昔ローマでアルバイトしていたお店にメリーというおばあちゃんがいた。
メリーは昔パリに住んでいたことがあるのでフランス語ができる。英語とフランス語とイタリア語(とエジプト語もできるはず)を話す。出会った当時は推定65-70歳くらいで、独身。家族や兄弟のことについては何も知らない。
メリーは朝番だったので午前中のシフトの時だけ会えた。とにかくひどいチェーンスモーカーで、10分おきにタバコを吸う。当時はイタリアではお店の中でも普通にタバコが吸えたので、店内で堂々とすっぱすっぱ吸っていた。そして本当によく喋る人だった。声もすごく大きい。
メリーは小柄で150cmくらい、歩き方もキビキビしていて赤茶色のショートヘアで明るい色の洋服をよく着ていた(黒い服を私が着ると「そんな地味な色の服を着るのはやめたほうがいいわよ」と言われた)。時々襟足から下に、縦に走る傷跡が何本も見えたけどずっと知らないふりをした。
朝仕事に行くとこんな感じ。
ガハハハハーーーーチャオげんきー???(ゴホゴホ)今朝何食べたの??ああ~ローマは空気が悪くて今日も最悪ね~。湿度よ湿度。湿度が原因だわね。よくみんな生きて過ごしてるわね~あらあなた今日もそんな黒い服なんて着て地味ね~若いんだからもっと明るい色を着なさいよガハハハハーーーゴホゴホゴホゴホ。。。。。
とにかくうるさい。
底抜けに明るい。
そして本当によく喋る人だった。
黙っている時間が1分もない。
ペラペラしゃべりスパスパたばこを吸いゴホゴホ咳をしてまたペラペラ喋る。
それでも私はメリーが大好きだった。
なんでかわからないけど憎めない人だった。
私の誕生日には、チョコレート味の小さなケーキを買ってきてくれてふるまってくれた。それは近所のディスカウントスーパーに売ってる100円程度のものだったけど、70歳近くのおばあちゃんがささやかだけど私のために用意してくれたことやおめでとうと言ってもらって本当にうれしかった。フラゴリーノ(いちご)のシャンパンを開けてプラスチックのカップで乾杯しラジオの音楽を聴いて社長がいない隙にみんなでパーティーをしたのだった。
もう亡くなってしまったRさんと私でメリーの自宅に遊びに行ったこともある。普段はあんなにフレンドリーなくせに潔癖でけしてプライベートをあけすけにする人でもなかったので、お家に招待してもらうのはすごく稀なことだったと思う。確かPorta Piaの近くにある大きいどっしりとしたアパートの一階に灰色の猫と住んでいた。チェーンスモーカーらしく、玄関から廊下、リビングからキッチンの動線の至る所に灰皿が置いてあり、すごく上品な調度品や絨毯が敷いてあった。そしてふるまってくれたお料理がすごくおいしくて、メリーは相変わらずタバコふかしながらワインをガブ飲みしていた。甘いものも好きだったので、手土産にチョコレートを持っていき、三人でたくさん笑って話してすごく楽しかった。
私がよくいろんなところにぶつかってあちこちにあざを作るから、メリーに「あなたは角のない丸い家具を買ったほうがいいわよ」と言われた。なるほどねと思い、そうだねと言った。
時々おせっかいで皮肉屋なメリーに私が辟易したり機嫌を損ねると「そんなに怒らないでよ」って笑顔で言われ、そうなるとこっちも何も言えなくなった。
ある日はフランス語を教えてくれると言ってメリーがノートを買ってきてくれたけど、飽きっぽい私たちは三日も続かなかった。
よく言ってたのは、アレキサンドリアの人たちは誰に対しても親切だということ。道端で倒れている人がいれば水を差し出し、お腹が空いていれば食べ物を分け与える。困った人をみんなが助けるのが日常なのだと。ローマは死んでいる。誰も他人のことを考えない、自分のことしか考えない。街は汚いし人は冷たいと繰り返した。
それを聞いて信仰心って一体なんだろうかと思ったこともあった。ムスリムの人たちの心の広さはクリスチャンとは比較にならないほどあたたかいことの方が多い。ひとたび家族であったり仲間だと認識されると、自分を犠牲にしてまでも相手を尊重するのだ。
メリーはパリが好きだった。カルチェラタンでは若い頃どれだけ楽しい日々を過ごしたかパリの話をよく聞かされた。
そしてこう言ったのだった。
「若い頃は将来のことなど考えずに毎晩のように遊び歩いてそれはたくさんの人々と出会ってきたし、好き勝手に生きてきた。だけど今はもしかしたらそのツケがまわってきたのかもね」と。
タバコの煙をくゆらせながら遠くを見つめる小柄なメリー。明るくて強くてちょっとやそっとじゃへこたれないけど、ふと瞬間に現れる心のすきま。それをきっと人生の機微というのだろう。
あの時から少しずつ年を重ねてきて、おそらく自分も自由で好き勝手に生きている方だと思う。もちろんその分の責任もしっかり受け止めているのだけど、いつかやっぱりメリーみたいに思う時がくるのだろうか。この代償はいつかまわってくるのだろうかとちょっと考えることがあって、それは間違いなくメリーのせいにちがいない。
「あなたがパリに行くことがあったら足を運んでみるといい」と言われたカルチェラタンの界隈を歩く時、今はもう所在さえしらないアレキサンドリアから人生を紆余曲折しながら一人でローマにたどり着いたメリーを思う。もうこの世にいなくなっている可能性もあるし、ローマでメリーを知る人たちもほとんど亡くなってしまった。どうやったってもうたどり着けないけど、記憶の中に今もきちんと生きていて、時々私に今でも語りかけてくるメリーを懐かしく思う。
今また会えたらいろいろ聞いてみたいなと思う時がある。
そう思う人ほど二度と会えないことのほうが多い。
いなくなってから初めてそう思うのか、時間を経たからそう思うのかはよくわからないけど、やっぱりもう話ができないのはちょっと寂しい。それはきっといい人間関係を築いた証なんだなと思ったりもする。
相手はどう思っていたかわからないけど、同じように感じてもらえているといいな。