世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

44番のバス

 
イタリアの夏は厳しい。
30分も歩いたら体力消耗どころか脱水症で倒れるか、めまいや貧血を起こしてしまいかねないほどで、よく「乾燥しているから日本の夏と違って過ごしやすい」とガイドブックなどに書いてあるがとんでもない話である。クーラーが存在しないイタリアは日本のようにお店に入ってあのヒンヤリとした気持ちの良さを味わうことも出来ないし、(前にも言いましたが)氷が入っている飲み物がない。だから一度あの太陽の熱を体に吸収してしまうと、それを放射するのにとても時間がかかる。
 
 
その日も私はローマの夏のけだるくて痛いほどの陽射しと、絶え間ない街の騒音ですっかり体力を消耗しきってしまい、歩くのもやっとだった。どこかのバールに入って冷たいものを飲んでもよかったのだが、そんなことをしてダラダラ街に居座るよりも早く帰ってベットで休みたかった。シエスタというものはけして怠け者の習慣ではなく、こういう暑い国に住む者にとっては時に必要不可欠なものなのだと、その頃から体で覚え始める。
 
 
 
 
私がその頃住んでいた家は、モンテ・ヴェルデというローマでも比較的治安も良い高級住宅街が並ぶ、小高い丘にある住宅一帯。ローマの地下鉄は2本しかなく、移動は殆どがバスに頼ることになる(だからストライキの時は本当に困る)。そのとおり体調が悪かった私は家路まで行く44番のバスの始発の停留所があるヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世広場までよたつきながら歩いていった。何が何でも座って帰りたかったから、一本バスを見送って次のバスがくるのを待った。ラッキーにも次のバスはすぐ到着したので、さっそく乗り込んで真ん中くらいの一人座席に腰をかけて発車を待っていた。
 
あんなに具合が悪くなったのもめずらしい。
おそらくローマの初めての夏を少しあまく見ていたのかもしれない。
 
 
 
 
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 ここがヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世広場。バス停はこの広場の右奥にある。
 
 
 
 
 
 
すると、ある一人のシニョーラ(おばあさん)が運転席のわきの入り口からバスに乗り込んできた。その頃にはもうほぼ席は満席だったので座る場所がないと知ったシニョーラは一瞬立ち止まり、バスの中をゆっくりと目で追った。めずらしく誰も席を譲ろうと言い出す者はいない。もしかすると、前に座っている人たちは後ろの席がまだ空いていると思い込んでいるのかもしれない。すると、シニョーラの目線が私をとらえた。ジッと見られたので私もその目線に気付いた。そして彼女は口を真一文字に結んだままムスッとした表情で、スッスッとこちらへ向かって歩いてきた。
 
嫌な予感がする・・・。お願い。今日だけは許して。そう心の中で私は必死に唱える。
 
 
シニョーラは私の前にくると、そのムスッとした表情を変えずにこう言った。
 
「席を譲ってくれない?」
 
 
 
その瞬間、私は一気に怒りがこみ上げてきてしまった。
 
他にもたくさんイタリア人が乗っているのに、なぜあえて私を選んだのか、と。
 
アジア人の私は言葉だってもしかしたら分からないかもしれない。
フレンドリーに微笑んで「どうぞこちらへ」なんてメッセージを送っていたわけでもない。
 
 
 
どうして私なの?
 
 
 
しかも私は本当に辛くて辛くて立つのも必死な程なのに、今またここで席を立ってまたバスを待つしかないのかと。冗談じゃない。だけど、他にどうしようというのか。断る?まさか!!じゃあチョイスは一つしかない。
 
私はわざと音を立てて怒りをあらわにしながらバスを降りた。
その後どうしたのかはあまり覚えてない。
バスを待ったのか、どこかに入って休んだのか。
だけど、降りたバスを一度も振り返らず歩いていったのだけは覚えている。
そしてこう思った。
私を選んだのは、潜在的にアジア人を卑下している意識が働いているからだ。
それは日常生活に隠れているイタリア人の差別的な行動だと思ったのだ。
だからくやしかったのだ。
蔑まされている気持ちだった。
 
 
 
バスに乗っていたら、あるご婦人が夏なのにまっ白い腕まである長手袋をしていた。どうしてこんな暑い日なのに手袋をしているんですかと近くにいる男性に話しかけられたらそのご婦人はこう言った。
 
Non voligo toccare qualsiasi posti dove extra communitarie toccano.
EU圏外の外国人が触ったところには触れたくないの
 
 
そんな話を聞いたばかりだったからよけい過敏になっていたのかもしれない。
私をみて誰も日本人だと区別できる人もいないし、第一日本人だからといって特別優遇されるわけでもない。
アジア人はひとくくりだ。私が中国人だろうが韓国人だろうが、フィリピンだろうがタイだろうが、そんなことは彼らにはどうでもいいのだ。かといって私も日本人だからとおごりたかぶるつもりもない。ただ、アジア人はまとめてひとくくりで考えられることが多いのは事実である。
 
 
 
 
 
 
どうにか家に帰り、少し休んだら今度は眠れなくなった。
なぜならふと父のことを思い出したからだ。
 
父とお蕎麦を食べに行った時、父が湯のみを取ろうとして手がすべり、お茶をテーブル中にこぼしてしまった。
なんとなく呆然としている父を、私は叱り、ふきんを持ってきてくれたお店の人に謝った。父はそれでもどこか他人事のように呆然としていた。
そして、父の脳にある眼の神経の最も近いところに悪性の腫瘍が出来ていると聞いたのはそれから数ヵ月後だった。
私はどうしてあの時父を叱ったのだろうかと激しく自分を責めた。
湯飲みを持つ手を滑らせたのは不注意なんかじゃない。
見えなかったのだ。
 
 
 
 
そのことを思い出して、私はなぜあのシニョーラに快く席を譲る心の広さがなかったのだろうと今度は突然自責の念にかられ始めた。たまたま、私が出口のそばのイスに座っていたから、バスが混んでも降りやすいように私の席に座りたかっただけかもしれない。イタリア人だからとかアジア人だとか意識なんてしていなかったのかもしれない。何より、私が怒りをあらわにして降り去ったバスの中で、気まずい思いをさせてしまったことが悔やまれてならなかった。
 
 
 
それ以来、私はどんなことがあろうと二度と同じ過ちを繰り返さないようにした。
老人がくれば黙って席を立った。疲れたとかなんだとか、長手袋のシニョーラのこととか、EU圏外だとかあまり深く考えずにそうした。仮にそういう目でみられたっていい。そう思った。
そういうことって大事なことのような気がする。要は、自分がいいと思えばそれでいいのだ。
 
 
 
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44番のバスはそんなことを思い出させる。
 
私は今でも時々このことをふと思い出すことがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
(今日の最後の写真はこっちのアルバムから)
 
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