日本茶のお茶のソムリエがいるとのことで、さっそく出かけてみました。
表参道の喧騒とは裏腹にとっても静かな界隈なので居心地がよかった。
お料理はお野菜メインの自然派メニュー。でもありきたりの物足りない感じとは違い、ボリュームも満点。
しかも次から次へとお客さんが入ってくる。外人さんも多い。知る人ぞ知るお店なのでしょう。
私は日本茶は、渋い緑茶が好きです。熱湯でいれても味が飛ばないくらいの。
玉露などの甘めで80度くらいでたしなむようなものはあまり好きではありません。
しかも次から次へとお客さんが入ってくる。外人さんも多い。知る人ぞ知るお店なのでしょう。
私は日本茶は、渋い緑茶が好きです。熱湯でいれても味が飛ばないくらいの。
玉露などの甘めで80度くらいでたしなむようなものはあまり好きではありません。
なのでシブい度数限りなくマックスのお茶をソムリエにお願いしてセレクト。
うぅ~おいしい(渋い)!
ぬるま湯で入れた方が渋みが強くなりました。熱湯だと渋みが奥に一歩下がって旨みが前にでてくる。
はずだったんだけど、旨みが少なかったので茶葉を買って帰るのはやめました。
気付いたら2時間半もここで過ごしてしまいました。
ギャラリーもある。
むかし、字をあまり書けないおばあさんがいた。
大正~昭和にかけての時代では小学校しか卒業していない人が多かったからだ。
大正~昭和にかけての時代では小学校しか卒業していない人が多かったからだ。
しかし、おばあちゃんは年老いてからも毎日毎日、知ってる言葉だけを使って日記を書いた。
「今日は晴れた」「今日は雨だった」
「今日は晴れた」「今日は雨だった」
「今日は孫があそびにきた。明日かえる。おばあちゃんはさみしい。」
その人はおばあちゃんを今でも時々ふと思い出す。
日記を書く後ろ姿のおばあちゃんを。
花が好きだったおばあちゃんを。
弱音をけっしてはかなかったおばあちゃんを。
本を読む、映画をみる、音楽を聴く、ラジオを聴く、人と話す、絵を鑑賞する、写真を撮る、旅行に行く、美味しいものを食べに行く、買い物に行く、料理を作る、洗濯をする、洗濯を干す、洗濯をたたむ、掃除をする、眠る。
なかなかいい時間の有効活用だと思っている。
退屈という言葉はもうずっと前に消えてどこかへいなくなった。
チャオ。