世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

Moon

ロンドンに住み始めてしばらくしてから日本人のフラットメイトが現れた。
できれば日本語を話す環境を作りたくなかったのだけど、家主ではない私にそれを拒否する権利はない。だから家主の奥さんがすまなそうにごめんねと言ってきた時も、大丈夫ですよと快諾した。

やってきた日本人はすごく大人っぽくて背も高くて底抜けに明るくて声が高い、とても華のある女の人だった。そしてすごく美人だった。日本ではずっとコンパニオンとして働いていたんだそう。もともと社交的な性格もあったけど、とても人懐こくて気が利いて見た目によらずとても真面目な性格だったのですぐ打ち解け、日本語を使うのは私たちだけになった時にしようというルールにも賛同してくれて、他のフラットメイトや家主がいる時はお互いつたない英語でがんばって会話をし、文字通り仲良しになったのだった。


ある日、夜に彼女の部屋に呼ばれて、お菓子とお茶を持っておしゃべりしに行った時のこと。いろいろダラダラと喋ってる時に、彼女が身の上話しを始めた。
それはこういうものだった。

彼女は東京生まれの東京育ち。ところが高校を卒業後にご両親から実は在日韓国人であることを告げられた。それまで韓国とは縁もゆかりもなかったし、当時はあまり良い印象がなかったのか自分がその当事者となった時は少なからずショックを受けた。そして当時ちょっといい感じになっていた台湾人の男の子にその悩みを勇気を振り絞って打ち明けたら、日本国籍ではない以上あなたにはたった今興味はなくなったと言われ、車から放り出されてその場に置いて行かれた。


傷ついた彼女はそれを受け止めることができずしばらく恋愛はできなくなった。そして就職氷河期を迎え、バイトから継続してそのままコンパニオンとして働くようになった。競争率の高い知名度が高いイベントの仕事を勝ち取りたくて、無理なダイエットを続け一週間断食し空腹をごまかす為に朝からウイスキーを飲み酔っ払って吐いて寝てを繰り返してウエイトダウンをし体型をキープしてオーディションに臨み、栄養失調と貧血で体調が悪化して病院へ行くも、勝ち取った仕事では笑顔でやり抜いた。そこで知り合うあらゆる類の人々は蹴落とし蹴落とされる裏切りの競争社会、近寄ってくる男の人はみんな不純な動機のものだったから、そういう人間関係はどんどん彼女を疲弊させ、ある日思い立って仕事をやめて兼ねてから興味のあった中国へ留学した。


そこで彼女はいろんな人に出会い、自由の開放感を知り、在日であることは恥ずべきことではないと気づき、やっと自分と向き合うことができるようになった。若かったし真面目に頑張ったからだと思う、中国語もあっという間に上達し(大方の中国人がそうであるように)自分にニックネームを持った。Moonというのがそれだった(彼女に始めて会った時に自己紹介で自分をそう呼んでほしいと言われたけれどこれがなかなか呼びづらかった)。何か思いがあってそう命名したのだと思うけれど、きっと吹っ切れた良いきっかけがあったのだろうと思う。


そのあとはまた日本に帰ってきて再びコンパニオンの職についた。ご実家でもいろいろあってあらゆるプレッシャーにも辛抱強く耐えた。

そして長いトラウマを乗り越えてやっといいなと思える男性に出会った。
相手はちょっと年上で優しくて柔軟でとても大人だった。デートに誘われて夜景の見えるレストランで食事をして、この人ならきっと信用できる、自分を分かってもらえるのかもしれないと心を許しかけた瞬間に、無言でホテルの部屋の鍵を差し出された。結局これまでの人となんら変わらないと知り、トイレに行くふりをしてそっとその場から逃げ出したのだった。


「だから私はこれまで一度も男性とおつきあいをしたことがないの」と彼女は笑った。若気の至りとか遊びでつきあったことすらないのだそう。言い寄ってくる男性は山ほどいるけど、信頼できる人は誰一人いない。彼女の孤独は単なる遊びなんかじゃ埋められなかったし、本人もそれを望んでいなかった。真面目な気質だからこそ我慢して一人で抱えて生きてきたのだと思う。
そこに悲壮感は全くなく、むしろその孤独に慣れてしまっている感じすらあった。













孤独ってどうやったってついてくる。
家族だっていつかはいなくなるし誤解を受けたりすることもあるだろうし何かを犠牲にしないといけなかったり自分じゃどうしようもない出来事も常にあふれていて、それを無理やり理解してもらおうなんて他人に強制もできないから、小さな痛みはいろいろ覚悟しとかなくちゃいけない。ヤダヤダばっか言ってられないから。


だから、孤独とうまくつきあっていくことができればとても楽になる。
常に誰かが近くにいたって孤独はなくならない。
常に誰かが近くにいなくたって、共感してくれる人は少なくともどこかにいる。

人だけじゃない。
視覚的なものとか五感なんかであっさり救われることだってある。
出口なんていつ現れるかわかんないんだから。



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その後私はローマへ戻り、彼女はロンドンに残った。
そして(やめとけばいいのに)水商売のバイトを始め、そこで出会った超が100くらいつきそうなイギリス人の若くて生意気な金持ちに(やめとけばいいのに)本気で恋に落ち、結果は予想どおり惨敗に終わって砕け散ったと数年後に本人から聞いた。


そしてここ何年かお互い音沙汰がなくなり、自然消滅のようなかたちでそれぞれの人生を歩んでいたら先日たまたまFacebookで彼女を見つけた。Moonという名前はもうやめて違うニックネームを使い、起業して小さなカルチャースクールの講師になっていた。元気そうで活発で、美人でスラリとした要望は昔とまったく変わっていない。そんな姿を見てどこか安心した。



その数日後、不思議なことがあった。
虫の知らせというか、たまたま自分の携帯のアドレス帳を間違って操作したようで、知らない間に彼女に電話をかけてしまっていたのだ。すぐ切ったのだけど、その30分後に折り返し電話がかかってきて、ちょっと緊張したけどおそるおそる出てみたら、懐かしい声が電話の奥で聞こえた。


だけどそれは想像とちょっと違ってとてもビジネスライクだった。どんなに気さくに話しかけたところでその口調は終始変わらず、間も持たなくなったし私も出先だったので一通りの定型文を言って電話を切った。
そして思った。

こちらが大切に抱えてきた思い出は、必ずしも相手も同じ感覚で共有しているわけではないのかもしれない。
どういう理由でかまではさすがにわからない。
だけどそれはそれで尊重してあげるべきだと思った。





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短いロンドンの生活でも、そうやって私の胸にしっかりと足跡を刻んだ彼女の存在力はすごい。多分もともとそういう力のある人なんだろう。だから今後もいろんな人に影響力を与える存在であってほしいと願う。



(講師は天職かもしれない)