世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ソーニャ

チルコマッシモやコロッセオの後ろ側にアヴェンティーノの丘というのがあって、そこにオレンジ公園と呼ばれる場所があります。鍵穴からバチカンのドームが見えることで有名な場所です。


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ここには前の晩も来たのですが、夜は公園には入れなかったので、改めて別のお友達に連れてきてもらいました(自力でくるにはちょっとめんどうな場所なので)。


あいにくずっと雨のローマでしたが、帰る前の日はこうやって陽がさして、なんともローマらしいお天気となりました。

いい場所です。
静かで、鳥のさえずりが聞こえて。


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ローマに来ようと突然思いついたのは去年の暮れ。
ソーニャという、とても大好きだったおばあさんの訃報を聞いたのがきっかけでした。



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当時もう70を越えていたおばあちゃんであるソーニャは、6カ国語を自由に操りローマにやってくるありとあらゆる外国人と楽しそうに会話をし、暇な時は椅子に座ってよく寝ていました。若い頃のモノクロ写真は女優さんのようにキレイで、その写真をとっても大切にバックに入れて持ち歩いていました。笑うととてもかわいらしいのですが、怒るともう狂犬のように恐ろしく、すごくプライドの高い几帳面なイタリア人だったというのが印象的。



日本語も少し話せて日本人が大好きだったのでとにかくいろんなものに興味深々。
おせんべいの袋に入っていた「DO NOT EAT」と書いてある乾燥剤を手にして、「これが英語表記でよかったわ。そうじゃなかったら塩かと思ってかけて食べるところだった」と、何度も胸をなでおろしていました。危なく殺されるところだったねなんてジョークで言いましたが、確かにあれば英語表記じゃないとガイジンは困るだろうなと思いました。


ソーニャはファラフェルというひよこ豆のコロッケが大好物で、本当においしそうに食べていたから、今でもパリの街角なんかでファラフェルをみるといつもソーニャを思い出してしまう。


体が冷えるとのことで、ホッカイロをあげるといつもすごく喜んでくれました。
多分日本製のもので一番喜んでくれるのがあれだったんじゃないかな。


ある日私が通りすがりのイタリア人に「questa=この人、これ」と呼ばれたことに彼女が大層憤慨し、「このシニョリーナに今すぐ謝んなさい」とイタリア男を激怒していたのも印象的です(そこまで怒らなくても・・・と思ったけど)。


スーパーの袋があんまりにも重くて一瞬地べたに置いてしまったことに発狂寸前になってしまったのが忘れられません。だから彼女はどんなに指がちぎれそうになっても必死に袋を抱えてやってくるのです。結構大変そうでした。(→以来、私も食料を地べたに置くとか買い物かごを足で蹴るなどしないのは明らかに彼女の影響です)


バイト先の社長とソーニャ。
あの2人は長いこと働いていることもあり、もはや言葉もそれほど交わすこと多くなかったのですが、ケンカする時の恐ろしさといったらありませんでした。社長もわめくけどソーニャがそれに負けない。何度も解雇宣告をされても、「あんたがどんなにクビだと言ってもあたしはどこにも行かないわよ」と睨みつけるあの姿。
まあ~気が強くてプライドが高いイタリア女そのもの。


たまたま住んでいたところが近所だったので、仕事のあと深夜のバスに乗って一緒に家路に向かっていたある日の夜。途中から乗ってきた1人のイタリア人がすっかり寝入っているソーニャをみて運転手さんに「大変だ、おばあさんが死んでいる」と言うのを見て慌てて弁解に行き、寝てるだけですからどうぞご心配なくと説明したのを昨日のことのように思い出します。


博学で聡明なソーニャの会話は時々よく分からない難しいイタリア語もたくさんあって、よく聞いてるフリしたこともありました(今でもしょっちゅうだけど)。
ごめんなさい。




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彼女は歳を取っているといっても、頭はしっかりした人でした。
老いに体が蝕まれていくことは避けようのない事実だと受けれ入れても、考えていることはきっと進化し続けていたように思います。
そう考えるとなかなかのキレ者でしたね、ほんとに。


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一方で、ソーニャは知り合った頃から苦労を絵に描いたような人でした。若い頃に離婚をして以来独身を貫き、娘さんが1人とその恋人と大きな犬と一緒に、モンテベルデというローマの比較的高級な住宅街に住んでいました。娘さんは仕事を持たず同棲している恋人と一日中家に引きこもってインターネットに明け暮れ、ドラッグに病み、年老いた母は朝から晩まで女中のように働いて娘と娘の恋人を養っていました。ソーニャは職場を2つかけ持ち、仕事の合間にスーパーで娘に頼まれた食料を買って、長いこと患っている病気のせいで大きくなったお腹をかばうようにゆっくりとした足取りで、その重いビニール袋を引きずるようにぶらさげてバスに乗り、夜になると私のバイト先にやってきて深夜まで働くのでした。


そして深夜過ぎに仕事から家に帰ると、今度は大きい犬を連れて散歩に行きます。犬もやっと外に出れた嬉しさに喜んで走ってしまうのでしょう、「昨日は犬が急に引っ張るもんだから背中を痛めてしまったの」なんて言われると、ソーニャが精一杯の悲鳴をあげて犬に引きずられている姿を想像してしまい、胸がキリキリと痛むのでした。


そんな娘さんはとんだ放蕩娘で有名でしたが、やっぱりイタリアのマンマは脇が甘いのでしょうね。どんな場合でもそれは親の責任だ、などとうちの社長は厳しく言ってましたが、なんだかんだ言ってソーニャをずっと雇い続けていたのは彼なりの情の厚さなんだと思います。


その娘さんは数年前に末期がんで母親より先にあの世へ逝き、
ソーニャは最後1人で残されました。


どんな放蕩娘でもやっぱり娘は娘。
末期だと発覚したときの落ち込みようといったら果てしなく、たまたまその時社長の甥っ子も壊疽による足首切断という重病に悩まされ、それぞれ辛い時期が続きました。




その後しばらくしてソーニャはめったに歩けなくなってしまい、仕事を辞め、家で過ごすことが多くなりました。





そして去年の11月、自宅の床に倒れて亡くなっていたのを発見されたのです。



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それはちょうど亡くなる一週間前、私がたまたま久しぶりにローマの友人とつながってソーニャがまだ元気かどうかを知りたいから連絡先を教えて欲しいとお願いした矢先の出来事でした。あとは携帯電話の番号を教えてもらうところまでいっていたのですが、番号のかわりに訃報の連絡がきたというわけです。



思えばそれも虫の知らせだったのでしょうね。
去年の春に亡くなった友人もそうでした。
亡くなる前に、ふと思い出したり、連絡を取ったり。
それが最後になってしまうとは露とも知らずに。



葬儀は教会ではなく、搬送された病院の霊安室でいとなわれました。
身よりも親戚もいないので、ごく親しい友人達が立ち会ったそうです。
あんなに苦労してもまっすぐ正直に生きてきた人だったから、最期くらいはささやかでも構わないからせめて教会で神様に看取られて天国に行ってもらえればと思うと無念でなりませんでした。
だけど、葬儀に立ち会ったソーニャの友人の方が言った言葉も印象的でした。




「これで彼女の苦労は解放されたかと思うとホッとする」





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それを聞いて確かにそうだなと思いました。
その人生を思うと胸が痛み、悲しくなるのだけど。




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数年前からこれまでお世話になった人たちにはちゃんと一年に一度挨拶をきちんとしようと決し、疎遠になっていた人たちへ年賀状ないしはクリスマスカードを送るようにしてきました。元気ですか、元気ですよ。それだけでもいいと思って。
こないだ遊びに行ったときたまたまその話になりました。


ちょうど3年分になる私が送ったカードが社長のテーブルの上のブックスタンドの脇にはさんであり、そのうち1通だか2通は住所が書いてなかったけど奇跡的に届いたと言われ、そんなはずはないだなんだの押し問答(私のことだからありえるけど)をしてる時に社長がこう言いました。



お前からくるクリスマスカードをソーニャがすごく喜んでいつも読んでいたよ

と。


自分が気づかないところで実はソーニャとつながっていたんだと思うと、私も嬉しくなるのと同時に悲しくなって、こみ上げてくるものがありました。

とどかない想いとか気持ちっていうのはこうやってあとになってから胸に刻まれていくというのはなんだか皮肉なものだと思います。




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今回の旅の目的。
それはソーニャのお墓参りに行くことだったんです。
だけど、訪れた時期のローマは歴史的な大雨でありとあらゆる郊外の道路が閉鎖され、当然墓地も同様だからやめたほうがいいと周囲から猛反対を受けました。ソーニャの墓地は小さなプレートだけの集合墓地だし、1人で行っても絶対に見つけられないし、雨で戻って来れなくなったらそれこそ大変だと言うのです。


だから今回は仕方なく諦めたけど、次にローマに行く時は必ず果たしたい。
それが亡き人と自分との関係のけじめなんだと思っています。
そうじゃないと曖昧になってずっと心に残り続けてしまうから。

経験上。




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天国には先立った娘さんや他の2人の友達ともいることだから、なにも心配はしていません。


ソーニャの魂がきっと報われて、おだやかに笑っていることを信じています。








追伸:この話は最後の最後に取っておこうと思ってた一つなんですが、彼女が亡くなったことをきっかけに前倒ししました。他にもたくさんのエピソードがあるのですが、機会があればまたいつか。