある歌に「僕の妹が来ていたお古のぼろ服はいつも清潔だった」という歌詞があるのですが、つまりどんなに悲惨な運命を辿ろうが生き方に対する自分の姿勢みたいなのが何より大事だという比喩なんだと思うのですが、そういうのってかっこいいなと思います。
ちなみに黒人っていう日本語、あまり使うの好きじゃありません。日本語は相手のことを軽々と黒人、白人って使い分けるけど、自分たちのことを決して黄色人種とは言わないですよね。逆に「天才黄色人ピアニスト」なんて言われたらどうしてもおちょくられてる感が否めない気もしないでもないですけどどうなんでしょう。
昔ローマでインターネットカフェに行った時に、店内がすごく混んでいて順番がいつ回ってくるか分からなかったので「あそこに座ってる黒人の人= Quella persona nella che si siede di la'」が終ったら声かけてと言ったら、ネットカフェのオーナーに「シニョリーナ、人を色で呼んではいけないよ」と注意されたんです。「そっか、じゃあこの場合なんて呼んだらいいの?」と聞いたら「di colori=有色人種」と言えば大丈夫と教えてもらったのです。それ以来わたしは頑なに「色分け」を拒んできたのですが、今回は便宜上どうしても必要だったので解説で使わせてもらいました。日本語ももう少しどうにか時代に沿った表現にならないものなんだろうか。