ピラミデという駅で友達のロシア人と待ち合わせ。
住んでた頃からも滅多に乗らなかった地下鉄B線で駅を降りたら、さっきまで雨だった空が急に晴れて強い日射しが降り注ぐ。
その日射しを見て夏の思い出が一気によみがえる~。
ここからはリドという海の方にいくローカル電車が発着していて、それに乗ってよく海に行ったのだけど、その電車は落書きだらけでクーラーもなくみんなタバコ吸うから、落書きだらけでまともに外も見えない窓を全開にして破れたシートに座って、水着の上にワンピース一枚だけ着て、ビーサンとサングラスと浮き輪もって遊びまくった夏が甦りました~。もうあれだけが楽しみで生活してたような気がする・・・。今もあんまり変わってないけど。
(これこれ、ローマの夏のような日射し)
こちらはバイト先のそばのお菓子屋さん。
何かと便利だったのでお呼ばれした時はいつもここで差し入れのクッキーの詰め合わせを買いました。気に入ってたわけじゃなくて、ここしか選択肢がなかったというのが正解。
懐かしくて写真撮っちゃったよ。
ナポレオンⅢ通りの懐かしの家。
ベルを押してみたけど応答なし。
もうロベルタとリッチーは引っ越してしまったみたい。
正面玄関から数えてちょうど二番目の部屋がそう。
これ以上この写真をみるといろんなこと思い出して胸が痛くなるので次!
(むかし記事に書いたのがあります、「ドルチェ・ヴィータ」書庫に)
プリンチペ・アメデオ通り。
ボヤ騒動バケツリレー事件、爆発処理班事件、とんでもなく愛想の悪いタバッキ、けだるいロシアの愛人がレジをやっているバール、あごのしゃくれたカメリエーレのいるバール、下ネタしか言わないシチリア人おじいさんのいるバール、偽札の見分け方を教えてくれたあやしい両替所、各国の女性とかたっぱしからつきあっていると豪語していた真っ青な顔のドラック密売人がいるメガネ屋(そもそもメガネなんか売ってない)、キャデラックに乗ってやってくる超が100つくほど怪しい白いスーツの不動産のオヤジはすべてこの通りの話。
そして当時のバイト先がこの通りの向こうにあります。
(「イタリア悲喜こもごも」書庫の、だいぶ前の記事に詳細あり)
で、週末近い夜になるとぽん引き、売春あっせんの呼び込みのおばちゃんがここに立ちます。アメリカ人、日本人はいいカモだった。
そんな懐かしのバイト先に寄って10年ぶりにボスに会う。
あの頃一緒に働いてたパウロやリディア、メリーにソーニャはもういない。
残ってるのはヴィクトリアだけ。
懐かしい再会。
共同経営していたスペイン広場のお店から手を引き、今は2軒だけメインでやってるらしい。こないだ転んで足を怪我して、いい医者を探しているけどなかなかないという世間話から。
そうそう、ついでに言うとイタリア人って話がすんごい長いんですよ。
辛抱強く聞かないといけない。
10分立ち寄るつもりが30分になる。
時間配分失敗してこのあと約束していた友達を相当待たせてしまった。
翌日昼間、携帯忘れて出かけてしまい、夕方取りに戻るとボスから携帯にメッセージ。
「お前今どこにいるんだよー。昼に立ち寄るっていうからランチ行こうと思ってずっと待ってたのに」
そのメッセージが3つも入ってた。
確かに立ち寄るとは言ったけど昼とは言ってない。
この振り回され感もなつかしい。。。
折り返し電話してごめんね夜に立ち寄るからと伝える。
そんなプリンチペ・アメデオ通りにクロスする大きな通りがここ、
ナツィオナーレ通り。
ナツィオナーレ通り その2
ナツィオナーレ通り その3
ピッコロルイージの家(建物屋上)。
超お金持ちなのです。
一度だけ家に入ったことあるけど美術館みたいだった。
ルイージは日本好き(いわゆるオタク)で日本語少しだけ喋る。
ダメだね。
そういうのは。
ローマでお気に入りの通りがあります。
それはスペイン広場からポポロ広場に向かう、コンドッティ通りから数えて2つ目の「Via della Croce(十字架通り)」。名だたるブランドショップとは異なる小さなセレクトショップやカフェが並びます。
この通りの唯一の目玉だったお気に入りのカフェがなくなっていた。。。
レプブリカ広場。
見た目はゴージャスだけど、まあここも治安が悪いったらない。
もう慣れているので平気ですが、それでも地下鉄出る時はちょっと緊張するかな。
この広場にマクドナルドがあってよくお使いにいかされたんだけど、店員が絶対注文を間違える。持ち帰って袋をあけるとハンバーガーがポテトになっていたり、とにかく何かが絶対に間違えている。店員が変わっても間違える。とんでもないマクドナルドだ。
それにしても冬のローマの景色だなあ~。
それすらもなんとなく郷愁を誘う。
ところかわってオレンジ公園の鍵穴からバチカンのクーポラをみる!
下記、この大きな扉の鍵穴をのぞいている私はすっかり闇と化している。
隣りにいるのは友達の旦那様。
わざわざ連れてきてくれたの、優しい~。
ここ、車じゃないとこれないから。
なにがなんだか分からない写真。(友達撮影:私を撮りたかったんだって)
オレンジ公園の周囲はもう本当に中世そのもの。
パラッツォの外壁は朽ちて崩れ落ちそうになっているけどこれぞローマ。
こういうところ好きだなあ。
そしてホテルへ送ってもらうがてらバチカンへ移動。
エディーコラ(キオスク)にある機械に5セントコインをいれる。
これ、友達の旦那様のイチオシ。
するとコインがこんなふうに変形して出てくる仕組み。
デザインは選べる3種類だったけど、もちろんパーパフランチェスコ選びました。
(似てるかどうかは別として)
雨のしたたる誰もいない閑散期のバチカン。
大好き。
最後の夜は、前半にお世話になったイタリア人一家とトラステヴェレのスップリがローマ一美味しいというピッツェリアでディナー(写真なし)。近所のマルコの奥さんも飛び入り。トランプ仲間のおばさまは出かける前に挨拶にきてくれた。「またローマにおいでよ。だけど今回みたいに10年はあけないでね」
夕食の時の話題がこれまた大変。
私の明日の空港までの見送りをどうするかで大もめ。
ホテルのそばに空港まで直行のバスがあるからそれに乗るから大丈夫って何度言ってもなかなか納得してくれない。彼らはどうしても送ってあげたいとありがたい提案をしてくれるのだけど、私の滞在しているアパートまで朝来るのはしんどいから今すぐフライングでチェックアウトして今日はうちに泊まれと言ってきかない。だけどそれだと何度もパッキングの繰り返しで私も疲れちゃうから今回は丁寧にお断りしたのだけど、それでも納得いかないふてくされたシニョーラをなだめるのは大変だった。「次は必ずうちにずっと泊まんなさいよ」と半ば怒ったように言うのだけど、お言葉にあまえると今度はまたいろいろあるのも分かってるのでできれば避けたい。彼らに悪気はないのですけどね。でも私はそんなシニョーラが大好きなのです。明るくて愛嬌があっておもしろいから。そして70を過ぎてもあの頭の回転の良さにはビックリする。トランプでのキレのよさ、半端なかった。
最終日、バチカン郵便局にハガキを投函したくて散歩がてら立ち寄った、
朝のサンピエトロ大聖堂。
やっぱりここが原点。
次に来る時もやっぱりバチカン周辺に滞在しようっと。
でもそれは何年先かな。
ローマ旅行、締めくくる前にもういっこ、ラストの記事は次へ続く。