世界ふらふら放浪記

雑記と人生の備忘録

ロンドンのバイト

ロンドンは昔も今も物価が高いのが何より痛い。イタリアでコツコツ貯めたお金と、もともとあった資金を使いたくなかったので、せめて家賃と定期代だけは自力で稼ごうと、ロンドンで生活をし始めてすぐにアルバイトを始めました。


そういえば英國屋とかいう日系のデパートもあったような。そこも受けたけどたかがバイトなのにすごい難しい試験をいくつもやらされて、挙句の果てには面接で生意気なこと言ったから落ちました。何かは忘れたけどなんかムカッとくること言われたので(家族のことだったような)。


本当は英語オンリーの本場のお店で働きたかったんですが、当時はことごとく受け入れてもらえなかった。いろいろ足を運んで直接交渉してみたりもしたけどやっぱりだめで、結局すぐ雇ってもらえる日本食レストランでバイトを始めました。


場所はレスタースクエアという映画館やバーがいっぱいある界隈。ソーホーの裏手にあるからゲイがいっぱいいるところ。ソーホー公園に行くとゲイがラブラブで熱々にからみあっているようなところ。ゲイバーもいっぱいあって女人禁制。ゲイバーもテロの標的にあって爆発事件が起こったばかりだと聞いたりもしました。ロンドンすごいなって思いました。でもレズを見たときはちょっと引きました。最強おデブちゃんとガリガリちゃんのカップル。やはり無い物ねだりなんですね、人間は。


さて、働いた日本食レストラン。
週末だけのアルバイト。
お給料は安かったけど、チップがいいのでわりと儲けました。
あとまかないが出るから週末は和食を堪能できたんですが、ラーメンが多かった。食事は地下で食べるんですが、リフトがガゴーンと音を立てて降りてきて、今日はなんだろうなって喜んであけるとラーメンが。翌週もラーメン、その翌週もラーメン。
いえいえ、まかないに文句なんていいません、ありがたくいただきます。



あの頃ってなんか行き当たりバッタリだったなって思います。
日系のレストランといえどお客さんは外人が多いから当然英語だし、働いている人も誰も何も教えてくれないというか必要最低限以外のことは何も語らない先輩だったので、黙って見て覚えていきました。フロアが2つあるので、フロアごとに担当してフロアごとにチップをもらう。そして1日が終わるとオーナーのこれまた無口な日本人女性のところへ稼いだチップを申告し、日当とまとめてもらって帰る。
派手なお店でもないし事務的だったけど変に面倒くさい人間関係もなくてわりと気に入ってました。


ある日、私がとても体調が悪い日があったんですね。なんで無理してバイトに行ったのか覚えてないんですが、半分意識がぶっ飛んでかなり壊滅的に記憶が欠乏している状態。(今思い出したけど)しかもあの日はもう一人の相方が休みだったので2フロアを一人でやらないといけなかった。いつものようにモップかけてお醤油補充したりしたことはかろうじて覚えているけど、そのあとも何も覚えてないので周りからみたら明らかに様子がおかしかったのかもしれません。お昼の時間になって地下に行って、いつものようにリフトがガゴーンと降りてきてどうせまたラーメンだと思って開けたらなんとそこにはおかゆとお味噌汁と焼き魚の定食が。。。感動しましたね。おそらくオーナーが心配してくれたんだと思います。嬉しかった。後にも先にもお味噌汁が出たのはあれ一回キリでしたから。


バイトも慣れてくると常連さんとも顔見知りになります。

毎週土曜日の11:00に必ずやってくるイケメンのシャイなイギリス人は照り焼きチキンが大好きで、コーラと照り焼きでチップに必ず1ポンド置いていってくれました。
(懐かしいな)


香港人もよく来ました。男女のグループで登場し、大盤振る舞いお寿司だのたらふく食べて帰って行きました。アジア人は日本人も含めそれほどチップ率は良くないんだけど、日本食を好んで食べに来てくれることにはとても好感を覚えました。

イタリア人のグループもよく来ました。その時に「水道の水=l'aqua di rubinetto」と言いたかったのに間違えて「トイレの水=l'aqua di gabinetto」と言ってしまって奴らに大ウケし、散々笑ったあとにこっそりミネラルウォーター一本タダであげたこともありました。無口なオーナーには絶対に内緒で。
(懐かしい)

アメリカ人観光客が来た時のチップの量が半端なくて、毎日アメリカ人が来てくれたらいいのにって本気で思いました。
(懐かしい)



イメージ 1




バイトが終わったあとは、すぐに帰る気にもならず、かと言って友達もみんなバイトしていたし平日もしょっちゅう会っていたから週末は一人でいることが多く、いつもレスタースクエアのシアターの角に座って人ごみを眺め、私はなんでここにいるんだろうなどと考えたりもしました。好きで選んだ道なのにこの虚無感は一体なんなんだろうと思ったりしながら、楽しそうに笑う人ごみの間をぬって地下鉄に乗り家に帰ったのでした。


孤独にはかなり慣れているし、むしろうまくつきあっていけるほうだけど、ロンドンはなにか特殊でした。退屈がどんどん自分を蝕んでいくような気がしてならなかった。居心地が悪かったんですね、簡単に言うと。なぜだろう。あんなに便利でイケてる大都市なのに。


そして、あんなにうざかったローマを懐かしく思うようになりました。教会の鐘の音や、コロッセオの後ろに広がるスカッとした青空なんかもそう。数年の間、後進国(イタリア)にいたせいか、物質的な生活に違和感を感じるようになっちゃったのかもしれません。さっきのおデブちゃんとガリガリちゃんの話と一緒で、所詮は無い物ねだりなのかもしれません。




だから飛び出しちゃったんです。
イギリスを。
しかも2回も。



ジタバタともがいていた若い頃。
自由とは、常に自分と対峙することであり、同時に責任もついてまわる。
夢はうまくいかないことを夢と呼ぶのだろうか。
どこまでがんばれば夢はかなうのか。
そもそも、自分の夢ってなんだっけ。
自由なんて聞こえはいいけど、全然かっこよくなんかない。
夢もうまくいかないと、それにがんじがらめに縛られて息ができなくなる。


あの頃そういえば日記書いてた!!
暗かったな~。
あの日記帳どこにいったんだろう。
死んでも誰にもみられたくないな。


ロンドンのバイトの話はこれでおしまい。