まるでコニャックの瓶に貼ってあるラベルに出てくるような風景だ。
少なくとも、子供の頃あったうちの応接間にはこういうラベルの貼ってあるコニャックがあった。
ロダン美術館は庭だけでも入ることができるとのこと。
手入れが行き届いていてどこまでも「正確」なお庭である。
やはりここからもアンヴァリットが見える。
庭のいたるところにはやはりロダンの彫刻がゴロゴロしている。
それと地図を併せてみながら歩く。
これはニューヨークのメトロポリタンにもあった作品とおなじもの。
ロダン美術館の前にはこれまた高級なパリの建物が。
そしてその建物を背景に、庭の奥にはあの「カレーの市民」がある。
しかしこの「カレーの市民」も非常に生々しくて人間くさく、みればみるほどにイマジネーションが広がる気がする。ロダンはこういった「苦」の悲しみと「生」の美しさを同時に生み出すことができる彫刻家だったのだということが、この美術館を訪れて数々の作品を目の当たりにすると痛いほどそれを実感することができる。
すばらしい彫刻家である。
そして、完璧でぬかりのない庭・・・・・・
パリの人もよく喋る人たちが多いと思う。
でも、彼らの中には孤独をも好む人たちも少なくないと思う。
きっと、街のいたるところにこのような空間があるのなら、お喋りにだって孤独にだってなれる。
ある意味、とても都合のいい街なんだなと思う。
「型にはまる必要がないこと」
私がパリを好きな理由の一つはこれだ。
そしてそれがパリの日常。