むかしクラスメイトに○○四千年の歴史の国の人がいた。
英語ならまだしもイタリア語を学びにきてる四千年ははっきり言ってめずらしい。
英語ならまだしもイタリア語を学びにきてる四千年ははっきり言ってめずらしい。
一人ははやたら髪の毛の長い女性だった。
もう一人は何だかよく理由の分からない勲章をいくつもぶらさげたモスグリーンの軍服を毎日着用して登校していたので、まるでどこかの軍人が一人紛れ込んでいるような違和感が絶えず漂っていた。
その一風変わった風貌から、彼はいつの日からか「キャプテン」とあだ名をつけられた。
キャプテンは真面目だ。
時間通りに教室に来て一番前の決まった席に座る。
ノートをとるその姿は必死そのもの、黒板をみるそのまなざしもとても鋭い。
あまり誰とも交流をもとうとしなかったので孤独な感じもしたけれど、孤独こそが彼にはピッタリな感じがした。
特に害はなかったのでそこそこ人気者だった(変わってたしね)。
ノートをとるその姿は必死そのもの、黒板をみるそのまなざしもとても鋭い。
あまり誰とも交流をもとうとしなかったので孤独な感じもしたけれど、孤独こそが彼にはピッタリな感じがした。
特に害はなかったのでそこそこ人気者だった(変わってたしね)。
忘れもしない、あれはある晴れた日の午後。
ディスカッション形式で行われるその日の授業のテーマは「マフィアについて」だった。
更にいきなり先生に「日本の○クザはやっぱりいるの?」と聞かれた。なんか外国の人たちは○クザという言葉に、刀、仁義、サムライ、日の丸というような、ある種雑多でポジティブなイメージを持っているように感じる。先生もそんな感じだった。
いることはいますよ、と答えたら「本当に存在してるのね」と先生が言ったので、
ディスカッション形式で行われるその日の授業のテーマは「マフィアについて」だった。
更にいきなり先生に「日本の○クザはやっぱりいるの?」と聞かれた。なんか外国の人たちは○クザという言葉に、刀、仁義、サムライ、日の丸というような、ある種雑多でポジティブなイメージを持っているように感じる。先生もそんな感じだった。
いることはいますよ、と答えたら「本当に存在してるのね」と先生が言ったので、
いっぱいいます。四千年マフィアだってすごいたくさんいるし。 と答えた。
すると
キャプテンが
振り向いて
私を睨みつけて
こう言った。
「俺の国にマフィアなんているわけないだろ!!!!」
するともう一人のロンゲの女性もすっくと立ち上がり、私の方をギロリと睨みつけてこう言いました。
「そうよ!!!!いるわけないじゃない!!」
こういう多数決でやり込められてしまう時と病気になった時ほど、同郷の助けが欲しいと切に願う事はない。
二人にはさみうちで睨みつけられ、教室内はシーン。
みんなはおそらくこう思ってる。「どっちが正しいの?」アジアvsアジア。
みんなはおそらくこう思ってる。「どっちが正しいの?」アジアvsアジア。
私はゆっくりと言った。
「だっているんだもん。」
「だっているんだもん。」
すると彼らは烈火のごとく怒り始め、私は本気で噛み付かれるんじゃないかと思った。
何が驚いたって、彼らは本気で信じていたこと。四千年はクロじゃない、と。
私はそれ以上抵抗するのをやめた。
事実を事実だと信じていない人はある意味無垢である。無理矢理分からせる必要もないし、そこで真実を主張したところで、私は学者でもなければ評論家でもないので2対1に勝ったとしても何の意味があるのだろう。
私はそれ以上抵抗するのをやめた。
事実を事実だと信じていない人はある意味無垢である。無理矢理分からせる必要もないし、そこで真実を主張したところで、私は学者でもなければ評論家でもないので2対1に勝ったとしても何の意味があるのだろう。
ローマで働いていた時に、お店にきた四千年観光客のオジサマに中指立てられたこともありました。
こういうジェスチャーをする人は、モンキーです。教養のなさがひしひしと伝わります。
(日本人でもたまにジョークでやる人がいますが、世界的常識からいってやめたほうがいいと思います。)
こういうジェスチャーをする人は、モンキーです。教養のなさがひしひしと伝わります。
(日本人でもたまにジョークでやる人がいますが、世界的常識からいってやめたほうがいいと思います。)
それから一年くらいたった後、ローマで偶然キャプテンを見かけました。
あの軍服を着ていたので間違いありません。
でも、話しかけるのはあえてやめておきました。
あの軍服を着ていたので間違いありません。
でも、話しかけるのはあえてやめておきました。
アリベデルチ(さようなら) キャプテン。
きっといつかどこかで同様の話になったら、私の発言を思い出しては憤りを感じているかもしれません。
彼にとってもしかしたら私は、ある意味「思い出深い日本人」なのかもしれません。
彼にとってもしかしたら私は、ある意味「思い出深い日本人」なのかもしれません。