世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

モスクワ最終章~煙突と煙

私が訪ねた友人は、ボスニア・ヘルツェゴビニア(旧ユーゴ)出身で家族と長い間モスクワを拠点にしていた。
一度も尋ねたことはないけど、おそらく家族がそれなりに良い身分の職業に就いていると思われる。
韓国製の車に乗っていたし、住んでいる集合住宅も地味ではあるけれど全く十分な3DKの住まいだった。
彼女のお父さんは毎日大量の食材を両腕に抱えて帰ってきた。
彼女のお母さんはそれをさばき、それは見事な手作りの夕食を毎日振舞ってくれた。
信じられないくらいそれは美味しくて、私がお代わりをするとお母さんはとっても喜んでお皿を渡してくれた。

友人の家族はとっても物静かな人。
私は何となく彼女のお母さんをとても好きになってしまった。
遠い国、今までおそらく関わったことのない日本人の私を受け入れてくれるあったかさがあった。
少なくともそういう空気を感じたし、お母さんもそんな私の気持ちをくんでくれていたと思う。


ある日、友人が試験だということで、私は家でお母さんと留守番をしていた。
小さいけどきちんと整頓されたキッチンのテーブルに向かい合って座り、お茶を飲んだ。
何を話したかは殆ど覚えていない。
覚えていないんだけど、あの時みた景色は今でもしっかりと覚えている。

灰色の大きな空。遠くに見える工場の煙突と煙。
だだっ広い平地の奥に広がる地平線。
それ以外に何もない。

モスクワは静かである。
人々も静かである。
景色も静かだ。
そこにあるのは「沈黙」。

人々はこのモスクワという世界の中で、何を考えどう生きているんだろう。
お母さんも友人も、ここでは「外国人」である。しかもユーゴスラビア人である。
祖国を離れた人々の心境は複雑だ。

温かいお茶のお代わりをお母さんが注ぐ。
私は聞く。
モスクワでの生活はどうですか、と。

お母さんは、遠くに見えるあの煙突を見つめながらポツリと言った。

「この国は広すぎる。とても大きくて広すぎるの。」


そのお母さんの横顔を見ながら、私はこの言葉が全てを語ってるような気がした。



イメージ 1




祖国がありながら、転々と生きる場所をさまようこと。
生活の向上を求める人々。質の高い幸せを求める人々。
今日の不安と明日の不安。
明日の希望と未来の理想。


コソボの虐殺だけでなく、不安定な政治が吐き出す毒はあらゆる可能性を閉ざす。
隣りの街では今日も人々が殺され、略奪され、憎み恨み罵りあう。
それは今のパレスチナも同じだ。
よく言われる宗教戦争なんかじゃなく、それはエゴとエゴとの戦いにすぎない。
人々の魂はどれほどはかなく消えていく事だろうか。
混乱と憤怒から生まれた魂が抑圧され、押しつぶされていくことの刹那。

彼女の家族はけして貧困にあえいでいたわけではない。
職を求めてロシアにたどり着いたわけでもない。
むしろ、祖国では格式の高い身分に入るのだと思う。
だけど、ひとたび海外に踏み出したら、その格式や身分は一体なんだというのだろう。
政治的圧力や人種差別、偏見に打ち勝つためには、強力な黒いコネやお金が必要だ。生きていくためには多少手を汚すこともあるだろう。世界はきれいごとばかりじゃない。
じゃあ彼女は不幸だったのか?
そんなことない。その時の彼女は少なくとも幸せだった。


モスクワから戻った時、私には小さな夢があった。
いつか彼女を日本に連れてきたいと思った。
ロシアにもユーゴにもヨーロッパにもない日本の良さを知ってもらいたかった。

これまで出会った多くの外国人の中でも、彼女ほど心が通じ合った友達はいない。
朝はピアノの音で起こされ、昼間はギターを抱えた彼女と広場を歩き、同居していたオランダ人をからかい、
喋りすぎて学校には遅刻し、駆けつけテキーラで一緒につぶれ、好きな本や音楽について語り、そして人生について語った。
「beabea、あんたって結構な詩人ね」
そう言って茶化した後はいつも、ウインクをする彼女が好きだった。
(しかも外国人であれほど笑いのツボが全く同じだった人はいない)


でも、時は過ぎ去り、お互い色んな移動を繰り返しているうちに彼女との連絡網が途絶えてしまった。
最後に連絡を取ったのはもう5年ほど前。
せっせとビデオレターを作ってあげた彼とはだいぶ前に別れ、
モスクワ大学を卒業してから国がちょっと安定しそうになったので、家族でユーゴに戻った。
スペイン語もマスターし、スペイン領事館の分室みたいなところで仕事をしていた。
お母さんや家族によろしく伝えて欲しいとハガキを書いたら、「母がとても嬉しがっていた」と温かいメッセージをもらった。

今はどうしているのか消息がつかめない。

お誕生日にあげたノルウェイの森は、まだ持っていてくれているだろうか。
一緒に撮った写真はまだ飾ってあるのだろうか。
北斎のポストカードはまだ大切にとってあるのかな。


イメージ 2






もしかしたら、もう二度と会うことはないかもしれない。
これだけ心が通い合えた友との永遠の別離なんて、本当は嫌だ。
彼女からいかにたくさんのことを教わり、どれだけ刺激を受けたかなんて計り知れない。


元気でね。

ありがとう。
スパシーバ&チャオ。