世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

トルコのもう一つの顔 | 小島剛一

これおもしろかった。

 

著者の方はフランスに当時住んでいて、一度訪れたトルコに魅了されて以来何十回もトルコを旅行した時の話。当時はなんとヒッチハイクギリシャまで行って、ギリシャからは自転車でトルコまで横断したというツワモノ。しかも現地でトルコ語までマスターしてしまい、極貧旅行を幾度となくトルコ人に助けてもらったという大変心温まる話もあれば、夜中突然憲兵に叩き起こされ危険人物と誤解されて連行されそうになったことも。

 

また、著者の方はトルコの民族史及び言語学を旅行中も独学でずっと研究し、あらゆる地方の言語を自分の足で歩いて目で見てきたというちょっとすごい人。最初にトルコに足を踏み入れたのが1970年で、それから何度もトルコを旅し、フランスまでの道のりまで覚えてしまったというからすごい。当時そんなにしょっちゅうトルコに行った日本人なんて果たしていたのだろうか。ある意味トルコにおける日本人第一人者だったのかもしれない。

 

 

当時トルコはトルコ語以外の言語を認めずイスラム以外の宗派は完全なる異教徒として排斥する傾向があったとかで、特にシリア国境あたりのクルド人をはじめとする異なる言語や方言を話す民族を快く思わなかったらしい、特に政治家や有識者などはその傾向が強かった。だから、著者もそのうちマークされ、見張りまでつけられて大変な思いもしたとのこと。でもこの著者は、どんな状況に置かれてもけして怯まず堂々としていてさすがだなと感心しきりだった。

 

 

長いこと外国に住めばそれくらいの芯の強さがないとやっていけない。日本みたいにきっちりしてないし基本的に理不尽なことしか起きないから、対立を恐れたり遠慮なんかしたらあっという間に潰れる。自己主張をしっかりできてこそ彼らとやっと同じ土俵でコミニュケーションが取れるものだと、そういえばイタリアで学んだなあと思い出した。日本みたいな同調圧力なんかないから、自分の発言に周囲の反応を気遣うこともないし、楽しい嬉しいだけじゃなく、つまらない好きじゃないということも立派な自己主張なのですごく気が楽(な時もある)。もちろんどこにいてもいろんなことはあるんだけれど。

 

 

 

そんな自分も近頃は少し自分を見失いがちだったけど、この本を読んでちょっと勇気づけられた。当時の起こったトルコでの様々な出来事も興味深かったけど、著者の方の一本気がとても好感が持てた。

 

 

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今日、書店で偶然この続編「漂流するトルコ(ハードカバー)」を見つけてびっくり。

今度はそっちも読んでみなくては。

 

 

トルコ人は困っている人をほっとかない人(ムスリムに多い傾向)、真面目な人のイメージも大きいけど、やはりあの辺りの大陸ならではの頑固さやこだわりの強さみたいな一面もある。だから一度ややこしくなるとなかなか面倒くさい。また、外国に暮らす移民としてのトルコ人と、トルコに暮らすトルコ人とでは全く印象が別物であると断言してもいい。

 

トルコは本当にいい国。

親日家は今でもいると思うけど、近頃は観光地化してしまって昔ほどじゃないのかもしれないというのが自分の印象。でもきれい好きで一般的に真面目なところがとにかく好き。その辺の几帳面さが日本人に少し似ている。

 

また地方歩きしたい。まだ行けてないところいっぱいあるから。アンタルヤまで足を伸ばしてみたいと思ったけど、パキスタンが落ち着かないとちょっと怖いかもしれない。