世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ニューヨーク最終章~道程

VILLAGE VOICEというフリーペーパーのイベント情報を読んでいる時。
ふと目に止まったのがこれ。

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キースのトリオ。
それにインディア・アリーまで。
しかもしかも、6月21・22日はまさに私がNY滞在中の期間にあたるじゃないの!

場所はカーネギーホール
これは毎年行われるジャズフェスティバルのイベントの一つ。
このように旅先で偶然自分の好きなシンガーのライブに当るという事は、結構ステキな偶然です。
「こういうめぐり合わせは大切にしなくちゃ。」と本当に思うので、いつもならすぐ飛びつくところです。


だけど、今回はやめておきました。

キースは5月に東京で堪能したばかりだし、インディア・アリーはかなり惹かれたけど共演のリズ・ライトは聴いたことがない。それにその日は前からちっちゃなピアノバーで無名のピアニスト達の演奏を聴こうと思っていた。
私はそっちを優先してみたかったんです。


ところが。
そのピアノバーはその日ライブ演奏がなく(週末だけ)、とっても残念だったけど仕方ないからワインと軽い食事だけ。でもその夜は会話も弾み、それなりに良い夜でした。
雰囲気だけでもよろしければ見に行ってみてください。イントロをスキップしないでね! → Knickerbocker


NYでみたもの(最後)/ 本当に好きな時間



アパートに帰っていつものボブの前に座り、しばらくボーッとしていたら、お友達が飲み物を出してくれた。

つい数ヶ月前にボーイフレンドと一緒にタヒチへバカンスに行った彼女は、未だに真っ黒に日焼けしていて、ビターなチョコレートみたいにその名残を肌に残したまま。そのタヒチマップとこれまでに彼女が撮った写真の数々が冷蔵庫に貼り付いている。

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その冷蔵庫でごそごそやってる姿をぼんやり見ながら「ピアノが聴きたかったな。」とボソッと言った。

すると彼女は少し考えた様子で黙っていたんだけど、ちょっと待っててねと言い残し、隣の部屋へ行って戻ってこない。しばらくしてから遠くでこう叫んだ。

「セナのピアノって知ってるー?」

「・・・セナのピアノ?」

「むかしあったじゃん。ドラマのやつでさ、キムタクの。」


隣の部屋からなんかガサゴソやってる、と思っていたら・・・

彼女は、その「セナのピアノ」を弾き始めたんです。
(よろしければこのリンク↑にジャンプして聴きながら先を読んでください。臨場感が増します。)


弾きながら何度も「間違えた!」と小さい声が聞こえた。
私はキッチンの電気を消して、あえて彼女が演奏している部屋にはいかず、真っ暗な部屋でじっと音に耳を傾けていました。

「人前でピアノ弾くなんて、普段は滅多にやらないんだからね。彼の前だって弾いたことないの。」



聴きながらいろんな場面が通り過ぎていく。
「寂しいことに慣れちゃいけないんだって思うんだ。」と彼女は言った。


人が人らしく在るためには、寂しいことに慣れてはいけない。



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毎日通勤する橋の下で、彼女は何を考えていたんだろう。

夜の帰り道、突然にわけもなく涙が出てきちゃったりとか
または本当に悲しいと思っても涙もでてこないとか。

感情のコントロールはもちろんある程度必要だけど、それとこれとは別。
全ての感情を一握しちゃったら、それはまるでロボットみたい。


また、強くなりすぎてもいけない、とも彼女は言った。


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自分の主張と相手の気持ちへの配慮に対するボーダーラインが見えなくなると、その主張は単なる我儘にもなりかねず、ネガティブな結果がそのまま自分にはね返り、気付いたら迷宮入りしてしまう結果にもなりかねない。

ドライに生きていくだけがかっこいいわけでもないしね。
つまり、時に人は感情に流されるままに泣いたり笑ったりできることが人間らしいのではないかと。

そんなことをぼんやりと考えながら彼女の聴く音楽に耳を澄ませていたら
ピアノの音色であまりにも気持ちが良くなってしまって、

「そうそう、私が本当に心地よい時間はこれ。」って思った。

気持ちが平らになること。
これが、やっぱり自分がベストな状態になれる時間。


ピアノを聴きたかったと言った私に、普段は人前では弾かない彼女がくれたその時間によってどれだけあたたかくなったことか・・・何よりもその気持ちが嬉しかったんです。




時に、どうしていいか分からないような分岐点に置き去りにされることがある。
その決断や答えは自ずと現れれてくるものであったとしても、その時間の猶予すら与えられないような時。



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判断は、自分がこうだと思ったものに、ほぼ間違いはないと私は今でも信じています。


それがたとえ婉曲に進んでいく道だったとしてもね。


だから明日も、のんびり歩く。
その歩幅は、ニューヨークだろうがローマだろうか、パリでもロンドンでも東京でも、
どこにいても変わらないような気がする。

おんなじ。



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