世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

パムッカレ退散

思えばいろんな理由はあった。


出発の前の二ヶ月はほとんど終電だったし前日は2時まで働いて徹夜で成田に行った。
直行便で12時間、その後乗り継ぎのフライトディレイでカッパドキアに着いたのは夜中の1時。
翌日は朝の3時に起床してまとな食事もあまり取らずに深夜バスで11時間。
ほとんど眠れずキンキンに冷えきってパムッカレに着いたのは明け方の5時。

ちょっとバカみたいなスケジュール。

動かない体をようやく起こし、観光客の喧騒から離れたベンチへ。
寒気が止まらなかったのであったかいところにいた方がいいと思いつつ、容赦ない太陽の日射しは逆効果かと思い直し、木陰の下へ。


ようやく落ち着いたので横になって上を見上げる。
松ぼっくりが落ちてこないといいなと思う。

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そしてサングラスをして(寝顔を見られたくない)顔に帽子を乗せ(松ぼっくり対策)、わずかな貴重品の入ったリュックを枕にして一時間ほど寝る。



しばらくすると中国語が聞こえてきて目が覚める。
みると、立ち入り禁止の石灰棚へドカドカと侵入して大声で騒いでいる声だった。
みかねたアメリカ人らしきオバさんが注意すると一瞬シーンとなるも、すぐに無視してまた騒ぎ始めた。時計を見るともう結構いい時間になっている。バス時間を逆算すると、意外と時間がないことに気付く。

さらに昨日のお昼からまともに食べてないから、出発前までには何かお腹にいれないとますます弱っちゃう。どうしようかと思った時にひらめいたのがここ。



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こういう時こそ和食!


そう考えたらちょっと元気が湧いてきた。

立ち上がると前より悪化してる。
滅多に風邪なんか引かないから薬も持ってない。
常備薬に風邪薬はもともと入ってない。



来た道を戻る。
さっきの中国人の声がまだ聞こえる。


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本当は石灰棚だけじゃなくて立派な遺跡郡もあるのだけど、もうとてもじゃないけど行けない。
(このあたりからは渾身の思いで写真撮りました)


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本当はとてもいいところなのだけど。
元気がよかったらいろいろ散策したかった。



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確かにここは丸一日あった方がじっくり楽しめそう。





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さて、意を決してまた裸足になる。
めまいがするのでちゃんと下りれるか自信がないけど頑張るしかない。



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靴ひもを一つにまとめてリュックにくくりつける。




そしてせっせと来た道を下りているところで、後ろから「ピーーーー」という警笛が。
振り返ると戻ってこいというジェスチャーをしている警備隊がいる。
このまま下りちゃダメなの?とジェスチャー仕返すとダメだと言う。

どうやらここは本来は立ち入り禁止区域だったみたい。ちゃんと遊歩道を歩いてゲートまでいくか、別の出口まで歩けと言われた。ということは、朝登ってきたところはNGだったのね。
ということはあそこを歩けてある意味ラッキーだった。

教えてくれたもう一つの別の出口はどう転がってもすごく遠いので無理。
だから近道の遊歩道を歩くことにしてそっちに歩く。


すると石灰棚は突然終了し、砂地の大地が現れた。
そこには道なき道があり、遠くには万里の長城の歩道を10分の1にしたみたいな細~い歩道が岩山と車道をつないでいる。



いやいやいやいや絶対無理。
サーカスの綱渡りみたいにしか見えない。



ここまできて折り返すのはすごく辛かったけど、戻る。
さっきの警備員らしき人に声をかけると普通の観光客だった(かなり朦朧としてきてる)。
もっともっと戻って警備員に「道が分からなかったので誘導してほしい」というと英語がわからないという。だったらなおさら、と思い強引に一緒についてきてもらうことにした。

さっきの分岐点に着いて、あんな細い糸みたいな道がそうなの?と聞くと「違う」と言う。
よかった。。。
聞かなかったら間違いなくあきらめて綱渡りするところだった。。。



じゃあ私が歩いていくから遠くから誘導してくださいとお願いし、1人で下り始める。
なんといっても道なき道なのですぐに分からなくなって振り向くと、遠くで警備員が「そのまま進め」というジェスチャーをする。道を失い不安になって振り返ると大きい手振りで「違う、左」と教えてくれる。それを何度も何度も繰り返しどんどん下りて行って、ようやく朝入ってきたゲートが見えた。

振り向いて、もう大丈夫、というジェスチャーをすると、警備員はうなずいて、そのあともしばらく見守っていてくれたけど、しばらくするとその姿はもう見えなくなっていた。



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(手前が道なき道、遠くの岩壁の向こうが警備員がいたところ)



ありがとうございます。。。






そしてここへ。


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ここでまず薬局を教えてもらう。
途中あの口の悪いトルコ人のいるホテルの前を通り過ぎないといけなかったけど、もう誰も出てこなかったし「ねえねえ」と呼び止められることもなかった。



薬局に着くと、ある1人の外国人女性が取り込み中。
私はイスに座って次の順番を待つ。
その女性は薬局の店員に一生懸命英語で病気の症状や薬の服用の仕方を聞いているのだけどイマイチ伝わってない。

私の順番になったので、ガイドブックの巻末にある「私は風邪を引きました」というトルコ語のページを見せると、薬局のおばさんは出してきた風邪薬の箱にサインペンで何かをサラサラと書いて渡した。トルコ語だったのであとで日本食レストランに戻り、日本人女性の店主の方にそれを見せると食後に3錠と書いてあるとのことだった。
薬はたったの200円。
箱には「Forte=(強力)」と書いてある。
海外の薬ってただでさえ強いのに大丈夫かな・・・とちょっと不安になるも、「海外での病気は海外の薬を」、という持論があるので気にするのをやめる。治ってくれればなんでもいい。



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さて、何を食べようかと思ってメニューをみるとこんな感じ。



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ああああ~
元気のある時にがっつり頂きたかった。



できれば雑炊で終わらせたいのだけど、なんといっても昨日のhouse of memory以来、パンを1個しか食べてない。このあと次の移動先までまたバスにのって4時間以上過ごさねばならない。辛いけどちょっと頑張ってパワーつけて薬飲んだ方がいいのでは、という自己判断により注文したのはこれ。



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しょうがやき。
結局ガッツリ。。。


でもさすがに半分しか食べれなかった。半分でもよくやったと誉めてもらった。

この頃からいよいよ喉が腫れてきたので食間でもう風邪薬を飲んでしまう。

食事を残してしまってすみませんというと、店主の女性がゆずの入浴剤をくれた。バスタブのあるホテルに今後泊まるかどうかは分からないけど、その好意に気持ちがあたたまる。しかも食後にメロンも出してくれて感激。
(私、帰りにちゃんとチップ置いたかなあ~。ちょっと覚えてないけどもし置いてなかったらほんとに最低そのまま死んだ方がマシ)



店内は清潔なガーデン風のレストランで居心地がいい。
朝みたあのゴールデンレトリバーもここで昼寝していた。
野良犬でないと分かったので本当は撫でたりちょっと遊んだり、店主の女性にトルコの話をいろいろ聞きたいのだけど、ほんとに体力の限界。


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しかも時々話しかけてきてくれたり、そっとしておいてくれたり、そのあたりの距離感が絶妙だった。感謝していますどうもありがとうございます。
(帰国してからお礼のメールを送りました)




そして隣接するバス会社の待合室に行き、バスを待つ。
そこで親日家の韓国人男性に話しかけられるけど、力尽きて笑うことすらできない。
竹島問題で揉めてる最中にも関わらずせっかく声をかけてもらったのにごめんなさい。



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するとさっき薬局で薬を買っていた外国人女性が同じ待合室に。
その隣りにはグッタリしたもう1人の女性が。
どうやら具合が悪いのは一緒に旅行していたお友達のほうだったみたいで。
話を聞いていると、昨日レストランで食あたりしたそう・・・(これも辛い、かわいそう)。
バス会社のオヤジさんが「このあたりの店が新鮮な食材使ってるなんて誰にもわかんないし」と毒を吐く。まあ、確かにね。


オヤジさんは待合室に病人が2人もいるもんだから気が気じゃない。

私には付き添いがいないので「気の毒だねえ、具合が悪いのに一人旅なんてかわいそうに」と言う。
でもそういうのには慣れてますから、と言ったつもりが間違えて昔はそういうのにも慣れたものだった、と答えてしまう。どうやら英語もおぼつかなくなってきた。



そうやって何がなんだかわからないままパムッカレをあとにしたのだった。



さようならパムッカレ。
これにて退散。