世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

フィレンツェの無銭乗車?

フィレンツェは大好きなイタリアの町の一つだ。
 
ルネサンス絵画に陶酔し、イタリア美術が好きでたまらなかった私にしてみれば、まさに憧れの場所。
そのランドマークとも言えるドゥオモの赤い屋根なんかは、行くたび見るたびに心を奪われ、自分がイタリアにいるんだということを改めて強く実感できる場所だった。アドレナリンが大量に脳に放出され、最高にハイな気分になる。サンタ・マリア・ノヴェッラ駅を出た瞬間から、それは始まるのだ。今こうやって思い出しても興奮してくるほど、私はフィレンツェが大好きだ。
 
 
 
 
 
 
 
しかし。
 
 
 
そんなに大好きな町なのに、どうも相性だけは合わない。
 
それも、悲しいほどにとにもかくにもいろんなことが起こるのだ。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ある日、イギリスからやってきた日本の友人をフィレンツェに観光案内することにした。
なんといっても大好きなフィレンツェである。イタリアの最大の魅力は町そのものが小国家のように様々な特徴を持っていることだから、誰が訪れても絶対にフィレンツェだけははずさないようにしていた。
 
 
その日はとても暑い日で、フィレンツェの陽射しは容赦なく照りつけた。
とりあえず、ミケランジェロ広場に行って、フィレンツェを一望させねばと思い
駅のそばの停留所から13番のバスに向かった。
 
この日はちゃんと切符を買った。フィレンツェもローマ同様、90分は乗り放題である。
ミケランジェロ広場を観光し、また駅周辺まで戻ってきてもそれだけあれば十分足りるので、
友人と私の分と2枚買った。
 
バスは始発である。
乗車し、発車までしばらく待ち、エンジンがかかってから刻印機でチケットに日付と時間を印刷した。
 
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さて、バスは市内を通り過ぎ、高級住宅街や世界の著名人が所有している別荘がずらりと並ぶ坂道をゆっくりと抜け、小高い丘まで登る。
そこがミケランジェロ広場である。
 
ここはフィレンツェを訪れた者は誰しもが訪れる、いわば絶景スポット。
ミケランジェロという名のついた広場なだけに、ここにはダビデ像が鎮座しているが、
これはニセモノである。本物に比べたらやはり華奢なダビデがそこにいる。
フィレンツェにはこういうコピーの彫刻が結構多い。
 
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本物はこっち。
フィレンツェ市内のアカデミア美術館に展示されている。
 
 
 
 
 
 
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ダビデとは、旧約聖書に出てくる勇ましい青年のこと。
巨人ゴリアテを退治し、勇者として名を馳せた。
その挑むような目つきと堂々とした姿は確かに力強さと若々しさを感じさせる、ミケランジェロの大傑作のひとつ。彼の作品はこの筋肉隆々な肉体美とリアリズムの極限までの追求なのだ。
 
(しかし・・・卑猥も芸術の一つとはいえ、何度みてもハレンチ)
 
 
  
そしてミケランジェロ広場の最大の目玉はフィレンツェを一望できること。
昼間もいいけど夜も絶景。
イタリアの街並み、特にこのような観光地は昔の原型をとどめたままなので、
きっと当時の中世の街並みと殆ど変わらない風景を目の当たりにしているのだと思うと感動する。
 
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ではこの写真、今度はダビデではなく、後ろにある黄色い乗り物に注目してほしい。
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あれが、例のバス。この広場に来るために乗った13番のバス。
ミケランジェロ広場が終点なので、ああやって次の出発まであそこで待機している。
 
この広場はこのようにダビデを見てフィレンツェの景色を堪能し記念撮影さえ終わればやることはもうない。次の目的地を目指して、市内にまた戻ることにした。
時計を見ると、刻印をしてからまだ40分ほどしか経過していない。
よし、と安心してそのままバスに乗り込むと、ほどなくしてバスは出発した。
 
本当に暑い日だった。
ローマに劣らずフィレンツェも暑いところである。冷房のついていない窓が全開になったバスに揺られながら広場のある丘から市内に下る。途中バス停から市内中心部に向かう地元の人たちがどんどん乗ってくる。最初空いていたバスもすぐに人でいっぱいになってきた。
すると、突然バスが急停車し、ドアが開き、スーツを着たおじさんが唐突に2人乗ってきた。
 
 
 
 
 
トロールだ。
 
 
バスの運転手はすぐに前後の扉を閉め、もう誰も出られないように封鎖された。
スーツの制服を着たおじさんは前の席から順番に切符を確認していく。
驚いたことに、そのバスの乗客はほとんどが潔白だった。
ローマじゃ考えれられないと思いつつも、今日は私も完全無実である。
しっかり確認しながら時間配分を考えてバスに乗っているのだ。
第一せっかくイタリアまで遊びに来てくれた友人に対して無銭乗車をさせるわけにはいかない。
 
トロールの一人が私のところにやってきてこういった。
 
Biglietto, per favore.(チケット拝見します)」
 
私はすぐにお財布から大切に取ってあったチケットを2人分差し出した。
トロールのおじさんはそれをしばらくジーッと見ていたが、しばらくしてこう言い放った。
 
 
 
 
 
「罰金。」
 
 
 
 
なに???なになに???
 
 
「お嬢さん、悪いけどね、罰金10万円頂きますよ。」
 
 
 
なんですって??!!!
 
 
 
ここで動物的直感がピーンと閃く。
 
絶対にイタリア語を喋ってはいけない。英語で通して観光客のフリをするのだ!!
 
 
 
そこで私は完全にツーリストを装い、全部英語で通すことを決めた。
切符はちゃんと刻印機に印字をして、90分以内に移動しているので罰せられることはないはずだと伝える。しかし彼らは白々しい表情でサラリとこう言ったのだ。
 
 
 
「印刷された時間が3時間前になってます」
 
 
で、でたーーーーーっ!!!!!!
イタリアの機械はいつもこう。なんでもかんでも故障しているからあてにしてはいけないとはもちろん知っているが、まさかバスの刻印機の時刻がずれているなんてさすがに考えたこともなかった。
(正確性が重視される日本で生まれ育つと、こういう本能はまず持ち合わせていないはずだ)
この時ほどイタリア製品を全部叩き割って壊したくなる衝動にかられたことはない。
私はまず、刻印機の時刻が合ってないことを説明した。
我々は間違いなく一時間前にバスに乗ったのだ。
なんなら、そのあたりに出発した13番のバスを調べてくれと。
そして、同じ被害が繰り返されないよう、故障している機械は直すべきだと。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
だけどイタリア人がそんなことを納得するわけがない。
 
 
 
 
 
 
 
「これは法律だから罰金は払ってもらわないといけない。10万円です。」
 
 
 
冗談じゃない。
何が法律だ。
たかがバス会社のルールに過ぎないではないか。
 
前回も触れたけど、イタリアでこのような罰金を徴収したからといって、それが正当に使われているかといったら大きな疑問である。ほとんどは彼らのポケットマネーになり、バールでの酒代になるのが大半だ。ましてや、刻印機の時間が間違っていたのは私のせいではない。 
 
絶対に、何があってもここは折れてはいけない。
 
 
私は何度も正当を主張するが、お金のことになったらイタリア人はけっして引き下がることや折れることはしない。10万円なんて大金はそもそも持ってないと財布を広げてみせてやると、「銀行のATMで下ろせばいい。どうせ金は持ってるんだろう」と言われたので、さすがにここまで言われると堪忍袋の緒が切れそうになった。日本人って本当に全員がリッチだと強引な先入観で思われている。だけど、こんな時にそんな事を言われるのは本当にうんざりする。
 
 
すると、怒りに震える私の横で、突然誰かが私に声をかけた。
見ると横に座っていたアジア系の40歳くらいの女性だ。
彼女はサイズの合わないヨレたグレーの化繊らしき上着をきていて、少しうなだれたように背中を丸めて座席に座っていた。イタリアに出稼ぎに来てるフィリピンか、ベトナムか、典型的な家政婦のようにも見える。そしてイタリア語が分からないフリをしている私に向かって、コッソリと語りかけてきたのだった。
 
 
 
「お嬢さん、もうあきらめなさいな。」
 
 
 
 
この時の女性のことを、今でも脳裏にしっかりと焼きついていて、今でもなんともいえない気持ちにさせられる。なぜなら、それは反論のしようもないほど彼女の意見は正しいからだ。
 
 
私の主張はもちろん正論である。否定のしようがない。
だけど、彼女の主張のほうはもっと正論なのだ。
これが、イタリアで生きていく術なのだ。
 
 
だけど・・・一体どうやってあきらめればいいのだ。相手はマフィアじゃない。ただのバスの係員なのだ。
  
 
私をイタリア語が分からないツーリストだと完全に思い込んでいるバスの係員は調子に乗って相当汚いイタリア語で何度も私を罵った。罰金を徴収されるのを完全否定する私に、彼らは明らかにイライラし始めていた。
 
 
すると、それまでとなりでオロオロしていた友人が係員に向かって突然こう言い出した。
 
 
 
 「お金おろしてきます」
 
 
 
ちょっとちょっと・・・!!
この意外な展開と、バスの中のムッとする暑さで私はめまいがして倒れそうな気分だった。
さっきまで苛立っていた2人の係員はフンと鼻で笑って、「じゃあATMまで連れて行くからそこで現金おろせ」と言う。当時日本の10万円はイタリアでは約2倍の価値があった。こんな2人にその大金を真面目に渡すなんて発想は、申し訳ないけど正気の沙汰とは思えなかった。
しかも10万円で解決する価値もないことに、だ。
私は今度は係員ではなく友人を説得しなくてはならなくなってしまったのである。
 
 
結局友人の言葉を受け、2人の係員に連行され、わけの分からない場所でバスを下ろされ、わけのわからない道を歩き、2人の係員は数十メートル先を歩き、キオスクのある方へ向かった。そしてクルリと振り返って今度は「現金ではなくバスの切符を買ってくればそれで免除にしてやる」と言った。
私はもう無言になってしまった。 
 
 
 
 
ところが。
一瞬目を離した隙に、前を歩いていたはずの2人のバス係員の姿がない。
どんなに探してもいない。
あんなにブツブツ言っていたあの2人はさんざんもめた挙句、もうどうでもよくなってしまったのか面倒になったのか、いずれにしても煙をまいたように文字通り忽然と姿を消してしまったのだ。
 
 
私たちは前触れもなく突然開放され、苦い後味の悪さだけをかみしめながら切符を買いなおし、13番ではない別のバスに友人を連れ乗ってその場を後にしたのだった。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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イタリアのこういった金銭トラブルはよくある。
ぼったくり、悪質タクシーなどはその典型なので皆さんもよくご存知のことと思う。
バイト先のボスも外人なのだが、「イタリア人は雇いたくない」とよく言っていたのはそこだ。
 
しかし、言ってしまえばこんなことは日常茶飯事なので、あとはどこで自分が妥協するか、または自分が絶対に譲れないのは何なのかを、やはりきちんと理解した上で対応しないと、人間不信に陥りイタリアに絶望を感じて退散せざるをえなくなってしまう。実際私の周りにもそういう社会との関わりをうまく保つことができずに恨みつらみで帰国してしまう人も数多くいたのである。
 
 
だけど、一度自分に折り合いをつければ、イタリアでの行き方は意外と楽になる。
 
それはあのバスで言われた言葉の通り、文字通り「あきらめること」だ。
 
良い意味でも悪い意味でも。
 
 
辛くなったらそれを拭い去ってくれるほどの素晴らしい景色がイタリアには無数ある。
 
フィレンツェもその一つ。
 
だから私はあの街が嫌いになれないのだと思う。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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