以前も書いたけど、ここは最初に宿をとった場所なので感慨も深いし、ローマでもどちらかというと下町暮らしに慣れていた自分としては居心地が良いし肌になじむ場所。









通算するとパリにいる時間は1人の時の方が多い。
誰かと来たり、待ち合わせたりしたこともあるので毎回1人ではないけど、大体1人の時の方が多い。
本来1人でいることの孤独も心地がいいので余計そう思うのかもしれないけど、旅の記憶はそれくらい誰かと密接にならなくてもいい方がちょうどいい場合もある。
なぜなら、以前通った場所もいちいち感傷的にならずにすむからだ。
レピュブリックのこの通り、前も通ったなあの人と。
となっちゃうと結構切ない。
それが良い思い出だったらいちいち胸がキュンキュンしちゃってとたんに人恋しくなっちゃうと思う。
ローマやペルージャなんかそう。
自分のルーツといってもけして過言じゃないけれど、もう当分行く気がしない。
あと20年くらい経ってから行ってもいいと思うくらい行けない。
なぜかというと、たくさんの楽しかった記憶を思い出しちゃって仕方ないから。
そして同時に感じるのだ。
時は過ぎ、過去は過去でしかなく、思い出はもう思い出でしかないことを。
それを自分の中で噛み砕くことは想像するよりも心寂しい作業なのである。
少なくとも私にとっては。

だからパリはそんな感傷的な街であってはならない。
そんな街ばっかりだったらどこにも行けなくなってしまうから。


歩いていると気温はすでに30℃もあった。
10月とは思えなかった、去年の今頃のパリ。

今年はいつもに増して忙しい一年なので旅行はお預け。
そのかわり来年、多分またパリに行くと思います。
エッフェル塔の置物を買い忘れちゃったし。