世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

日本人ファーストの概念がすでに時代遅れであること

私がイタリアに暮らしたのはもうはるか昔のことになってしまったけれど、日本経済はまだまだ安定している頃で、通貨はどこよりも強かったし日本のパスポートは一強と言われている時代だった。多くの日本人が海外旅行にいそしみ、至る所で観光客を見かけ、ブランド品を買いまくっていた時代。ジャパンマネーに勢いがあった時代だった。

 

それでもローマで暮らす日本人は限られており、日本人向けスーパーや日本人コミュニティなどは当然存在しなかったので、中華食材店でくさい醤油しか買えなかった頃。どうせ警察は機能していないので、唯一近くにいた日本人たちはほとんどが不法で暮らし、不法で働いていた。仮に正規滞在していたとはいえ、アパートの間借りをするのは本当に大変で、ほとんどのイタリア人は誰も日本人を信用しなかった。むしろ、日本人、中国人、フィリピン人の区別もできず、アジア人は大陸を超えてきた貧民だと思っているイタリア人もかなり多かったと思う。無表情なアジア人は常に揶揄され、街を歩けばバカにされるような言葉を投げかけられたことは幾度もあった。納得がいかないこともあった。イタリア人は親日家ではないし、もちろん彼らなりに自国に対する一般的な政治非難はあれど、基本的に自分たちの国以外に天国はないと信じていたので他のヨーロッパの国ですらとても排他的だった。そういう国で、イタリア語しか通じず、意外と閉鎖的なイタリア人と付き合っていくのはなかなか難しく、いつも仲間はずれにされている感じをずっと持っていた。私はイタリアが好きで訪れ、暮らし、学び、働いた。それでも距離感がなかなか縮まらないのは、自分が外国人であるが故、アジア人であるが故であるからだと思った。そのうちイタリアの生活にも疲れ、どんなに努力しても、同じ土俵につくことは無理なんだとなんとなくわかり始めた。それは私個人のせいではなく、そういう社会だからなんだと思った。そこから頑張ることをやめ、馴染もうとすることをやめた。そういう悟りをしてから強くなっていったような気がする。それからというもの、自分という人間のアイデンティティーをしっかり持つことが自分を支えた。イタリア人とか日本人とか関係なく、私という一人の人間は何が好きで何が嫌いで何が許せないかを明確に固辞することは、当時イタリアで生きていくにはとても重要だった。そうなってやっと溶け込み始めていったのだ。しかし、当時イタリアに限らず世の中は差別と偏見に溢れていて、「レイシスト」という言葉は海外に暮らす自分にとても鋭く響いた言葉だった。

 

 

 

 

 

 

 

ところが今の日本はどうだろう。

 

 

日本は多くの外国人が訪れるようになった。観光客も増えたし、労働者も増えた。一定期間同じ場所で暮らし、日本で働き所得を得た外国人は、住民票ももらって納税もする。8年働けばもう永住権がもらえるらしい。つまり、少子化、円安になって数年が経ち、いよいよ深刻な直面にきたのだろうと思う。給与所得水準が著しく低い日本人の一体だれが高額品を買いに街に出かけるというのだろう。好きな会社にある程度入らせてもらえるような若者の一体だれが低所得で労働条件の厳しい職場で働きたいというのだろう。外国人観光客相手の商売で私たちの周りの誰かは給与を貰えているわけだし、日本人はもう見向きもしないような現場仕事を外国人労働者がやってくれてるおかげで介護や建設現場がやっとまわって私たちが享受できるのだ。日本経済は外国人の力なしでは崩壊していくことを、もっと自覚するべきだと思う。

 

確かに外国人が入ってくれば治安は悪くなるだろうし、秩序は乱れていくかもしれない。それでも共存していく方法を前向きに考えていくしかない。日本人ファーストなんていう言葉はそれこそとんでもない「レイシスト」であり、恥ずべき発言だと思う。もっと他者に敬意を払った方がいいし現実を見るべきだ。外国人はみんな出ていって欲しいというならば、この沈没しかけている日本を支える方法を考えてもらいたい。海外の国は好むと好まざるに関わらずもう何十年、何百年と前から外国人を受け入れ共存してきている。日本だけがまだそれに抵抗するならば、いずれ世界からも孤立し、経済力も持久力もテクノロジーも失ったこの国はアジアのどの国からも置いていかれ、やがて貧しい島国として沈没していくことだろう。それをもってもダイバーシティだとか聞いて呆れる。

 

マルチタスクを求められるコンビニで働く外国人をいつも尊敬してしまうし、先日はいつものスーパーにインド系の外国人が品出しチェックしている姿を見て微笑ましく思った。職場に来た英語を流暢に話す中国人は、たった一年でそこまでと思うほど日本語が上手なのにとても腰が低い。もちろん、彼らの中にはルールを守れない人たちもいる。しかし、彼らのように、祖国を離れ、家族や友人と別れ、何かの目標のためにがんばっている彼らをむしろ認め、受け入れ、教育し、共存していく方法を考え作っていくことが、今の日本に必要なことだと思う。安易な批判に走って日本人ファーストなんていう差別用語を公に使ってそんな彼らを批判する前に、じゃあ私たちは一体何ができているのだというのかを考えてほしい。私たちこそが、今こそ変わっていかなくてはならないのだ。