世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

芸術の慰め/福永武彦

昨日近くまで友人が遊びにきていたので呼び出されて二つ隣りの駅まで出向きました。

いつものようにいつもの通りを歩きながらおしゃべりし、いつもの古本屋へ入りました。

正直言ってそこの古本屋は普段からあまり期待していないのでおつきあいで立ち寄ったのですが、

100円コーナーには既に絶版になっているサガンなどがずらり。(感動した)

更に奥に行くと森山大道さんの豆本みたいな古い本(おそらく新鋭の頃かと思われる)や、「怖くて気味のわるい話」というオカルト好きの私にはちょっと惹かれるタイトルの本があって(しかも高いんですよこの手の本は。もう日常的にお目にかかれませんから。)集中し始めてクルリとふりかえったら・・・・



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見つけてしまった・・・!!!!

福永武彦さんの「芸術の慰め」についてはスタールを紹介した時(過去記事:ニコラ・ド・スタール「オンフルールの空」)に、この本から引用したのですが、この本の出会いは以前ご紹介したよく行くカフェ(エリック・サティとオレンジ)で見つけてから、ずーっと探していた本です。amazonで買うにはどれほどの保存状態なのか確認できず躊躇した理由から諦めていました。神田の古本屋でも一店舗しか扱っておらず、足を運ばせたらお休みで手にすることができないまま月日が過ぎてしまっており、自分自身も若干忘れかけていた本だっただけに、感動もひとしお。私が手にしたのは第三版なのですが、素晴らしい保存状態で全く痛みも色褪せもない完璧な状態で、値段はたったの1,000円でした。


この福永武彦さんの冒頭だけでお人柄が知りえるというか、実に共感できるんです。

(以下、抜粋:序文より)
私がこれから書こうとするものは芸術についての私の取りとめのない独白である。と言っても相手のない独白であってはならない。私はあなたにそれを聞いてもらわなければならないし、自分勝手な議論をあなたに押し付けるつもりはさらさらない。したがってこれは芸術論でもない筈だ。
(中略)私は数年にわたってサナトリウムで寝ていたことがある。またその後もしばしば病気のために床を暖めた。その時、一冊の画集、或いは一冊の詩集、或いはラジオのレシーヴァから洩れて来る音楽の流れは、私に生きることの価値を与えてくれた。芸術は確かに一つの慰めである。それも人を生へと導く力強い伴侶である。単に苦しい時悲しい時の慰めというだけではない。

慰めとは一種の表現である。憩いと言ってもいいし、やすらぎと言ってもいい。魂の夢想と言ってもいいだろう。あまりに多忙な日常を送る人はその魂が干乾びてついには夢見る力さえも失ってしまうかもしれない。芸術はその時、せかせかした彼の足を立ち止まらせ、激しく鼓動する心臓の動きを休め、緊張した筋肉をくつろがせて彼の魂にひそかな呟きを聞かせるだろう。それは既に死んだ芸術家たちが遠い時代、遠い国から今も生きて呼び続けてくる魂の声である。それを聞くときあなたは一瞬、時間のない世界の中へと連れ込まれる。それはあなたが好むと好まないとにかかわらず、芸術によって慰められているのである。



福永さんは病気に伏している知人やご友人の方にこの本をお見舞いとして持っていったこともあったそうです。
とにかく、著者の芸術を愛する気持ちが痛いほど伝わってくるし、これほど大勢の芸術家を掘り下げるその力量も圧巻させられます。この本は主に1990年代からの画家について書かれた芸術論なのですが、別途別冊でゴーギャンだけに焦点を当てた本も書いておられます。

数ある芸術書の中で、この本に出会えたのは非常に嬉しく思い、
且つこういう喜びをかみしめることが何よりの喜びでもあったりします。ひとりよがりと言われてもいい。
それこそが私という人物を形成しているのだから。



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買ったあとは、お気に入りの馴染みのカフェでその感動に酔いしれる。

作家別に目次が並んでいるので、お気に入りの画家から読み始めてもいい。

まずは、じゃあアンリ・マティスから。





「芸術の慰め」福永武彦著 講談社 初版/1970年11月28日