世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

�モロッコ最終章~心の価値観

カサブランカから空路で移動できないと知った私達は、すぐさまモロッコを脱出することに。
タンジェ(モロッコからスペインへ移動する国境の町)まではカサブランカから電車で約8時間くらいはかかると予想。すると朝早く移動しないと同日にスペインへ移動する事が出来ない。
しかしモロッコの駅は時刻表がない。

私の旅の勘で、おそらく朝7時くらいに行けば一本くらいは長距離電車がある。

なので出発の朝は5時起きし、朝食はランチボックスを作ってもらうようフロントにお願いしておきました。翌日荷物をまとめ、6時すぎにフロントへ行くと「ランチボックス?あぁ。」と言われたまま放置される私達。待てど暮らせど準備する様子もなく、朝食を準備している人達はのんびりムードで準備する様子もない。
私、「すいませんけどまだですか?」
朝食係はただ笑うだけ。
私、「7時までに駅にいかないといけないんですが時間がないんです」
朝食係はただ笑う。

いい加減にして!!!!ついにキレた私はカウンターにあったパンを鷲づかみにして袋につめ、その間に旅友がつかまえていたタクシーに乗り込み急いで駅へ。駅へ着くとやはり勘は命中、タンジェ行きの電車は発車間際。あと1分でも遅かったらその電車には乗れなかったー・・・。

思えばモロッコに入り、フェズでは怖いガイドにボラれ、モロッコ人の「お金を一円でも多く観光客から奪いたい」根性にはほとほと疲れており、あたたかい思い出というよりも「金づる」という目でしか見られなかった事や、当たり前の常識と思っている範囲があまりにも狭く全てが思う通りには行かなかった。

ある町では子供たちが「お父さんにあげるから」と言って塊になって私達の周りに集まりタバコをくれと群がる。あれは絶対嘘で、小さいうちから子供がタバコを吸う事実。誰かにお金をもらう、物をもらう時の英語のフレーズだけは知っている子供たち。大人でも平気で人を騙す現実。
「お金」に対しての異常な感覚は正直言って精神的にダメージをくらいました。
どこに行ってもお金お金お金。

すると電車の中である1人のモロッコ人と同じコンパートメントに同席。
彼は流暢な英語を話し、日本にも住んでいた事があるという。
「もううんざり」
これが私の印象。
最初の会話の影に潜むお金に対する執着心とその下心に付き合うような気持ちの余裕がない。
しかし彼は長々と話しかけてくる。私はものすごくぶっきらぼうに応対し、時には無視していました。

その男性はこう話しかけてきた。
「どうしたんですか」
私は答えました。
「もう疲れたんです、この国に。はっきり言いますけど。」
彼は不思議そうに私をみつめました。

するとある親子が同じコンパートメントに入ってきて私の隣に小さな男の子が座りました。
彼らは英語が分からないのでじっと大人しく座り外を眺めていました。

さっきの彼がしばらくしてから私に話しかける。
「なぜモロッコがそんなに嫌なのですか。」
私はイライラしながら面倒くさそうに答えました。
「申し訳ないのですが、ハッキリ言います。私はモロッコという国に少しでも興味を持って訪れた観光客です。でもあなた方はその行為を裏切るような行動しかとらない。だから親切心に裏切られ、気付けばお金を要求してくる下心にいい加減頭にきて脱出するところなんです。信用できるものが何一つないじゃないですか。」と。

彼はすぐさま答えました。
「あなたの国、日本は世界でもトップクラスの経済大国ですね。でもモロッコは違います。みんな生活に必死なのです。彼らには仕事もなく、唯一生活する為の大きなビジネスは観光に頼るしかないのです。彼らにチップを強要されたとしてもそれがほんの100円であれば、それを与える事によって彼らはご飯が食べれるのですよ。」

私は言い返しました。100円の問題ではない。お金を取るために親切心を売り物にしているところが何より頭にくるのだ、と。バカにされている気分になるしせっかく楽しい思いをしたと思ったら、結局裏切られ最後に非常に嫌な気分になってしまう。結局お金欲しさで近寄ってきただけだったのね、と。

彼は悲しそうな顔をして、こう言いました。
「あなたの隣に今座っている少年を見てください。彼があなたの言う浅ましい少年に見えますか。」

ふと隣を見ると、先ほどの親子の少年が私をみつめています。
言葉の分からないその子はじっとうずくまって何も言わずに黙っていました。
窓の外を見ると、カサブランカの都会の風景はとっくに消え、一面の平原で、時々ロバを連れた子供がどこに向かうのかも分からないけど、ぽつんとそこにいました。

「あなたの隣に座っているような少年は少なくとも、この景色の中に生きている子供です。教育も都会の喧騒も知らないモロッコの子供です。彼があなたの言うような行為をすると思いますか。」

もう一度その少年を見ると、少しだけ怯えたような表情をし、お母さんにそっとしがみつく。

その姿を見て、私はさっきまでの発言が非常に場違いな感じがしてくるように思えました。
「モロッコは貧しい国です。でもこの子が悪さをするようには、あなたには見えないでしょう。あなたが見た、出会ったモロッコ人はこの子とは違うと思います。けれど、少しだけお金を与える事で彼らは救えわれるのも事実なんですよ。」

その瞬間、目からウロコが落ちるような感覚にとらわれました。
常識が通用しない、またはお金の下心に腹が立っていた自分の感覚は”自分の育ってきた、知ってきた世界での価値観”からの感情にすぎず、彼らの世界観をベースにした時、違った物の見方が出来たのかも知れない。
私はモロッコの旅の途中でこうも思っていた。お金がないのはみんな同じ事で私だって海外で生活する為に必死に働き、何とか自分で工面してる。それなのに私から騙し取るなんて甘くみるな、と。


片言の会話。
楽しい時間。
それが仮にお金欲しさによるものだったとしても、100円をあげることで彼らがそのお金で子供に鉛筆の一本でもパンでも買ってあげることができるのだとしたら、
私はその下心に気付かなかったフリをする事もできた。

相手も自分もハッピーな気分で終わる事ができる。
ほんの小さなお金で・・・・。

彼は少年に話しかけた。
「このお姉さんをどう思う?」
少年はハズカシそうにアラブ語で答えた。
そして彼はそれを訳して私に伝えた。
「とてもいい人そうに見える、そう言ってますよ。」
そして彼と少年と少年のお母さんは私を見て優しそうに微笑みました。

私はこれまでの刺々しい気持ちが、急にやわらかくなっていき、同時に恥ずかしさがこみあげてくるのを感じ、それを隠すようにこう答えました。
「じゃあ10年後にまた会ったら結婚しようか」
すると彼は笑ってまたアラブ語で訳すと少年は、
「僕が10年経ったら僕は大人になるけど、お姉さんはオバちゃんになっちゃうから結婚はできません」

一同、大爆笑。

私は何か辛くなって、トイレへ行くフリをして席をはずしました。
コンパートメントの脇の通路を歩く途中、外の景色は依然広大な平原が広がっており、
真っ黒に日に焼けたおじいさんがぽつんと建つ小さな家の前で走る電車を見つめる姿を窓から見送りながら黙って歩きました。
気付けば、自分の顔も自然と微笑んでいるのに気付いたのはその時でした。

席に戻った時、こっそり旅友が私にこう言いました。
「beabeaの、モロッコに対する印象が少しでも良くなってくれたらいい、って彼が言ってたよ。」

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私は本当の旅をしている。
心の価値観が大きく変化している。

世界には色んな人がいて、いろんな生活がある。それはけして、自分が育ってきた環境に同調するものばかりではないと、頭の中では分かっていても、実際その現実に直面すると人は杓子定規で物事を判断してしまう傾向にある。だからこそ人類の共存は難しいのだとは思うけれど、自分の価値観をほんの少しだけ柔らかくする事によって、何かが変わることもあるのかもしれない。

汝、隣人を愛せよ。

これはカトリック、そしてイスラムにも通用する格言であり、私が育った日本はあまりにも自分の枠で、自分の意見や世界観でしか判断できない社会になりつつあるのかもしれない。
だとしたら、実は本当の悲劇は私の方なのかもしれない、と思った。

ロッコ
カサブランカ朝7時発タンジェ行きの電車は、私の心の価値観を一気に覆した運命的な電車でした。