ローマの夏は長い。
5月の中旬から10月までは半袖で過ごすことができる。
ヨーロッパの夏はカラリとしていて湿気がなく過ごしやすいとよくいうが、ローマはそうでもない。
海が近いので湿気を多く含み、風もない夜は結構寝苦しいし、
太陽の陽射しは脳天をガツンとやられるほど強く、30分も外を歩いていたら気絶しかねない。
そんなローマの夏は、よく通り雨が降る。
恵みの雨だ。
しかし、ローマの雨はそんじょそこらの通り雨ではない。
さっきまで脳天をなぐりつけていた太陽はサッと隠れ、黒い雲があたり一面を覆いつくし、ローマの遺跡や古い町並みは一転、薄暗い闇に覆われる。そして大地が割れんばかりの怖ろしい雷が来襲するのだ。
その雷雨はとんでもない。
もう今日で地球は絶滅するんじゃないかと思うくらいだ。
すぐそこの建物の裏側に雷が落ちたのではないかと思ってしまうほど近いのだ。
窓がビリビリ震える。
心臓もブルブル震える。
思わず耳をふさぎたくなるくらいだ。
文字通り、天地が怒っているように感じる。そして同時にものすごい巨粒の雨が滝のように降り出すのだ。
そうして、先を急ぐ人々の足も必然的に止まらざるを得なくなり、軒下で雨宿りをする。
それがローマの夏の風物詩の一つである。
ところがこのように雨宿りを始めると、
すかさず遠くから「アンブレッラ~、アンブレッラ~」と調子はずれの声が聞こえてくる。
すかさず遠くから「アンブレッラ~、アンブレッラ~」と調子はずれの声が聞こえてくる。
傘売りだ。
売り子は中東の人たちが多い。
さっきまで窓拭きに精を出していた人たちかもしれない。
いずれにしてもものすごい素早さで傘の売り子がやってくるのだがその素早さは感心するほど。
雨が降り出したかと思うと、天からの怒号が最初に降りてくる前には、もうすぐそばであの調子っぱずれの掛け声で傘を売り始めるのだ。その素早い行動に、私は毎回不思議でならなかった。どうしてそうも準備万全で、一体どこに傘を仕込んでいるのかも不思議だった。値段は10,000リラだったので当時でいうとおよそ700円くらい(いい時代だった)。
だけど、どんなに先を急ごうと、けっして彼らから傘を買うことだけはやめていた。
チップを強要されるから?ぼったくられるから?
違う。
ある日、用事があってバチカンのそばのコーラ・ディ・リエンツォ通りの近くを歩いていたら突然空が薄暗くなった。まさかと思った瞬間にどしゃ降りになり天が割れるような怒号と稲妻が空を切り裂いた。でもどうしても急いで行かなければならない用事があったので強行突破することに決めた。すると、いつものように目の前に背の低い中東の男性が折りたたみ傘を片手にいっぱいぶら下げて近寄ってきたので、遂にその日、ローマで初めて傘売りから傘を買った。
外国によくある、派手なアフリカ柄の折りたたみ傘だ。
雨はまだ降っている。足元はもうすっかり濡れている。
買った傘のひもをほどいてサッと広げた瞬間、私はすぐに後悔した。
壊れていたのである。
予想通りだ。
傘なんか買うんじゃなかったと思った。
どうせこんな天地の怒りはタバコを一本吸い終わるころにはすぐにどこかへ行ってしまうのだ。
急ぐのも諦めた。
雨が降りしきるのをひと通り眺めながら、日本のことを考えた。
なぜか雨宿りをしているとき、いつも日本のことを思い出して考えた。
そしてやがて雷が止み、雨が上がり、あの灼熱の太陽が顔を見せ始めた。
雨宿りをしていた人たちが軒下からポツリポツリと歩道に出始めたので、私も濡れきった歩道に出た。
ローマの太陽はあっというまに濡れたアスファルトを乾かしてしまうだろう。
ごみ箱があったので傘を捨てた。
もう傘の売り子の姿はどこにも見当たらない。
彼らも、雨と一緒に、
どこかにいってしまった。