世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ローマ 2014

ローマへの旅。
10年ぶりでした。
なんか変わったかな、いやいやそれほど変わってもいないだろうなあ。
などといろんな気持ちで行ってみたら、やっぱり少し変化もありました。ここしばらく旅をしていた他の国々と比較してみると、ローマもそれなりに快適になったような印象を受けました。
少なくとも、あの頃私が住んでいた時と比べれば、の話ですが。




だけど住んでるローマの人たちは深刻です。
物価の高騰、不景気の煽りで生活はいっそう苦しくなり、失業率は高く若者の自殺者は増え、貧困層は拡大し、アフリカ中東の移民が一層増え、治安は悪くなり、泥棒が増え、ローマの不動産は中国人かロシア人に乗っ取られてますますマフィア色が強くなり、高い税金を強いられても街は老朽化の一方で改善はなされず、家を買えば法外な固定資産税に苦しめられて破綻に追い込まれる始末で、挙げ句の果てには「この国に未来はない」とまで断言していました。知り合いで超が100くらいつきそうな保守派の友人ですら、この国を出たいと言っているのを聞いてすごく驚きました。


「日本は少ない税金であそこまで秩序が保たれているんだから良い国だよ。消費税8%なんて大した問題じゃない。イタリアは収入の40%を納税してもこれだけひどいんだから」


ローマは昔からいろんな問題を抱えてきました。今始まったことじゃないから、いろんなツケがまわってきてるんだと思います。私が当時住み始めた時ですら「ペッジョ(最悪)」と言われていましたが、今回は「ペッジョアンコーラ、アンツィ、ピュペッジョラータ(いまだに最悪、っつーかもっと最悪になった)」と言ってました。だから私がローマを離れる数日前からもう寂しくなってきた、というと、知り合いは複雑そうな顔をしてました。「ローマが恋しい」とは当時ローマ人を喜ばせる必殺の殺し文句だったと言うのに・・・。昔はローマは世界でNo.1と信じて疑わなかったローマ人も、近頃はそうでもないということに気づいてしまったということなんだと思います。ギリシャの崩壊を目の当たりにして、次はイタリアだと思ったと、ローマ在住のロシア人の友達なんかも言ってました(外人は客観的に物事を見れるからフェア)。しまいにはユーロ離脱説まで飛び交っちゃってますが、それはどう考えても現実的じゃないでしょうね、個人的には。




だけどとどまるところ、彼らにとってはそこで生きて行くしかない。
受け入れるしか方法はない。
残念だけど選択肢がない。
事実、これまでだってそうやって歩いてきたじゃないローマは。


イタリア人がその昔、夢と希望を抱いてアメリカに船で渡った時代はもうとっくに過ぎ去ってしまったのですが、今考えるとあの頃はすごくいい時代だったのかもしれない。
夢を持てただけマシだったということか。





イメージ 1




当時2000年の歴史的瞬間(ミレニアム)を迎えるにあたり、カトリックのお膝元であるローマは大掃除や道路工事でおおわらわだったのでありとあらゆる建物がこぞって修復に励み敷き詰め直された石畳やきれいな姿で生まれ変わった教会も、13年経てばまた排気ガスや雨にまみれてすっかり灰色に。
当時からすでに古めかしかった町並みは一層老朽化が増して昔以上に古きローマの郷愁を感じさせてくれました。古き姿こそがローマの魅力であるのは間違いないのですが、どこか閑散としていて時折もの哀しさも感じました。

冬の薄暗さや降り続く雨がそうさせたのかもしれないし、
オフシーズンの観光客の少なさのせいかもしれない。




だけど、旅をするには本当にいいところです。
個人的にはすごく楽しみました。
いい思い出ができたということは、きっと今後の自分の記憶にもずっといいままで残り続けて行くのでそれはとても良かったとつくづく思います。

なんたって、手強いローマですからね。




それでは。