人間だった彼を見かけた最後の日、彼は世界はさびしいと思っていた。 |
これは異常なことじゃない。彼はいつだって世界はさびしいと思っていた。
それが私が彼を愛していた大きな理由だった。
私たちは一緒にすわり、さびしくなり、なぜこんなにさびしいんだろうと考え、
ときにはさびしさについて議論した。
それが私が彼を愛していた大きな理由だった。
私たちは一緒にすわり、さびしくなり、なぜこんなにさびしいんだろうと考え、
ときにはさびしさについて議論した。
人間最後の日、彼はこういった。
「アニー、わからないかな?われわれはみんなあまりにかしこくなりすぎたんだよ。脳はどんどん大きくなるばかりだけど、考えがひしめきあって心が十分にないとき、世界は干上がり死んでしまう」
彼はしっかりした青い目で、刺すように私を見た。
「ぼくたちもそうさ、アニー」と彼はいった。
「ぼくたちはあまりにも考えすぎだ」
「ぼくたちもそうさ、アニー」と彼はいった。
「ぼくたちはあまりにも考えすぎだ」
ときどき彼が海岸に打ち上げられるのではないかと考えることがある。
びっくりしたような顔をした、裸の男。歴史をさかのぼり、また戻ってきた人。
びっくりしたような顔をした、裸の男。歴史をさかのぼり、また戻ってきた人。
私は鳥たちに餌をやり、ときどき、ひとりぼっちでベットに横になる前、自分の頭骨のまわりに両手をあててみる。それが大きくなっているのではないかと思って。
そしてもし大きくなっていたら、いったいどんなものが、何の役に立とうとして、大きくなった分の隙間を埋めているかと考えるのだ。
(以上抜粋:「思い出す人」/エイミー・ベンダー『燃えるスカートの少女』より)
現実と非現実の世界の間にある、小さな隙間をサラリとくぐり抜けていくような表現力。
深い闇。
どうしようもなく、むせかえるほどの苦しみ。
深い闇。
どうしようもなく、むせかえるほどの苦しみ。
この10ページちょっとの短編を、私は週末の晴れた電車の中で読んだ。
あっという間に引き込まれ、最後は胸がギューッとなって、なんだか泣きそうになってしまった。
あっという間に引き込まれ、最後は胸がギューッとなって、なんだか泣きそうになってしまった。
なんて力のある作家なんだろう。
この人の短編は、滑らかにスラリと展開していき、それらの文章によって情景がポッと浮かび、
ほんの数行でズドンとくるパワーがある。
しかも文章がまるで一つの詩のよう。
この人の短編は、滑らかにスラリと展開していき、それらの文章によって情景がポッと浮かび、
ほんの数行でズドンとくるパワーがある。
しかも文章がまるで一つの詩のよう。
理屈じゃなくて感覚のパワー。すごい。
こういうの、すごく弱い・・・。
こういうの、すごく弱い・・・。