世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

「私は」論




ニューヨーク


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パリ

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次の旅行はこの3カ国のいずれかに絞りました。

濃厚なのはニューヨークです。
こないだ遊びに行った時の友達に何度も熱烈なコールを受けています。

パリなら断然一人旅。
夏に日本にきた友人とは一度くらい会うかもしれないけど、基本一人です。

クロアチアも一人旅。
だけど、パリ経由→セルビア経由(春に日本にきた友人を無視して旅はできず)になると思います。




来年かな。




本当に一番行きたいのはメキシコ・キューバ
一ヶ月くらい周りたいから、そこに行くときは会社を辞めた時、と決めています。





私は小さい頃から日本だけでなく海外の児童文学をこよなく愛し、ジェットストリーム城達也さんの時代から毎日聴いて、遠藤周作のマリーアントワネットを読んで更に触発され、ミケランジェロシスティーナ礼拝堂で追い打ちをかけられ人生が大きくカーブしていったので(←おさらいになりますけど)、海外というのはとてもなじみのある場所に感じます。日本に帰ってきたのはいろんな事情があったからなんですが、海外でとにかく楽だと思うのは、日本にいる時よりも自分に正直にいられるからだと思います。本音と建前がいらなくなるのと、自分は外国人だというお気楽感があるから。そのアウェイ感の距離はなかなか縮まらないから、時として辛くなったりすることもあるんですけどね、長く住むと。


それと、会社の先輩?に以前何度か注意されたのですが、私は、「わたしは」の主張が多過ぎると言われた事がありました。その主張が耳障りだというのです。あんまりそんなの意識したことがなかったので、はあ、そんなに気になるなら気をつけます、と言ったのだけどあとになってその理由が分かりました。
外国語って必ず主語を必要としますね。主語が決定されないと動詞も決定しないので、①にくる言葉ってすごい重要です(無意識ですけど)。例えばイタリア語なんかだと大抵の場合、主語はいりません。動詞から文章がスタートします。だけど、動詞は主語によって様々に変化しますから、聞き手は動詞の変化を聞いて主語を判断するという逆転の発想になります。ラテン語派生言語はほぼそういうかたちをとりますが、とにかく主語を意識することから文章の組み立てが始まります。それが決定されないと動詞の変化が作れないからです。

私はバイリンガルでもないしそれほどベラベラでもありませんが、この文法を徹底的に頭に叩き込み、仕事でもよく外国語を使うのでその回路を脳みそで切り替え、使い分ける必要があります。だからつい日本語でも「私が」論法になっちゃうのかな、というのが自己分析です。
その先輩?はちなみに外国語は一切できません。だからそのロジックに気付かないのだと思われます。
そうすると、私は単なる「自己主張の強い女」として飲み会のネタの餌食になるのでしょうか。。。
ま、別にいいけどね。
でもそういう無意識の中での脳の自動反応って、絶対にあるような気がします。



まとなりのない長いおしゃべりでした。
今から支度して出かけてきます。
さらばじゃ。

よい連休をお過ごし下さい。

チャオ。