世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

東京タワー/リリー・フランキー

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皆様、もう読まれましたか?
私は文庫本になってから読もうと思ってたのですが、売れるからでしょう。
そうは問屋がおろさない。

というより、ドラマのもこみち君に先をこされるのが何となく嫌で買いました。

さて、私は大を100回つけてもいいくらいの「北の国から」ファンでして、
上京するリリーさんにオカンさんがあげた一万円などは、純が富良野から長距離トラックで上京する時の二万円とダブって仕方がなかった。。(ともすると、五郎さんの二万はかなり頑張ったんだ!)
あのドラマで一生分の涙を流したような気がするので(ウソ)、「東京タワー」は泣かなかったけど、仲良し親子のストーリーにほのぼのしました。

あんなに息子を愛しているお母さんを持ったリリーさんはすごい幸せ者だなって思った。
物騒な世の中ですからね!
子供が親を殺し、お兄ちゃんが妹をバラバラにしちゃう、「この素晴らしき世界」(by ルイ・アームストロング)ですからね。

(以下抜粋「リリーさんのつぶやき」)
「人間の能力は、まだ果てしない可能性を残しているのだと言う。
しかし、その個々の能力を半分でも使えている者はいないらしい。
それぞれが自分の能力、可能性を試そうと、家から外に踏み出し、世に問い、彷徨う。
その駆け出しの勢いも才能。弓から引き放たれたばかりの矢のように多少はまっすぐに飛ぶものだから、それなりの成果は生んでしまう。

ところが、矢の軌道も弧を描き始める頃、どこからか得たいの知れない「感情」が滲んでくる。肉体もやつれて、なにかしら考え始める。
まだ、走り出したばかりのはずが、その行く先、この先に「幸福」があるのだろうかと思い始める。能力は成功をもたらしてくれても、幸福を招いてくれるとは限らない。

そんなことを想い始めたら、もう終わりだ。
人間の能力には果てしない可能性があったにしても、人間の「感情」はすでに、大昔から限界が見えているのだから。
日進月歩、道具は発明され、延命の術は見つかり、私たちは過去の人類からは想像もできないような「素敵な生活」をしている。しかし、数千年前の思想家や哲学家が残した言葉、大昔の人間が感じた「感情」や「幸福」に関する言葉や価値は、今でも笑えるくらいに、なんにも変わっていない。どんな道具を持ち、いかなる環境に囲まれても、ヒトの感じることはずっと同じだ。
感情の受け皿には、もう可能性はない。だから、人間はこれから先も永遠に潜在する能力を出し切る事ができないだろう。
「幸福」というひまわり畑にいるおばけを意識した時から、まだ見ぬ己の能力など一銭の価値もなくなる。


どう捕らえるかは読み手次第です。でも分かりやすいでしょ!?
私はこの部分を読んだ時に、リリーさんの人間性が見えたような気がしました。
ここが一番この本で印象深かったところです。
二番目に印象的だったのは252ページにあります。
たまたま思い出したら見てみてください。

また、いろいろな屈折を経ていろいろなモノを見てきた人なんだろうなぁ~って思いました。
きっと根本はすっごく優しい人なんだろうな。本当に傷ついた人ってその傷ついた事を隠すからね。
でもリリーさんは絶対に幸せ者!!あんなに良いご両親に育てられたのですから。

はー、五郎さん・・・・。
私はこの本を読んでまた「北の国から」を観たくなりました。
富良野を経つ蛍を見送る五郎さんの、あのシーンは泣ける・・・。

私「五郎さん、ヒトの感情は時に果てしない可能性を伸ばす妨げとなるようです。人っていろいろな事を考えちゃうからややこしくなるのですかね。」

五郎さん「♪や~るとっきゃ や~るしっかねぇ~!!(泥酔)」