ここに私の友達、マルタちゃんが住んでいます。
私にイタリア語を教えてくれた、日本語ペラペラのイタリア人です。
そして彼女は日本留学中に、日本人のボーイフレンドと結婚し、今は二人でヴィチェンツァに住んでいます。
ローマからヴィチェンツァってなかなか行きにくい場所で、私はイタリア滞在中に二度しか会いにいけませんでしたが、とてもアットホームな家族でいつもあたたかく歓迎してくれました。
私にイタリア語を教えてくれた、日本語ペラペラのイタリア人です。
そして彼女は日本留学中に、日本人のボーイフレンドと結婚し、今は二人でヴィチェンツァに住んでいます。
ローマからヴィチェンツァってなかなか行きにくい場所で、私はイタリア滞在中に二度しか会いにいけませんでしたが、とてもアットホームな家族でいつもあたたかく歓迎してくれました。
ヴィチェンツアのメインシンボル、バジリカ・パッラディアーナ。
こういう支柱のズラリとならぶ箱型の建物はベネト特有の建築です。
太陽が傾いてこの建物の下に、あるいはその奥に、とてもエキゾチックなシルエットを作るのです。
いつかベネツィアを紹介する時に写真で説明しますね。
こういう支柱のズラリとならぶ箱型の建物はベネト特有の建築です。
太陽が傾いてこの建物の下に、あるいはその奥に、とてもエキゾチックなシルエットを作るのです。
いつかベネツィアを紹介する時に写真で説明しますね。
マルタのお母さんは(北部の人だけに)ちょっと上品なイタリアマンマだけど、根っから明るい天然ボケでよく笑わせてくれました。私が遊びに来たときはいつも手作りの編み物とかカードとかかわいくラッピングしてくれたし、いつも私を呼ぶときはフルネーム。
例えば私の名前が八代亜紀だとしますよね。
すると「今日は何食べようか八代亜紀。」「今日は天気がいいわね八代亜紀」と言った感じなんです。
おもしろかったのであえてつっこまずにそのまま放置していたら、今度はこう言われた。
例えば私の名前が八代亜紀だとしますよね。
すると「今日は何食べようか八代亜紀。」「今日は天気がいいわね八代亜紀」と言った感じなんです。
おもしろかったのであえてつっこまずにそのまま放置していたら、今度はこう言われた。
「実は今日餃子の皮っていうのを見つけたから買ってみたの八代亜紀。これ、どうやってお料理するの?」
やばい・・・
私、餃子の皮って一度も調理したことない。
けど、せっかくマンマが私のために買ってくれていたので、よーし適当にやっちゃえ~!と思って、餃子の皮を揚げることにしました。これなら簡単!と思ったんだけど、なんか覚えていないけどうまくいかなかったんですよね。二人で格闘した結果、「これは諦めた方がいいわね」という結論に。
私が最初に訪れた時は、ご主人もイタリアに来てまだ間もなくて、マルタが日本語上手だったし二人でいつも日本語使っていたのでイタリア語がなかなか上達できなかったみらい(もともと無口な性格っていうのもある)。
ある日みんなでお昼ご飯を食べていたら、お父さんに怒られてました。
「お前ちゃんと努力せい!嫁に頼るな!」
ある日みんなでお昼ご飯を食べていたら、お父さんに怒られてました。
「お前ちゃんと努力せい!嫁に頼るな!」
数年後、マルタとご主人の間にはかわいいハーフの女の子が産まれ、パパはおじいちゃんに。
しかもご主人のSくんはもう数年後にはイタリア語がベラベラになり、技術者としてイタリア人社会の中で立派に働いて生計を立てていました。もうお父さんにコラ!と言われることももうなくなりました。
夫婦や家族ってそうやって、一つ一つ、一歩一歩なんでしょうね。
私が復活祭のお休みを利用してヴィチェンツアを再び訪れた時の写真です。
みんなとても幸せそうでした。
おじいちゃんのこんな笑顔みたのは私も初めて。
復活祭(4月)には、イタリアではタマゴ型のチョコレートを食べる習慣があります(あと鳩のかたちをしたケーキもある)。しかもこのチョコは空洞になっていて、なんと中におもちゃが入っているのです!
それにしても立派なチョコだった。
こんな立派なのは見たことがない。
それにしても立派なチョコだった。
こんな立派なのは見たことがない。
ヴィチェンツアでは毎朝マルタが朝ごはんに生ハムとメロンを用意してくれました。
日本では実現しにくいメニューですが、暑い夏にこれは本当に美味しかった。
彼女達夫婦はおばあちゃんの持ち家という一軒家に住んでいて、私は大きなサロンで寝かせてもらったんだけど、とても居心地のいい家だったし何よりも彼女達のホスピタリティーがとてもあたたかくて心強かったのが嬉しかった。今でもしっかりと覚えてます、朝起きた時の空気感とか、夏の路地のヒンヤリ感とか。
日本では実現しにくいメニューですが、暑い夏にこれは本当に美味しかった。
彼女達夫婦はおばあちゃんの持ち家という一軒家に住んでいて、私は大きなサロンで寝かせてもらったんだけど、とても居心地のいい家だったし何よりも彼女達のホスピタリティーがとてもあたたかくて心強かったのが嬉しかった。今でもしっかりと覚えてます、朝起きた時の空気感とか、夏の路地のヒンヤリ感とか。
そしてローマに帰ってくると、何となくホッとする。
カオスの塊、ローマがだんだん故郷に感じてきたのもこのあたりからだったかもしれない。