世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

<セルビア> 夕方もお散歩

さて、夕方になりました。
暗くなる前にどうしても行きたいところがある。

だから三度(みたび)外出します。



地図片手に出かけるも、通りの名前がキリム文字になっていて解読できない。


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建物の扉が、木です。
珍しい。


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マンション、窓のアーチがいい。
目の前は並木の借景。
いいね。


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とにかくこういう光景がずっと続きます。


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この裏道を抜けてメインストリート方向へ。
そうだ。
友達の実家に挨拶に行こう。
午後はずっと家にいる(外に出ると暑くて頭痛がする)と言っていたのできっとママさんは在宅にちがいない。

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記憶を手繰り寄せて歩きます。
なんども言いますけど、地理に強いのと視力がいいのが唯一の取り柄。
あとはまったくダメ。



これ、セルビア語で「ありがとう」。

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Hはほとんど読まず、VはFみたいな働きをするので、「ファラ」と発音します。






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やばい。
夕暮れになってきた。
急がねば。






つきました。
発見しました。
お友達のご実家のマンション。



さっそくベルを押そうと思って表の集合表札をジーーーッと下から順に読んでいくのですが、ここで最大の欠点が。

全部キリム文字だ。。。。
セルビア文字じゃない。

ノーノー、判別不能

ピンポンダッシュして逃げるわけにもいかないし。

(こないだ来日した友達にそのこと言ったら、バカね、一戸一戸ベルならして尋ねればよかったのよと言われましたが、そんなことできるわけないだろうが)



ママさん、さようなら。
また明日。
(明日はセルビアを発つ日なのでまたお迎えに来てくれることになっている)


お散歩続行。

友人の実家のすぐそばは国会議事堂があるのですが、その斜向かいのビルが売りに出されています。一等地の界隈でも不動産が枯渇している。


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これ一部トリミングして自分の携帯の待ち受け画像にしてます↓。

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出ました。巨大郵便局。


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日本語の「オ」に見える。
あれは一体なんだろう。


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正体は銀行でした。


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顔出しでごめんなさい。
でもこの写真気に入ってるのですみません。


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きました。
ここに来たかったの。
暗くなる前に。
この坂道をゆるやかに下った先に目的地があります。


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すっかり夕暮れに。
ベオグラードの夏の夕暮れ、きれい。


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これが見たかった場所です。










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ベオグラードはミロジェヴィッチ元大統領によるコソボの大量虐殺によりNATO軍から空爆を受けました。1999年のことです。




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ずっと民族紛争が絶えなかったのは、同じユーゴスラビア時代からの確執や宗教の違いもあります。セルビアセルビア正教であるのに対し、コソボはほとんどがムスリムです。彼らが同じ学校で席を並べて座ることもないし、友達になることも許されません。そんなことをしたら半殺しに遭うことでしょう。コソボの方が経済的にも大きなハンデがありますから、国が独立独歩で歩いていけるになるまでには長い道のりがありそうです。貧困、治安、経済力、教養、全てにおいて周辺各国からも置き去りにされています。また、今でも大量の地雷が埋められていてのも記憶に新しいかと思います。


民族紛争が単なる宗教による戦いだとくくってしまうのはあまりにも簡単で、我々が同じアジアでも仲良しとそうでないのがあるように、対立する理由は個人のエモーショナルな部分も少なからずあるはずです。



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セルビア人全員がアンチコソボかと問われるとそれは私もわかりません。
友達にも今まで聞いたこともないです。
ミロジェヴィッチ元大統領は糾弾後に射殺され、そのあとベオグラードは国民が自由解放を唱って広場に大勢が集まった映像をテレビでみたので、聞くまでもなく彼らがコソボを恨んで排斥しようと全員が思っているわけではないと思います。



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そもそもこのバルカン半島という場所は、過去も様々な迫害と排斥を繰り返してきた国が集まった場所です。西ヨーロッパ諸国からは今でも激しい差別を受けることも多く、教養と学歴があっても日の目を見ないケースも多々あります。国の情勢は今でこそ安定していますが、主たる自給力を農業に頼る諸国のGDPは低く、観光業に力をいれられる沿岸沿いの国ならまだしも、内陸にありその恩恵を受けにくい国はまだまだ発展途上と言わざるを得ません。そもそもユーロ加盟を認められていない状況も鑑みれば、西ヨーロッパ諸国と貿易国として共存していくこと自体がまだ難しいような気がします。同じフィールドにもまだ立つことを許されない、彼らに対する風当たりはまだ厳しいのだと思います。



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一方で、若くして才能に溢れる(お金持ちの)若者はほとんど海外に出て行ってしまうことで人材が育ちにくい社会構造になっていることも大きな問題かと思います。一度外を出たセルビア人は再び故郷に戻ることはほとんどなく、そのまま海外で活躍して過ごすことが多い。また、経済力がないために留学して成功を得ることができないケースも多い。彼らの成功のほとんどは強力な縁故と経済力によって支えられているのです。どんなに才能があってもその二つのバックアップがなくては、将来は永遠に閉ざされ希望を失っていくことになります。それは日本をはじめとする先進諸国の比ではありません。






この場所を見たときは恐ろしさに胸が震える思いでした。

でも一番胸が痛んだのは、友達が「この場所に私を連れてこなかった」ことです。

車で一度通りすがった時も何も言いませんでした。

だから私も気づかないふりをしたのです。

触れたくない、見せたくない爪痕なんだと思います。

だからあえて今「コソボをどう思う?」なんて質問はタブー以外の何物でもない。






この空爆跡地は、数少ないガイドブックを読むと「戦争の記憶を残すために」と書いてありましたが、おそらくそれだけじゃないと思います。だってみんなが目を背けたくなるくらいのすさまじい光景なのに、誰のためのなんの目的の記憶?


しかも目の前には立派な国防省が建ってます。
目の前ですよ。


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NATOに対する恨みつらみの記憶なんだろうか。
更地にできない理由は財政が枯渇していて予算がないのかと思ってましたが、
違うかもしれないです。
観光地の目玉に利用しようという魂胆かとも思いましたが、ベオグラードには団体観光客なんて一度も見かけませんし、とりたて目立つ建物もないからそれはまだ先の話になりそうです。そもそも財源不足で教会はいつまでたっても未完成だし美術館は閉鎖されてもう何年にもなります。





正直ここで写真撮るのもはばかれるような思いでした。




退散します。


さすが国家の中枢たる建物がある界隈なだけに近代的な道路。
ここをずっと下っていきます。


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次はベオグラード駅を見に来ました。




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なんかこのあたりから歩いてる人種が変わってきました。
外人が増えた。


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中に行ってみよう。



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近代的な感じがしません。むしろ懐かしい感じ。



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多分ユーゴ時代の名残です。今は使われていません。


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これも。
当時は100マンパーセントぼったくられそうな両替所です。注:イメージ


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時刻表見るとノヴィサドに行く電車がありました。
チューリッヒやブタペストにも行けるようですが、これまた100マンパーセント窃盗に遭う可能性があるので絶対にやめましょう。


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外に出ます。







ウウッ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!


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突然、危険センサーが発令!!!!!!!!!!





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ここ、超ヤバイです。

めっちゃくちゃ怖い。

胸騒ぎが止まらず、センサーのベルがずっとガランガラン鳴り続けます。
(私のセンサーは鐘の音です)


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写真みただけじゃ分からないか、、、。

言葉で説明できないけど、間違いなくヤバいです。


逃げるようにプラットホームに行ったらこっちも怖い。。。。



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写真自体は絵になるので思わず撮影。


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これも。
(こんな恐ろしくボロくて犯罪のにおいがするコンパートメントみたことない)

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怖いからもう逃げる。
ちょうどこの頃はシリア難民が大量にバルカン半島に流れてドイツを目指す途中の時期だったと思います。難民を見たわけじゃないですが(そもそも難民は切符買って電車移動なんかしない)、いわゆるアルバニア人系の危険な人物ばっかりで心臓止まるかと思った。ほんとにこわかった~。






駅構内にはポリスがいます。
でも私は知っている。
ポリスは何の役にも立たないことを。




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今思えばなんで駅なんかに行ったんだろう。
駅って基本的に一番危険な場所なのに。
しばらく日本の生活に浸ったせいでちょっと鈍ったかも。


しかも気づけばその日はチャラけた格好で歩いてたからそれも激しく後悔。
こうなるならもっとラフな格好できたのに。案の定、道路を渡ろうとしたらクラクション鳴らされたりして再び激しく自分を叱咤。そんなチャラい服装で道路なんか立つなんてアホがやることです(泣)。売春だと間違えられる(泣)。でも道路渡らないと帰れないからーーーー!
危険センサーはず~っとなりっぱなしで、心臓バクバクしながら早歩きでもと来た道に戻り、やっとの思いで官庁街にたどりついたときは安堵感で心臓から恐怖という大きな塊が抜けちるような感覚でした。あとをつけられてないか、バレないようにこっそり振り返る時の恐怖たるや。
大げさじゃありません。
犯罪は跡をつけてやってくるのです。
つけられてないか確認するのはすごく大事です。
バレないようにね。







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駅はダメだ、駅は。