世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

マージョリー

ロンドンの学校は破格的に安い学校だったので、言っちゃ悪いけど貧乏な外国人しかいませんでした。トルコ人ポーランド人、南米人が圧倒的に多く、あとは少しでも物価の高いロンドンで節約できればそれでいいという欲のないアジア人くらい。

だけどおっきな境界線が一つあって、彼らは語学を習得しにロンドンに来たというよりは、生活の基盤を作るために渡英したと言った方が正しくて、私たちアジア人みたいになんの目的もなくただ英語やれればいいやみたいな遊び感覚は彼らにはありませんでした。特に南米人なんかはすぐそばの北米に行けばいいものの、アメリカなんかは特にビザ発給の条件がすごく厳しくて語学を目的とした長期滞在なんてほぼ認められないから、わざわざ物価の高いロンドンに来て住み込みのベビーシッターで食いつなぐパターンが圧倒的に多かった。目的はポンドを稼いで貯金して国に帰る人もいたし、なんとかロンドンで職を得て暮らしたいという思惑の人もいました。不安定な情勢の祖国に帰るよりは生活水準の高い先進国ロンドンで一生暮らしたいということなんです(それがクルド人だったりするともう私ごときはなんも言えません)。




私の住むフラットにもコロンビア人が二人いました。ラウラというめっちゃくっちゃ礼儀正しくて穏やかで冷静な(←南米人とは思えない)すごーいいい人と、後から入ってきたマージョリーという天真爛漫でサンバなコロンビア人。特にマージョリーは屋根裏部屋お隣り同士ということもありすぐに仲良くなりました。とにかくなつかれたので、家に帰って来れば私の部屋にきて今日あったことを津々浦々延々と喋る。エネルギッシュでまだまだ若いコロンビア人だから恋愛の話が大好き。すぐ恋してすぐつきあってすぐ別れる(そういえばロンドンきたばっかりの時はとんでもないオッさんとつきあってて大家のマレーシア人が心配していた)。当時マージョリーはハムステッドのカフェでバイトしていて、学校が終わったらそこでウエイトレスをやってました。そういえばコーヒーの入れ方が下手くそだとか機械の使い方を一向に覚えないとかで怒られてヘコんで帰ってきてたりしてました。でもそこでネガティブにならないところが彼女のいいところで、落ち込むことは落ち込むんだけど、毎晩寝る前にかかさないメディテーション(瞑想)で1日嫌なことは全部忘れてしまうらしい。(「あなたもやってごらんなさいよ」と言われたけど、そういうスピリチュアルなのってあんまり私は。。。)
しかもバイト先でジョージマイケルみたって言ってました。しかもやっぱり男の人と一緒だったって。ロンドンのハムステッドヒースと言えば高級住宅街ですから有名人がいても不思議じゃありませんね。あの頃のジョージマイケルはむちゃくちゃセクシーだったからリアルで見れて羨ましかった。


マージョリーと一度チャイナタウンにご飯食べに行ったことがあります。その時出会い頭に私がイギリス人とぶつかりそうになって右に左にとお互い譲り合って前に進めなかった時も、「なんだかダンス踊ってるみたいねウフフフ」といつものように屈託もなく笑うのでした。こういう人といるとホッとしませんか。私はものすごくホッとします。だからめっちゃくちゃ仲良くなりました。


しかし彼女がロンドンで生活していくためには、うちのフラットの家賃は高すぎました。もともとテンポラリーの仮住まいみたいなものだったので、そのうち彼女も例外にもれずベビーシッターの住み込みをすることになって引っ越して行きました。
そのうち夏でも寒く退屈なロンドンに私は嫌気がさして、ヨーロッパ周遊三ヶ月旅行に出かけてしまったのでいったん音信途絶え、またロンドンに戻ってきた時は彼女はどうしてたかなあ。たまに電話もらったりしてたけど、ちょっとその後が覚えてない。

でもメールアドレスは伝えてあるので、実は今でもたまーーーーにメールがきます。



ヘロー ベアベア
元気にしてる?
ボゴタに遊びにおいでよ
いつでも待ってる

ラブ 




ボゴタにはちょっと怖くてなかなか行けそうにもありませんが、私がマージョリーのことを良い思い出として心に焼き付けているように、おそらく彼女もたまに私のことを思い出してくれていればそれだけで十分だと思っています。そしてその印象をキープしたまま彼女がまたどこかで日本人に会った時にその見知らぬ誰かによく接してもらえれば、それ以上の喜びはありません。私が日本人として抱くアイデンティティーとはそこに尽きるなと、昔っから思ってます。


しかも彼女、コロンビアに戻ってから地元の人と結婚しました。
とっても子供好きだったし間違いなくいい母親になってると確信しております。



なぜか一緒に写ってる写真がないのでそれが心残り。
唯一マージョリーの痕跡がある写真といえばこれ。





イメージ 1


海外に住んでいる時に片時も離さず持ち歩いていたカルロス・ジョビンのトリビュートアルバムを聴いている時、隣の部屋からそのメロディを聞きつけて、歌詞を英語とスペイン語で書いてくれたメモです。


一緒にこれを見ながら歌ったものです。
だから今も歌うことができます。


そしてそのたびにマージョリーを思い出すのですよ。