世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

橋桁問題

河内長野市で福島製の橋桁工事が住民の要請を受けて中断されているとのこと。
なんでも理由としては、地元住民は放射能汚染の数値をはっきり示してくれないと不安でしかたがないらしい。考えてみれば同様のことが今年の夏、京都の大文字焼きの祭りの時も起こった。


なんてばかばかしい話なんだろうと思う。
その橋桁や薪が放射能で汚染されているかもしれないから不安だと言うのは、福島の人たちに対する間接的な差別発言だと私は思う。そもそも、そんなことを言う人はおそらく分かってないのだと思うのだけど、福島原発はレベル7の大惨事であり、放射能汚染は何も東北関東だけに起こっていることではない。汚染水は海水へ流れ拡散されているし、雨に混じって空から大地へ落ち、風に乗って飛んで行くのだ。お惣菜やファミレスに入っている野菜だって福島産かもしれないのを私たちは知らずに口にしているのかもしれない。つまり、橋桁や薪が問題なのではなく、「すでに手遅れかもしれないしそれを誰も止められない」ことが問題なのだ。福島原発チェルノブイリを越え、メルトダウンどころかメルトスルーしていたのにも関わらず、政府はそれをひた隠し、私たちはメディアや世論におどらされ、まるで何事もなかったかのように生活するのがまっとうだと洗脳されてしまった。それなのに薪だの橋桁だのなんだと言うのだろうか。まったくくだらない。


口に入れるものは確かに不安だと思う。
でも、橋桁も薪も食べ物とは違う。
ものすごい偏見と差別としか思えない。


支援だ復興だといいながら、一方では矛盾した価値観があることも事実であり、福島への経済的復興支援がまた一歩遠のくことが心苦しくてならないし、とても残念なことだと思う。