世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

立ち寄りクアラルンプール



(この写真とネタ、以前シェアしてましたっけ?だいぶ前なので覚えてないのですが一応書きます)







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マレーシアはクアラルンプールに行った時の写真です。
ヨーロッパを離れてからも折に触れて時間があれば数ヶ月旅したりどっかに滞在したりしていた頃、日本に帰る途中にマレーシアに立ち寄ったのです。三日くらいいたと思います。



中華街の近くのホテルをとって、冷え冷えの冷房のお部屋で死にそうになり、昼間は観光に出かけたものの、なんだかすごく疲れていて、地元民の乗るバスに乗って移動している時、「こんなところで寝ちゃダメだ」と分かっているのに眠くて眠くてついちょっとだけ寝てしまったことを思い出します。


その前まで数ヶ月、どっぷりヨーロッパに浸っていたためアジアの都会にカルチャーショックを感じ、どこか馴染めない感じがしたのを覚えています。

一方でどこを歩いても私は日本人だとわかるらしく、見知らぬマレーシア女性が笑顔で何人も話しかけてきました。お店に入ると真横にぴったりついてきてやたら距離の近すぎる接客だなと居心地の悪さを感じたことも懐かしいです。


それにしてもどうして私が日本人だってわかるんだろうか。
それっぽくみえるような?アイテムは何一つ身につけてもいないし、どちらかというと質素な服装だったと思うのですが。
これはトルコの時も同様でした。
毎回謎です。
(向こうも当てずっぽうで話しかけてるのもあるのでしょうが)




あと、マレーシアの人って英語上手でむちゃくちゃ早口のように聞こえます。
流暢な英語を機関銃のように話すので圧倒されました。
(のらくらしてる母音のしっかりしたイタリアから行っちゃったからなおさら)




この時の日記、どこ行っちゃったんだろうか。
あの時一体何を考えてたんだろう。
それなりの出来事はもちろん大なり小なり覚えていますけど、
クアラルンプールの三日間はすごく疲れていた記憶しかないんですよね。
荷物が半端なく重くて大きくて一人で運ぶには限界だったりもしたし、長旅の最後にストップオーバーってちょっと拷問だったかも。疲れたのはクアラルンプールのせいじゃなくて、自分のプランの組み方が悪かったせい。

それと、ヨーロッパの食事に慣れてたからいきなりアジアの屋台がものすごく抵抗感じました。ぶらさがってる豚とか得体の知れない真っ赤なスープとかちょっと勇気がなくて拒否反応示したのもすごく覚えてる。じゃあ一体何を食べてたんだろうか。







写真、それなりにありますけど「とりあえず撮っておこう」的なのばかりだし説明もできないので、ダイジェストで数枚まとめてご紹介した冒頭の写真のみにとどめておきます。








実は人生で最初に旅行?したのはシンガポールなんですけど、写真全く見当たりません。マーライオンをバカにした挙句デューティーフリーショップの記憶しかないのです(ヒドイ)。