世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

マンハッタン

マンハッタン(1979年)

主演:ウッディアレン、ダイアンキートン


 


第一章

彼はNYを愛し、ありとあらゆるクズみたいなのを偶像化していた
(・・・訂正)クズすらもロマンティックに考えていた
彼にとって街はどんな季節も黒と白の存在であり、それはまるでガーシュインの音楽みたいだった

(うーん・・・やり直しだ)

第一章

彼はマンハッタンに関してはストイックなまでにロマンティックだった
NYの女は彼にとって一番美しい女たちであり、NYは世慣れた男のようだった

(陳腐だ。。もっと深みがほしい)

第一章
彼はNYを愛していた
NYは彼にとってめまぐるしく変化する現代文化の腐敗の暗示であり、誠実さの欠如から人は安易に流され、彼の理想の街を・・・

(説教くさくてこれじゃ本が売れない)

第一章

彼はNYを愛していた
NYは彼にとってめまぐるしく変化する現代文化の腐敗の暗示であり、麻薬や耳障りな音楽、テレビや犯罪とゴミの街で「生き難くとも」・・・

(憤慨しすぎだ。。別に怒りたいわけじゃない)

第一章
NYはタフでロマンチックだった
まるでジャングルの山猫の精力がまんべんにみなぎっているようだった(いい表現だ)   ←笑

N.Y is his town, and it always would be.


※( )はウッディのつぶやき・・・訳がイケてないけどもう面倒くさいので・・・



ウッディアレンの映画は特に冒頭がいい。
私がこれまで観た中で、「マンハッタン」はピカイチ。

しかもこのおしゃべりのバックに流れるNYの街は絵画みたいに美しいし、
ヤンキーススタジアム?をバックにゆっくり横切るサブウェイなんかは差し味が効いている。
ガーシュインの音楽はとてもクラシック(古典という意味で)、あえてモノクロで撮影したこの映画にとてもフィットしているような気もする。

(あらすじ)
NYに住むバツ2のテレビ構成作家の男の恋模様。


シーン(1) 明け方のマンハッタン
これは出会って二度目の男女がおしゃべりに花が咲いて、犬の散歩のついでが、ついつい明け方までベンチで語り合ってしまった時のシーン。よく見るとダイアンキートンの足元にはダックスフンドもいます。有名なシーン。

イメージ 1



ウッディアレンがこの映画(またはアニー・ホール)に含めたメッセージは、
基本前提①世の中ってのはうまくいかないようにできている、けど、
基本前提②それを救うのはユーモアだ っていうのがあるんですよね。
まぁこれは映画を観た上での個人的主観ですが。だから私はウッディアレンの映画が好きなんだと思う。

シーン(2) 別れた彼女を思い出す
男は本のネタをあれこれテープに吹き込んでいる間に、ふと別れた彼女を思い出します。
いてもたってもいられなくなり、走って彼女のもとへ駆けつけます。
まるで「恋人たちの予感」のラストシーンみたいに!あの映画ではおおみそかのパーティーで「一日の最後におしゃべりしたいのは君だ」といって終わりますが、ウッディの場合は「あと二日早かったらね」で終わります。
これが・・・これが大衆ウケするかしないかの大きな違いだ!!!と私は声を大にして言いたい。

シーン(3) 別れた彼女の言葉
更にラストで、自分より二周りも若い女の子にピシャーンとこう言われて幕は閉じます。
「たまには人を信じなさいよ」


おそらく彼の映画を、起承転結ドラマとして観てしまう場合、はっきりいってこの映画はとてつもなく退屈に感じるでしょう。大体において彼の映画はそういうケースなので。
私にとってウッディアレンの映画を観るという感覚は、重いテーマに浸るとかじっくり何かに想いを馳せたいとか、そこまでのものではなく、何か物足りない夜だったり気分が良い夜だったり、何となくそういう体制で観る(少なくとも何度かは笑わせてくれるし)。何より配役がそれぞれとっても魅力的だし、何よりとてもチャーミングな映画。特にこの頃は。

イメージ 2


ステキだなと思うところは、こんなにシニカルなくせに、意外とロマンティストなところ。
マンハッタンの夜を観光馬車で走るシーン。
「こんな俗っぽいのが好きだとは思わなかったよ」なんて役柄で文句いいながらも、監督としてあえてそういうシーンを入れてるところがいい。NYをどれほど愛しているかの投影でもあるんだろうけど。押し付けがましくない。
一番最初この映画を観たとき、これがとても印象深かったシーンだった。


「マンハッタン」のポスターはNYを訪れた時もよく見かけました。
事実、ウッディアレンのファンは一体どれくらいいるんだろう。

チャオ。