世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

フィレンツェ/秘密の扉・メディチ家礼拝堂

「さて、週末はちょっとフィレンツェにでも行ってみようかな」

そんな感覚でどうぞ。

イタリアには各地の訛りが存在しており、なぜかフィレンツェが標準語の基準値とされています。
しかしフィレンツェ弁も結構なものです。
コカコーラを「ホハ・ホーラ」と読みます。

また、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅からドゥオモに行く途中の道路に必ずジプシーがいます。
イタリアで言うジプシーとは泥棒集団のことで、子供なんですけどあなどれません。近寄られても追い払う自信はありますが、面倒くさいので遠回りする事も可能です。

その道中にある、メディチ家礼拝堂。
メディチ家の、礼拝堂です。そのまんま。

で、この礼拝堂の中にはミケランジェロの目をみはる彫刻がならんでいます。
「昼」「夜」「曙」「黄昏」と4つのテーマに沿った彫刻です。これはロレンツォ・メディチの墓碑となっています。この時代ミケランジェロメディチ家の寵児としていたくかわいがられていた為、ぶつくさ言いつつも忠実に依頼をまっとうしています。いわば、彼なりに頑張ってる時代です。ルネサンスが一気に開花した時代ですね。

ミケランジェロの彫刻、絵画の大きな特徴としては、「女性も筋肉隆々」に作られていることです。
唯一の例外と言えば、初期の作品、バチカンの「ピエタ」くらいでしょうか。
ダ・ヴィンチやラファエロの女性的な曲線は全く現れません。
ただ、この人はゲイ説もありましたし、ルネサンス時代には稀な、ある意味一歩先を行く「現実主義・写実主義」に近い人だったんじゃないかという個人的見解です。かつての旧約聖書やイエス、聖人たちをあれほどなまめかしく描いた人ってあまりいないでしょ?それは晩年の作品、システィーナ礼拝堂フレスコ画をみれば分かります。

さて、これはロレンツォ・メディチのために作り上げたお墓。

みなさんは既に、秘密の入り口に立っています。

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写真には映っていませんが、この彫刻の左横には椅子があり、監視員のオジサンが座っています。

更にそのオジサンの横に、ちいさな扉があります。

看板もなければなんの変哲もないその扉が、ズバリ秘密です!!



その扉の向こうには実はもう一つ、小さな部屋があります。

そこにはミケランジェロの隠れ家が存在しているのです。

彼がフィレンツェから追放された時、しばらく身を潜めた場所がここ。
ミケランジェロはこのお墓部屋の設計も行っていましたので、こういう半地下みたいなものを誰にも知られないようにこっそり作っていたというわけです。

今でもここの存在を知っている人は知っているけど、知らない人は知りません。ミステリーハンター





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壁という壁に


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身を潜めている間もこうやって、彼は描き続けていたのです。


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ミケランジェロの素描をこのように間近でみれると、個人的には結構鳥肌が立ちます。



扉のそばにいたオジサンの熱心なガイド付き。
ただしイタリア語です。
しかもガイドっていうか・・・「俺のおふくろが足を痛くしちゃってさ」みたいな身の上話が殆どでした。15分くらい話を延々と聞かされました。


一般公開は表立ってはしていませんが、「ちょっと見せてん」と(演技で)カワイくすねてみると、いとも簡単にその扉を開けてくれる仕組みになっている、『イタリア式・色気仕掛けの秘密の扉』。
男性の場合はどうでしょう。やり方を変えるしかありませんね。

この後も何度かメディチ家礼拝堂を訪れましたが、このオジサン、いる時といない時があります。
気まぐれなんでしょう。所詮イタリアーノですからね!


絵画鑑賞の後は、トスカーナワインとイタリア料理に舌鼓~。
といきたいところなんですが、観光地なのでぼったくりレストランが多く点在します。気をつけましょう。

しかし、ミケランジェロ広場から眺めるフィレンツェの景色は、絶対に裏切りません。

写真ボケてますが、
左の橋はポンテ・ヴェッキオ
右手前はサンタ・クローチェ教会
左奥の鐘楼が見えるのはヴェッキオ宮殿
そして真ん中はあのドゥオモです。


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しばらく思ってもいなかったけど、久しぶりに今日はイタリアに郷愁を覚えてしまいました。
間もなく5月。イタリアには本格的に夏が訪れる時期です。
そろそろ水着の準備をしたり、夏の計画を立てたり、夜長を楽しむプランを練ったりと、夢が膨らむ一番好きな季節です。(遊ぶ事しか考えていなかったらしい)


チャオ。

注)写真は94年になっていますが、カメラが狂っていただけで本当はもっと最近です。